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いんねんについて

こんにちは、タイセーです。

夏の暑さを本格的になってきましたね。
汗が止まりません💦

今回は、いんねんについて紹介していきます。

天理教に生まれた人なら、耳にタコが出来るくらい聞かされてきたんじゃないでしょうか?

- いんねんやから
- いんねんが出た

私たちにとって、嫌な言葉として使われることが多いかと思います。

いんねんには、もともと仏教の教えがあります。

仏教の教えのいんねん(漢字にすると因縁)とは、

一切の存在は、因縁によって生じ、因縁によって滅する。
結果(果)を生じさせる内的な直接の原因(因)と、外からのそれを助ける間接の原因を(縁)という。

つまり、
因=私たちの行い
縁=環境や他人の行い(自分以外の要因)

因と縁が結びついたときに、目に見える結果として現れてくるということです。

ですので仏教では、自分の行いが結果を報う因果応報であり、自業自得であるということです。
(行いのことを業ともいう)

自分が苦しんでいるのを、災害や他人の縁のせいにしていると、その災害や他人が変わらないと自分の運命は変わらない。

自分の運命を縁に依存していると、縁に縛られているようなものであって、余計に辛くなる。

自分でもどうにもならないときは、他人や環境などの縁を変えるより、自分が変えられる部分(自分の行い)を変えることで、未来が変わっていくということです。


一方天理教のいんねんは、

親神様には、「陽気ぐらしさせたい」という思いがあります。

それが「元のいんねん」といわれるものです。

私たちは、「心一つが我がの理」と言われるように、心だけ自由に使うことができます。


世界にはどんないんねんもある。善きいんねんもあれば、悪いいんねんもある。(M28.7.22)


わたしたちは、生活していく中で、善き種子をまくとき、悪しき種子をまくときがあります。善き種子をまけば、善き理が現れ、悪しき種子をまけば悪しき理が現れます。

つまり、
善いことをすれば善い結果になり
悪いことをすれば悪い結果になる
というわけです。

ですが、種子はすぐに芽生えるものではありません。

1代で見せられる「いんねん」もあれば、
過去の心の理を見せられるときもあります。

過去の心の理が、「前生のいんねん」となって現れているのです。

ですが、親神様が「いんねん」を見せられるのは、心を濁した私の心を入れ替えさせ、勇ませ、陽気ぐらしをさせたいとの「元のいんねん」に復元して欲しい思いからです。

私たちにとって、好ましくない「いんねん」も、苦しめよう、困らせよう、として見せられるのではないのです。

いんねんが現れたら、親神様にもたれ、心を治める。そうすることで、陽気ぐらしの元のいんねんへと、復元されて、私たちの心はますますいさんでくるのです。


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