ひのきしんとは?
こんにちは!
タイセーです。
いきなりですが、天理教には「ひのきしん」というものがありますね。
一昔前だと、
天理教と言えばひのきしん。
ひのきしんの天理教。
と言われていたと聞きます。
教会行事に参加していたりすると「ひのきしんして」と言われ、なんかさせられてる感があります。
「ひのきしん」ってさせられるもの?
そう思っている人もいるんじゃない??
そんなひのきしん」について、今回は語っていきます。
ひのきしん=感謝の行い
「ひのきしん」をカンタンに説明すると、神様に対する日々の感謝の行いです。
「どうして、神様に感謝の行いをするの?」
それは、天理教では、人間の身体は神様から借りているものと言われています。
借りているから、貸してくれている人の思いに添った使い方をする必要があります。
さらに人間には返報性の法則というものがあります。
たとえば
友達にお土産をもらったら、自分も今度なにか友達にお返ししたい
と思うようなことです。
神様に生かしてもらっている。
だから、神様にありがとうの気持ちを込め何かお返ししたい。
そこから生まれる行為が「ひのきしん」なのです。
天理教の教典『天理教教典」には、このような一節があります。
ひのきしんとは、信仰に燃える喜びの現れで、その姿は、千種万態(せんしゅばんたい)である。必ずしも、土持だけに限らない。欲を忘れて、信仰のままに、喜び勇んで事に当たるならば、それは悉くひのきしんである。pp78『天理教教典』
教典からわかるように、ひのきしんの姿というのは、千種万態(さまざまな姿)があるんです。
ですから、「ひのきしん」は人ぞれぞれなんです。
挨拶するのも、ひのきしん
勉強するのも、ひのきしん
掃除するのも、ひのきしん
仕事するのも、ひのきしん
なんでもあり!なんでも「ひのきしん」なんです!
あくまで、人間個人から神様への感謝の行いなので、「ひのきしん」をしたいと思う人が、欲を目的とせず、喜んで行うが「ひのきしん」なのです。
そのため「ひのきしん」その感謝の行いは、人それぞれ違ってくるのです。
「ひのきしん」は、神様から生かされている感謝の気持ちのお返しの行いです。
その感謝の行いは、間接的に人のためになっています。
たとえば
勉強は、勉強することによって知識がつく、知識がつくことによってその知識を活かしたいと思う。
知識を活かして社会に貢献する。
それって人のためになってますよね。
掃除をする事によってその場所を使う人が喜んでくれる。
それは、人のためになっている。
というように、「ひのきしん」することによって、人のためなるのです。
神様は「人をたすけて我が身たすかる」といわれました。
「ひのきしん」を行っていく中で、その行為が人のためになっていき、信仰が深まったり、人間的に成長することでしょう。
今回も読んでいただきありがとうございました!!!
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