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書きたいだけ書くnote日記 2022/05/04

季節は移ろうもの、観光船事故の死後の親書の暴露にわーっとなる、書けない、など。

2022/05/04 みどりの日

 世の連休中ののどかさと自分がちっともマッチしない。とにかく子は部活があるので、きゅうりとツナのドッグパンを作って食べさせ、送り出す。山の鳥は相変わらず啼いている。それでも啼いている時間が減ったから、もうどこか別の場所に移る前兆なのかもしれない。季節は移ろうもの。

 知床の観光船の事故の続報がまだまだ続いている。
 各地の観光船のキャンセルが相次いでいる、との話。だろうなあ。今はちゃんとしているところも駄目だろう。私はこれを機にもう少し、業界が引き締まるまで乗りたくないなあ。どことは書きたくないので書かないけれど、旅行に行った先で、ものすごい暴風の中出ているクルージング船とか見たことがある。明らかに高い波に煽られていた。山も海もある田舎で育った者としてはヤバさを感じた。その時は「ああ、こういう業者は稼ぎ重視だから天気とかよく調べて自己判断しないと怖い目に遭うなあ」と思ったもの。
 別のニュースで「会社の判断に任せると危ないなんてちょっとありえない」とSNSで言われている、というのも見た。その業者任せ感覚は怖い、と思ったけれど、信頼できないのは終わっちゃってるよな、と思う。そこの回復からだし、これから数年は観光船が最も安全な時期になるのかな。


 観光船で亡くなった人の遺族が、結婚予定だった人の渡せなかったプロポーズの手紙を公開していて、まあ、もう、とにかく、傍観者なのに気持ちが死にそう。親書の暴露はいかん。いやはや、私と祖母の関係が決定的に悪くなった理由にこれがある。私の学生時代、祖母はとにかく人のプライバシーを漁った。授業中に回ってくる手紙や交換日記、日記、創作ノート、果ては授業のノートにまで。ことごとく暴露し、吹聴し、学校に電話する。祖母なりの理由(常に不安だったようだ)があっても許されるものではなく、まあ気持ちはズタズタにされたもの。身内にこれがいるの、ものすごくきつい。
 死んだら終了だし、人の死後は死者のためにはない、と私は思っている。死者の死後は、残された人たちが生きていくためにある。だから生きている人たちが気が済むようにすべきだと。
 で、この本来ならば、渡された後はその渡された人以外の目に晒されなかっただろうものを公開することは、残された人たちのためになるのだろうか。若者たちのこの先の人生が無くなって、ぶつけどころのない怒りがあることはわかるけれど、死んだ本人たちが多分望まないことをすることは、遣る方無い思いの代償にはなりえないのでは。今はショックにもたらされたテンションに突き動かされて行動してしまうけれど、後になって、後味悪くなるんじゃないのかな。すでにネットでは叩かれている。

 1日だらけた。もう全然やる気しない。書けない。だらける気満々の家族と、〆切抱えた私との差。家族の休みには仕事しないと決めているし、ワーカホリックな私が私の中でワーワーするのがうるさくてやる気を失う。結果としては「しない」を選択していいのに、やってない自分におののいている。めんどくさ。

 晩飯、豚南蛮そうめん。冷たいそうめんに甘辛くて熱い豚南蛮のつけ汁。南蛮の蕎麦からの発想。なかなか好評だった。

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