夕日と橋と(旅先ショート②)
今回の舞台:浜名大橋と弁天島(静岡県浜松市)
放課後に夕日を眺めた弁天島。いつもの定位置には、制服を着た女の子がいた。僕と同じ高校生で、何かに苛まれているのは横顔を見て分かった。朝、鏡で見る僕の表情と同じ表情をしていたから。
きっと夕日に託すものは違うから、同じ場所にいても話すことはなかった。夕日が降りてくると、彼女は鳥居を境にして左側に座る。僕は右側に座る。互いの存在だけを受け入れる。背中を任せて別の何かと戦っていた。この頃から互いにシンパシーを感じていたのは確かだったと思う。
それからも、度々一緒に夕日を眺めた。
名前も学校も知らない彼女と話した回数はわずかに2回。
1度目は、唐突に彼女から話しかけてきた。
「きれいよね」
「うん。本当にきれいだね」
「ほんとうにそう思う?」
「うん。そう思うよ」
「あなたはあっちまで行ったことある?」
彼女は鳥居の向こうにある大きな橋を指さした。ちょうど鳥居から見て左側、すなはち彼女が座る方にそれはあった。存在は知っているけど行ったことはなかった。
「行ったことないな」
「そう」
たったこれだけの会話だ。でも、彼女が言わんとすることは少し分かる気がした。水平線の向こうまで駆けていきたい想いに駆られていたのは、僕も同じだったから。そういう意味なのだろうと解釈していた。だって僕たちはモラトリアムに包まれた特別な存在なのだから。
2度目は、最後に会った時のこと。すなはち卒業間近のことだった。
「あなた卒業したらどうするの?」
「僕は静岡の大学に通うつもりだよ」
「そう。私は2年間カリフォルニアに留学することにしたの」
そろそろ別れなのは覚悟していた。だが、海外留学なのは予想がつかなかった。単純な僕は、すでに夕日を眺めるだけが目的でここに来ている訳じゃない。時が過ぎるたびに、夕日を直に見る回数が減り、その横顔を眺めることが増えていた。
「あのさ…えっと…」
LINEだけでも教えてほしい。その一言が喉元に詰まって出てこなかった。だが、予想外なことが起こった。
「あなたのLINE教えてくれない?」
彼女からLINEを聞いてきたのだ。もちろん応諾した僕は、どこに住んでいたのかを聞いた。彼女は浜松に住んでいるらしい。僕は豊橋だから凄く近い。それだけ分かれば安心だった。
「帰ってきたら、あなたとはいいお酒が飲めそうね」
そう言って笑う彼女には、鳥居も夕日も必要ない。最後にその笑顔だけでも見れた価値があった。僕らは、彼女が帰国した後に再会することを誓い合った。
ラインの名前には「サユ」と書かれていた。佐藤サユ、鈴木サユ、岡田サユ……色んな予想をしてみたものの、結局僕の苗字がしっくり来る。
そういうキモイことも想像していた。
暇な時間があれば、吹き出しもスタンプも一向に現れないトーク画面を眺める。サユとのトーク画面を眺めることで、背景が緑色だったことを初めて知った。
そして今に至る。2年ぶりの弁天島は、夕日が入る隙は見当たらなかった。夏なのを良いことに太陽が暴れている。これが夏の定めだから仕方がない。必ず日は陰るから、それまでの辛抱だ。
2日前、唐突にサユから連絡がきた。
「あの大きな橋の下で会いましょう」
サユは僕の存在なんて気にも留めていないと思っていたが、連絡がきた。
トーク画面が動いた瞬間は、バットで心臓をぶたれたような気分だった。あの連絡から2日経っても、血が波打っている感覚がする。
弁天島を出て右に向かった。あの大きな橋に行くためには、ぐるっと一周する必要がある。どっちから回って行ったら近いだろうか。スマホで調べても良かったが、何となく自分の力で再会を果したいと思い、豊橋方面から回って、あの大きな橋を目指すことにした。
1時間強を浜名湖と並走してようやくたどり着いた橋の下には、絶望的な事実が流れていた。
橋の下には海が流れ込んでいる。多くの釣り人が糸を垂らしていた。
あっち側に行く道も橋も見当たらなかった。頭上では車がいとも簡単に渡っているというのに。
すぐさま携帯を開き、橋の名前を確認した。名前を浜名大橋というらしい。まず、橋の下ってなんだ? サユはどっち側に来るのかが分からなかった。
すぐにLINEを開き、一番上に固定されているトーク画面を開いた。
とりあえず打ったメッセージは、感情がこもってなくて単調な言葉の並びだった。これじゃあ、ぶっきら棒に思われてしまうと思い、
「あのさ、浜名大橋のどこに行けばいいかな(。´・ω・)?」と打ち直した。
いざ送信しようすると躊躇が生まれた。思えば自分から話しかけたこともないし、LINEすらしたことがない。そんな感情を全て心の奥底に押し込み、人差し指で丁寧に送信ボタンを押した。集合まで残り30分。ラインはしばらく既読にすらならなかった。
約束の10分前。嫌な予感はしていたが、対岸にサユと思わしき人が現れた。塀の向こうは草が生い茂っていて、場にそぐわない輝きを放っていた。周りが釣り人ばかりだ。紅一点、あれはサユだとはっきり分かった。
紅一点というよりは、白一点の方が正しいかもしれない。サユは白いワンピースを着ていて、まるで海に浮かぶクラゲみたいだ。首には何か黒いものがかかっている。顔までは良く見えないが、遠目から見ても心臓が波打った。波は寄せたまま僕の心を侵食していく。
溢れ出る想いのまま叫んだ。思えば名前も読んだことがないけど、そんな恥ずかしさは隔たる海に消えていた。
「お―――い、サユ―――」
サユはこっちを向かなかった。対岸の釣り人がこっちを見たものの、サユだけは振り向いてくれない。頭上の橋を見上げていた。
「お―――い、サユ―――」
サユは振り向いてくれなかった。もう釣り人はこっちを向かなくていい。サユだけが分かってくれればいいのに、サユはずっと上を見ている。
僕は諦めてその場に座り込んだ。気を使える釣り人の一人もいないものか。
ひとまず、LINEをしてみたものの、携帯を見る素振りすらない。やっぱりずっと頭上を見上げている。
何となく、僕たちは結ばれる運命ではないのかもしれないと思い始めた。思えば、彼女の気持ちなんて聞いたことがない。海外に行った背景も知らない。でも、2年越しに連絡しれくれたのなら、悪いようには思っていないはず。それを信じてこっちを向くのを待った。
サユは首にかけていた黒いものを手に取った。顔の前に構えたとき、あれはカメラなのだと分かった。カメラを構えたまま、頭上の橋を写真に撮っていた。ずっと頭上にレンズを向けていた。一体何枚とっているのだろう。
しばらくして、サユは動き出した。
小走りで奥に向かって行く。ちょっと進んだところで、再びカメラを構えた。また写真を撮っているのだろうか。ん? なんか浮かれてないか?
さらに砂浜を進みカメラを構えた。決して海を収めるわけじゃなく、浜名大橋を写真に収めていた。海の方なんて振り返りすらしなかった。
あなたはその海を越えて来たんですが……思い入れはないんでしょうか……
徐々に違和感が生じ始める。
何か根本から間違っているような大きな違和感だ。
突然橋の下に戻ってきた。とうとうこっちに気づいたのか、片手には携帯らしき物体が握られている。
「お―――い、サユ―――」
もう一度叫んだ。サユはこっちを見て手を振ってくれた。
ああ、やっと会えるのだ。そう思うと素直に嬉しい。
サユは自らの携帯を掲げて指を差す。携帯を見ろということだろうか。
携帯を見ると2通のメッセージが送信されてきた。
そこには、真っ赤な橋の写真が1枚添付されていた。
「見て‼ 留学先でとってきたの。カリフォルニアのゴールデンゲートブリッジよ」
この写真とメッセージを見た瞬間、違和感の正体が分かった。
サユも僕も何か勘違いをしている。最初の会話から、勘違いで壮大な話が始まってしまっている。
正直理解が追い付かなかった。僕が夕日に託していたものを、彼女は浜名大橋に託していたってことか? 海を越えたのも、ここが集合場所なのも…。確かに僕は「きれいだ」と答えたけども。
嬉しそうに手を振るサユを見た。ぴょんぴょんと跳ねて喜んでいるみたいだ。自分が大好きなものを理解してくれる人を見つけて、一番の幸福を共有して喜んでいるのだ。その姿は確実にオタクそのもの。
橋が好きなのか。橋が好きな僕を好きなのか。そのどちらでもない僕は、求められていないのかもしれない。
どっちも口下手で本当に困ってしまう。
また一通のメッセージが届いた。
「久しぶり!! どうしようか。私がそっちに行こうか?」
「ううん。僕がそっちに行くよ。時間かかるかもだけど待っててね」
「分かったわ」
僕は、サユに一度手を振ってから元来た道を戻った。
今の出来事を振り返っても、僕がサユを好きなのは変わらないと思った。殆どしゃべったことがない女の子を、海を隔てても愛し続けていたのだから。歩いて届く距離にいるのなら喜んで歩く。
きっと向こうまで回るのに2時間ぐらい掛かるから、その間に橋が好きになる心理ぐらいは調べておこう。誤解を解いてゼロから片思いを始めるのだ。
僕は、少し変わった橋オタクの女の子に恋をしてしまったらしい。
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