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母親になって思うこと

私は3児の母です。
上の子は小学校2年生。
母になって、もうすぐ8年が経とうとしています。

そして、気づいたことがあります。
それは、子どもを持つ前に思っていた母親像と、いざ自分が母になって思う母親像が全く違うということ。

子どもを持つ前は、
・虫が平気で
・おばけも平気で
・たまに寝込むけど家事は完璧で
・家がいつも清潔で
・家に帰れば暖かいご飯が待っていて
・母は1人の人間というよりは「母親」という生き物
だと思っていました。

父と母は恋愛結婚だったけど、両親のそんな姿なんて想像つかなくて、母は産まれた時から「母」だと思っていました。

子どもの頃、母の古いアルバムを見たり、過去の話を聞いて「ママにもそんなことがあったんだ」というと、母は「当たり前じゃん」と答えたことをぼんやりと覚えています。

子どもを産んだら母になれると思っていました。

確かに、妊娠した瞬間から私は母になりました。
でも、右も左もわからない。
病院に行って葉酸がお腹の子に良いと初めて知りました。
生物を食べてはいけないことも知らず、チーズも注意したほうがいいことも知らなかった。
お酒とタバコはあまり良くないことは知っていたけど、なんでダメなのかは全く知らなかった。

出産して、その日から子どものお世話が始まることなんて知らなかったし、それがどんなに大変なことかも知らなかった。
出産がゴールだと思ってたし、そこがスタートだなんて想像してなかった。

今でも虫は苦手だし、おばけも無理。
掃除も洗濯も料理もできればしたくないし、1日中寝ていたい日もある。
たまには自分が母親だということを忘れて、思いっきり楽しみたいときもあるし、自分の人生を楽しみたい。
夢や目標だってある。

母は母ではなく、1人の人間であるということを、私は自分が実際に母になって初めて知りました。
そして、母は最初から母ではなかったことも。

忌まわしくて、憎たらしいと思うような私の母親も、1人の人間だったし、私を産んで母になった。

私は母に完璧であることを願っていたんだと思います。
子どもに愛情を注いで、父とは仲が良くて、ご飯はおいしくて。
口は悪いけど、同級生みんなに「Ayaのママは若くていいなあ」と言われるような母であることを求めていたんだと思います。

あの頃は子どもだったから、気づかなかったけど、こう思うと酷なことをしてきたと思います。
母は、私に母以外の面をいつからか見せなくなっていた。
私が見ようとしてなかっただけかもしれないけど。

きつかったと思う。
実家は頼れなくて、父も仕事で忙しくて、子どもは4人。
パートは忙しくて、帰ってきたら家事が待っている。
娯楽も何もないような田舎で、母は何を思って過ごしていたんだろう。

今でも、全ては受け入れられないけど、今では母のしんどさが少しは理解できる。
私の子どももきっと、私が母以外の面を持っていることは理解し難いだろうと思う。

でも、私は私のためにも子どものためにも自分の人生を諦めることはしない。
子どもの母の面も大事にしたいし、Aya個人としての自分も大切にする。
そういう姿を子どもにも見せていこうと思う。

だって後悔したくないから。
子どもを産む選択をしたことも、自分の人生も。

この人生を選んでよかったと思えるように。
あなた達が産まれてきてくれて、本当によかったと思えるように。
子どもたちが、私の元に生まれてきてくれてよかったと思えるように。

私は全てを諦めない。
全部欲張って、叶えてやる。

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