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エレベーターの中、秘密の時間

幼馴染の披露宴パーティーが終わり真紀はまだ賑やかな会場を一足先に後にする。酒とタバコの臭いが体に絡みつく。はしゃいでいる人に混ざるのはどうも好きになれない。愛想笑いも話を合わせるのも苦手だし、疲れる。エレベーターのボタンを押しため息をつきながらエレベーターホールで“ひとりきり”を噛みしめる。ぼんやりと待っていると足音が近づいてくる。見ると会社の上司の菅野がネクタイを緩めながら怠そうにこちらへ向かってくる。
「千條さん?」
「菅野係長。係長も披露宴か何かですか?」
「あぁ、大学時代の先輩の披露宴でね」
まさか、こんなところでで千條さんに出会うとは思わなかったよ。と笑顔を向ける。そうですね。と愛想笑いを返すと、そのまま沈黙がふたりを支配してしまう。一つ上の階で止まっているエレベーターを恨めしく思いながらディスプレイを眺めていると、エレベーターホールに程近い会場の扉が開き、到着したエレベーターに人がなだれ込む。人に押されてエレベーターの奥まで押し込まれ菅野の胸に押し付けられる形となる。
「ごめんなさい…」
小さく謝ると、この人じゃしょうがないよ。と優しく笑顔を向けられる。間近で見るその表情に戸惑いながら視線を落とし、うるさ過ぎる心臓の音に支配されながら扉が開くまでの数十秒を耐える。

ようやくエレベーターから解放されると、人混みに流されないよう菅野がさりげなく真紀をエスコートする。よろよろと付いて行くと菅野がエントランス前でタクシーを捕まえる。
「良かったら一杯付き合ってくれない?」
菅野の瞳に真っ直ぐ見つめられ、Noとは言えなかった。コクリと頷いて同じタクシーへ乗り込む。運転手に行き先を告げると、菅野は終始黙って窓の外を眺めていた。

菅野の行きつけのバーは駅から少し離れたビル街の一角、比較的新しいビルの十一階にあった。ふたりきり、エレベーターに乗り込む。体が熱い、息が苦しい、心臓がうるさい、手が震える、視界が狭くなる。この状況になってようやく、自分が菅野に惹かれていたことを自覚する。

ガラスの重い扉を開けた先は静かなBGMが流れ、暗めの間接照明に照らされた落ち着きのある空間だ。カウンターの端に並んで腰を下ろし、真紀はマティーニを、菅野はウィスキーのロックを注文する。菅野はオフィスにいる時とは違う柔らかい表情で、真紀の緊張も解れ、気づけば愛想笑いをすることも忘れていた。趣味のこと、子供の時のこと、学生時代の失敗談など他愛も無い話に花が咲く。時計の秒針が倍速で進んでいくような、濃密な時間だった。
「もう結構遅いし、また今度ゆっくり話そう」
三杯目のウィスキーを飲み干し、腕時計を見てそう言うと、当然のようにドリンク代を支払い、スツールから降りる真紀に手を差し伸べる。触れる指先が震える。

店を出てエレベーターを待つ。酔いも手伝い、永遠のような数十秒の間に真紀は菅野に寄りかかりジャケットの裾をぎゅっと握る。菅野はじっとエレベーターの表示を見たままだ。迷惑なのだろうか。そうだとしても、真紀はそうせずにはいられなかった。酔いのせいにしてしまえば良いのだから。

エレベーターに乗り込み扉が閉まると同時に菅野が真紀の体を強引に引き寄せる。酔った体は抵抗など出来るはずもなく簡単に菅野の手に堕ちる。大きな掌が真紀の熱い頬に触れ、硬い指先が耳たぶを撫でる。それだけで吐息が溢れてしまう。うっとりと目を閉じると菅野の薄い唇が真紀の震える唇に触れる。優しく啄ばむように優しいキスから次第に舌を絡め濃厚なキスに変わっていく。足に力が入らず菅野の背中に回した手でジャケットを握りしめ必死ですがりつく。
「んっ…」
思わず声が漏れる。それを合図にしたように真紀の頬に添えられていた菅野の手がゆっくりと首筋を撫で下ろし始める。真紀の体にぞくぞくと快感が広がりびくりと体が反応する。敏感なその分がじんわりと湿り気を帯びていることを感じる。もっと欲しい。もっと触れて欲しい。そっと背中に回していた手を菅野の頬に触れようとした瞬間、エレベーターの扉が開く。菅野は扉を手で押さえながら真紀から唇を離し、行く当てを失った真紀の手を掴むと歩き始める。

大通りまで出てタクシーを捕まえると、一緒に乗り込み真紀に住所を告させる。相変わらず窓の外ばかり眺めていて一言も発さない、一瞥もくれない。ただ手だけがしっかりと繋がれている。窓の外を見るその横顔の薄い唇を見つめる。数分前まで真紀の唇に触れ、気が遠くなるほどの快感を与えていた唇だ。未だに真紀の体はじんじんと熱く、その感触を覚えている。菅野の唇に真紀の口紅のラメが残ってキラキラと街灯を反射し煌めいている。その事実が、体の熱が、唇に残る感触が、あのキスは一瞬の妄想ではないと、現実だったと証明している。

今回はここまでです。初めて最後まで書き切った話です。少しずつ公開していこうと思いますので、よろしくお願いします。

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