頂を目指す者の決意
自分で発したもののはずなのに、自分のものじゃない感覚に陥る。
一流の作家みたいな偉そうな物言いになってしまったけど(苦笑)
そういうことが、起きた。
美女読書という女性向け書評サイトに書かせていただいた『良質読書』が15,000viewを越えた、という嬉しい知らせが届いた。
おーーーーー、と喜びながら、勢いで読み直してみた。
そのときの感覚が、この記事の最初に書いた、あの上から目線な(苦笑)ものだった。
本書に書かれていた要素や文章を使っているので、僕が述べているわけではなく、僕がこの文章通り"難解な読書"を上手く取り入れられているとも思っていない。
それでも、こう読むと、なんだか『良質読書』マスターみたいな書きぶり。
思えば、某書店の方に「書評は本の上に立ってしまい、学ぼうとする立ち位置になれなくなるから」と言われたなあ。
積極参加しないほうがよい、という話し、今となってはすごく理解できる。
その一方で、恥ずかしくなるほど素直な文も書いている。
1日1冊読めることはもちろん素晴らしいことですが、1日1ページでも立派な読書。恥じることも、怖がることもありません。
読書という行為は、量だけではない様々な読み方を含んでいるのです。
早く読むことも、じっくり読むことも、迷いながら読むことも、同じだけの価値があるということを覚えておいて欲しいと思います。
自分で言うのも妙な話だが、お酒飲んでいてもこんな文は書けない。
それくらい、まっすぐな表現。頭の中であれこれいじくりまわしたものじゃないことは、胸を張って言える。
自分で書いたもので、こんなに興奮する発見があるとは(笑)
どちらかというと多読な自分が、「量だけの読書を卒業」なんてよくぞ言えたもんだ、と思うところがある。
でも、最期は数冊だけの本を読みつぶして、その記憶と成果をあの世まで持って行きたい、というゴールがある。
それまでは、たくさん読んで、難解な文に出会い、頂を目指す。
書評をしたからこそ、「良質読書」を誰よりも目指す者でありたい。
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