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観たいのは、少し先の自分なんだ

佐渡島さんのnoteを読んでいたら、mgram(エムグラム)なる性格診断サービスで御自身の分析をしていたので、「おもしろそう!」と思い立ち早速やってみた。


質問は100問を越え、テンポ良くやっても10分前後はかかる。

その手間暇を越えて、どんな答えが出て来るのか。


出てきた結果はコチラ

図4

・・・おいおい、という声が聞こえてきた気がするが、あえて無視(笑)

そして、要素一つ一つにもコメントが入っている。親切なサービスだ。

図5

図6

図7


さて、僕のことを知っている方は、これを見てどういう感想抱いたか。

だいたい想像が付く。

「いやいやいや、これは違うやろ」と思ったのではなかろうか。


かくいう僕が一番そう思ったし、今でもそう思っている。


僕は面倒見はよくない。僕より面倒見がよく、見えないところでフォローしたりサポートしている人はたくさんいる。

僕は繊細ではない。単純に臆病なだけだ。

僕は気配り下手だ。両親が一番良く知っている。「気をつかえ」と何千回言われたことか。


まあ、「口数が少ない」は当たっているかも・・・

(と言ったらタケダさんに「はーーーーー?」と言われるだろう。目に浮かぶ)


と、散々言ってきているが、正直、この結果はかなり嬉しかった。


ないと(欠けていると)思っていた要素が、自分の中にある、と診断された。

ちょっと、カチコチになっていた腕のかさぶたが、風で飛んでいったあとの、腕を見たときの(何とも言えない)“初めまして”感覚に似ている。

自分のことで、自分のことじゃないみたい。

強いて言うと、今の自分には違和感があるけど、明日の自分になら似合うかもしれない。そんなふわふわした、持てあます思いを、しばし味わったものだ。


先日、比叡山延暦寺に一人旅で行った際、引いたおみくじが人生初の「凶」だった。

若干ショックだったが、引いた場所の壁に貼られていた文書を読むと、気が引き締まった。

おみくじ発祥の地である比叡山延暦寺では、おみくじは単なる運試しではなく、神様への相談に対する回答、と位置づけられているらしい。

なので、おみくじの結果は一喜一憂するものではなく、明日の自分への具体的なバトンとするべきなのかも。


そう思って、「凶」のおみくじは縛らずに持ち帰った。

置いてくるものではなく、託すべきもの。その咄嗟の感覚を、僕は信じた。

これが吉と出るか、凶と出るか。

今のところ、吉ではない・・・かなあ(苦笑)


今日備わっていたら、そこで終わり。

僕が生きるのは、今という明日であり、今という未来だ。

だから、「凶」のおみくじも、予想外の判定結果も、明日の自分へのエールとしたい。

バトンを渡し終えて、もしも振り返るときがあれば、きっと自分の足跡が残っているはずだ。苦しいときはそれを誇りとしたい。

そして、その足跡を後生大事にしない。踏んでもらって構わない。

だって、もう、次の足跡は始まっているのだから。

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