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九十枚のプラネタリウム(前編)

小学四年生の夏休み。

私はお父さん、お母さん、二つ年上の兄・純ちゃんの四人で、車で四十分の海星館へ行く予定を立てていた。

そこで見る星々は圧巻で、三百六十度どこを見回しても、きらびやかな星でいっぱい。大人の間でも「実際の夜空を、とても緻密に表せている」と噂されるくらいの、立派で豪華な観光スポットだった。

だから私は今回のお出かけを、ものすごく楽しみにしていた。

しかしその当日、私は念願の海星館へ行けなくなってしまった。

「ごほっ、ごほ」

「柚子、大丈夫?」

「う、苦しいよお」

私は布団の上で体育座りをし、背中を丸めて深く重い咳をこぼした。

プラネタリウムを見に行くはずだった今日、幼少期からしばしば顔を見せる喘息の発作に見舞われてしまったのだ。

喘息は一度発症すると回復までに時間がかかるため、長めの休養が必要となる。そのおかげで私はこれまでに何度も学校を休んできたし、運動会や交流会などの楽しい行事に参加できないことだってあった。

「……行きたかったな、プラネタリウム」

私が痰の絡んだ濁声で呟くと、お母さんは整えた眉を八の字に下げ、答えた。

「大丈夫、また行けるわよ」

もう何十回も聞いたセリフだったから、なんの慰めにもならなかった。

お母さんはいつも同じセリフで励ましてくれるけど、その「また」は、全部叶えられるわけじゃない。友達も行事も、柚子の体の回復を待ってはくれないのである。

「なんで、こんな病弱に生んだの?」

私は責めるように質問をした。

濡れタオルで背中を拭いてくれているお母さんの手が、一瞬止まった。聞いてはいけないことかな、と感じたけど、聞かずにはいられなかった。

「……だめだった?」

お母さんのかすれた声が、背中に当たった。

「だって、好きなことできないもん」

カラスのくちばしみたいに唇を尖らせ、私が不満を漏らすと、お母さんは「そっかぁ」と呟いて言った。

「お母さんは、柚子が今の柚子として生まれてきてくれたことに、十分『神様ありがとう』って思ってるよ」

体育座りで隠れていた心臓が、きゅっとした。

お母さんはそのまま柚子の返事を待たず、「水替えてくるね」と、バケツを片手に部屋から出て行った。

私は今のお母さんの言葉が嬉しいような、どこか腹が立つような複雑な気持ちになって、胸の内がもやもやとした。

※後編に続く※

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