吐きたいと思っても自力じゃ吐けないから喉に指を突っ込んでみたけれど、それはなかなか勇気のいることだった。

「このままじゃあぁさちゃんは表現出来ない自分をずっと後悔するよ。」

と言われた。
人と違うという自覚はずっとあったけど
それを表現出来る力はないとわかっていた。
だから、同世代の女性アーティストが自己表現で評価される世界に私も入り浸り
彼女らの表現を共感し共有することで自己表現としていた。
それでよかった。
追いかけることで自分の「好き」が濃くなったし
彼女らの活動を目の当たりにすることで自分には何も出来ないことがより浮き彫りになっていった。

でも結局、人と違うと自覚することは色んな瞬間であるしそのたび普通になりたいと思うし、何よりそのことに声をあげられるほどの勇気や表現力がないという事実も変わらない。
そんなことはわかってる。わかってるけどそんなことがいつまでも自分に付きまとっている。そんなことを思う自分が嫌だった。そして、そんなことを言い訳に生きているということがバレた、というだけの話。

私はどこかに、この感情を吐き出さないと一生このままなのか。
過去や過去の痛みを引きずる今を、捨てたいと思っているのに
結局そのことを痛いと思うことで
自分自身が進めない理由にしている。

評価されなくても
そんな力がなくても
勝手に吐き出すことならいくらだって出来る。

誰も見ていなくてもいい。
自分の気が済むならそれでいい。
自分で自分が受け入れられるようになるならそうしたい。

吐き出す準備は出来ていた。
きっかけが欲しかった。
勇気を出したかった。

それはきっと今だと思った。

中野の居酒屋で飲んだ安いグレープハイの味が喉の奥に残っている。
いつかこの味に、その記憶に、感謝する日がくることを願って
私は吐き出すことを決めた。


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