希望はこの世にありふれているけれど満ちているものは見つけるだけでなく掴み取らないと手に入ることはないと知っている

西日が眩しい、バスの中。
冷えた空気とタイヤの振動で震える体。
耳に流したweezerはここ数日のお気に入り。
なんだかこの曲には希望を感じる。 


35歳までに結婚出来なかったら
今の一人暮らしの部屋は出ようかと
なんとなく思っている、33歳の夏。
あっというまに35歳になってしまうのだろうな。
追い討ちをかけてくるコロナ禍に
私の希望は悉く打ちのめされてきた。
気持ちがなかなか保てない時、
ここ数年はなんとか立て直せるようになって
自力で這い上がってこれるようになって
死にたい感情は遠のいていた。
大人になるってこういうことだよなと
自分を認められていた。

でも最近、どこからの最近なのかわからないけれど、またあいつが出てくる。
死にたいという感情だ。
その感情に逃げてしまう。

記憶の中では小学生高学年ですでに
死にたいという感情とは隣り合わせだった。
だから、逃げる時にはイコールで死にたいに繋がる。
これは決して弱さではなくて
私の中では当たり前なんだ。
原点回帰なだけ。
メンヘラではない。
逃げ、だ。
この現実から逃げたい。
出口が全く見えない。
それを踏ん張れるほど
強くはないし希望もない。 

希望を感じるためにいろいろ模索はしてる。
この曲もそうだ。
あのいつもの彼に会うのもそうだ。
それでも足りない。
自分が生き延びるための
希望が圧倒的に足りない。
死にたい感情に勝てない。

それでもやはり希望を求めているのは
死にたくないと思う心が
私のどこかに残っているのか。
決着はいつか。
そんな遠くはないのか。
長生きなんてしたくない。

希望よ、私を導く道標は
どこにあるのか
どうやって手にしたらいいのか。
誰も教えてはくれないけれど
自分の力で辿り着けるほど
私、強くないよ?

夏の日差しに
肌も心も焼き付きされそうな
梅雨明けの東京。
今年の夏は何になる?
サマソニでまたweezer観たいな。

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