観たいのは、少し先の自分なんだ
佐渡島さんのnoteを読んでいたら、mgram(エムグラム)なる性格診断サービスで御自身の分析をしていたので、「おもしろそう!」と思い立ち早速やってみた。
質問は100問を越え、テンポ良くやっても10分前後はかかる。
その手間暇を越えて、どんな答えが出て来るのか。
出てきた結果はコチラ
・・・おいおい、という声が聞こえてきた気がするが、あえて無視(笑)
そして、要素一つ一つにもコメントが入っている。親切なサービスだ。
さて、僕のことを知っている方は、これを見てどういう感想抱いたか。
だいたい想像が付く。
「いやいやいや、これは違うやろ」と思ったのではなかろうか。
かくいう僕が一番そう思ったし、今でもそう思っている。
僕は面倒見はよくない。僕より面倒見がよく、見えないところでフォローしたりサポートしている人はたくさんいる。
僕は繊細ではない。単純に臆病なだけだ。
僕は気配り下手だ。両親が一番良く知っている。「気をつかえ」と何千回言われたことか。
まあ、「口数が少ない」は当たっているかも・・・
(と言ったらタケダさんに「はーーーーー?」と言われるだろう。目に浮かぶ)
と、散々言ってきているが、正直、この結果はかなり嬉しかった。
ないと(欠けていると)思っていた要素が、自分の中にある、と診断された。
ちょっと、カチコチになっていた腕のかさぶたが、風で飛んでいったあとの、腕を見たときの(何とも言えない)“初めまして”感覚に似ている。
自分のことで、自分のことじゃないみたい。
強いて言うと、今の自分には違和感があるけど、明日の自分になら似合うかもしれない。そんなふわふわした、持てあます思いを、しばし味わったものだ。
先日、比叡山延暦寺に一人旅で行った際、引いたおみくじが人生初の「凶」だった。
若干ショックだったが、引いた場所の壁に貼られていた文書を読むと、気が引き締まった。
おみくじ発祥の地である比叡山延暦寺では、おみくじは単なる運試しではなく、神様への相談に対する回答、と位置づけられているらしい。
なので、おみくじの結果は一喜一憂するものではなく、明日の自分への具体的なバトンとするべきなのかも。
そう思って、「凶」のおみくじは縛らずに持ち帰った。
置いてくるものではなく、託すべきもの。その咄嗟の感覚を、僕は信じた。
これが吉と出るか、凶と出るか。
今のところ、吉ではない・・・かなあ(苦笑)
今日備わっていたら、そこで終わり。
僕が生きるのは、今という明日であり、今という未来だ。
だから、「凶」のおみくじも、予想外の判定結果も、明日の自分へのエールとしたい。
バトンを渡し終えて、もしも振り返るときがあれば、きっと自分の足跡が残っているはずだ。苦しいときはそれを誇りとしたい。
そして、その足跡を後生大事にしない。踏んでもらって構わない。
だって、もう、次の足跡は始まっているのだから。
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