3人の自分が紡いだ「なりたい自分」
自分探し
中学生の僕は求められる自分でいた。
本当の自分を押し殺して。いや、本当の自分すら見つかっていない青二才だった。自分という存在をどう表現してよいのかが分からないから、周りからの評価を軸に生きていた。時にはいじめの片棒なんかも担いでいたかもしれない。生きるってそういうことだと思っていた。誰からも好かれる自分でなければいけないと意識して生活した。
誰かに求められることは確かに幸せだった。
でも、15歳になった春。その生き方が生きづらいものだと知った。それが一番不幸なんだって訴えてきた奴がいた。
それが本来の自分との出会いだった。とても物静かで誰にも興味がなくて、僕だけのための自分だった。
でも、自分の変え方が分からなかったし、今まで築き上げてきた求められる自分を失うのが怖かった。本来の自分で生きたら嫌われるんじゃないかと思った。
でも、本来の自分で生きるのは怖かった。
だからなのか、次は、なるべき自分が現れた。
なるべき自分は強かった。
とにかくがむしゃらに努力していたし、周りになんて目もくれずに目標に突っ走っていた。体がおかしくなっても前に進んだ。
なるべき自分になったことで、僕は変わった。
それは僕を縛り付ける鎖みたいなもので、何かと制限される生活を送ったけど、このまま突っ走ってしまえば、大きな幸せを得ることができる気がしていた。
が、18歳の春、鎖の縛る力が弱まっていることに気が付いた。
もうなるべき自分は役目を終えようとしていた。
高校を卒業するころには、力尽きて空っぽになった。ガソリンが切れたのか、急に動かなくなり、今までの代償を払う羽目になった。
なるべき自分だけじゃ幸せになれないことを知った。
次に入れ替わったのは本来の自分だった。
15歳の時に僕の目の前に現れてから早4年。ようやく矢面に立つことができたからか、とても張り切っていた。
僕は本来の自分に従ってありのままで生きた。とても生きやすかったし、幸せだった。他人の目を気にせずに、好きなことに没頭した。
けど、4年間を通して失うものは多かった。友人も仲間も僕から離れていった。正確には、自ら離れた。
22歳の春。そんな人間は人から評価されないことを知った。
それは何者にもなれないということと同義だった。
知った上で本来の自分を貫き続けた。それが幸せなのだと信じるしかなかった。もうすぐモラトリアムが終わり、引き返せる道がないと思ったからだ。
そして、本来の自分でも幸せになれないことを知った。
僕は遠い道の分岐に立った。
僕という器があっても先を進むための自分がいなかった。
遠い道を選択したものの、珍しく二の足を踏んでいた。あれだけ得意だった一歩前へ出ることができなくなっていた。また間違った道を選択してしまっているのかもしれないと考えると足がすくんだ。
そんな立ち往生している僕に、後ろから話しかけてきた人たちがいた。
一人目は、優しくて頼りがいがあって、誰からも好かれる笑顔の持ち主。
二人目は、目標に向けて努力できて、ぶれない軸の持ち主。
三人目は、頑固だけど僕が大好きで、「好き」を追求する力の持ち主。
彼らは僕の横に並び手を取りあった。
一緒に始めの一歩を踏み出した途端、なりたい自分が現れた。
理想の道を進む
僕の人生で一番長い旅路には、4人の仲間心強い仲間ができた。
本当にいろんな生き方をした。別に自分を変えるだけが目的ではなく、人と違う人生が歩んでみたくて、あえて違う道を選ぶことが多かった。
3人寄れば文殊の知恵ともいうし、一つだけじゃ幸せが見えなかった。
遠回りだし、多くの道に迷ってしまったが、その分たくさんの道を知ることができた。もしかしたら、また違う自分が現れるかもしれない。でも、その時は一緒に歩むことを提案してみようと思う。
3人が自分を貫いたことで生まれた理想。
それが僕のなりたい自分
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