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公共的に死ぬ。

生き物はなぜ死ぬのか
小林武彦 著

私欲に生きて、公共的に死んでゆく。

小林武彦さんの著書にある忘れられない言葉だ。

その言葉を知るきっかけはラジオである。
当時「アシタノカレッジ」(今は「プレ金ナイト」)のコーナーゲストで小林武彦さんがTBSラジオに来たときのこと。私はただのアテンド係(講談社の営業担当だから)で近くにいたのだが、武田砂鉄さんと小林武彦さんがそんな話をしていて、不意に私にも小林先生が語りかけてくれた。

「若い人はもっと私欲に走って欲しいと思うんです。
 そして老いたら公共的になって、
 公共的に死ぬ。そう思いませんか?」

公共的に死ぬ。

あれから時間が経ったけれど、私の頭の片隅をずっと支配している言葉。

あこがれのような、羨望のような気持ち。
ここ数日、その思いが強くなったのか・・・地下鉄に揺られている時、シャワーを浴びている時、会社のトイレの扉を閉める時、コンビニのドリップコーヒーを待っている時、とにかくふとした時に気が付くと私の頭を支配している。

「公共的」とは何か?
辞書を引くと「一般社会、公衆、おおやけ」と出てくる。

「死」とはごく個人的なものと思っていたけれど、確かに父が死んだ時、若かったこともあって多くの同僚、友人、近所の人、教え子、誰かはわからないけどお世話になったと言ってくれる人がやってきて驚いた。これが小林先生のいう「公共的に死ぬ」ということだったのか。

本人に尋ねる術はないけれど。(当たり前、死んでるんだから。)

ラジオ営業をしていて、ラジオがどういうメディアか説明する時に「新しい出会い(セレンディピティ)に長けています」と話すことがよくある。

実際、小林武彦さんのこの『生き物はなぜ死ぬのか』も、漫画と小説ばかりの読書歴の私のチョイスでは選ばなかったと思う。出会いに感謝し、頭から離れない「公共的に死ぬ。そう思いませんか?」と言葉を投げかけてくれた小林先生に感謝している。

TBSがある赤坂に本屋がなくなった。
ネットニュースにもなって、我々、赤坂の勤め人も少しだけ不便になったりした。

そんな状況でも有り難いことにセレクト書店「双子のライオン堂」がたくましく営業している。
赤坂6丁目。駅からはちょっと遠いけど、TBSラジオ関連の書籍も置いてくれているようだった。

セレンディピティ。
私がいつか、公共的に死ぬ。を体現するために。

ラジオはきっと、それの宝庫。


小林武彦さんと武田砂鉄さんの「砂鉄堂書店」はPodcast配信しています。


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