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努力は勝利への必要条件ではあるが十分条件ではない

連日盛り上がるオリンピック。まだカーリングの決勝など見どころが残るが感じたことを。
正確なデータを押さえている訳ではないが、これまでの冬季五輪と比べてもメダルを量産している方ではないだろうか。

夏の五輪と比べて、個人種目が多いことや昨今のトレンドから混合種目が増えたこと、さらに恐らく競技人口の多寡の影響もあるのか、1人の選手が複数種目に出ることは冬季五輪の一つの大きな特徴だと思う。

その中で、主将でもあるスピードスケートの高木美帆選手を筆頭に、ジャンプの小林陵侑選手やノルディック複合の渡部暁斗選手が複数のメダルを獲得した。その他にも平野歩夢選手を始めとして、素晴らしいメダル獲得の瞬間をたくさん見せてもらった。
いずれの選手もW杯などで結果を残し、折り紙付きの実力を持っていたとは言え、注目され、期待される中でこれだけの結果を出したことは素晴らしかったし、観ているものに感動と興奮を与えてくれたことに感謝しかない。

一方で、前回メダリストや実力者の戦いが悲劇的とも取れる形で幕を下ろす場面を目の当たりにすることも、記憶にある直近のオリンピックよりも多かったのではないだろうか。
ジャンプの高梨沙羅選手、フィギュアスケートの羽生結弦選手、スピードスケートの高木菜那選手、小平奈緒選手…
どの選手も常人には想像も付かない厳しいトレーニングや、多くの葛藤やプレッシャーを乗り越えてこの舞台に立ったはずだ。
それぞれ起きたハプニングは違えど、その努力が結果という形で報われなかったことは、本当に残念だった。

だが、この舞台に立つまでの努力が無駄になる訳では決してないし、その過程を責められる人など(少なくともテレビやネットで観てるだけの一般人には)1人もいないはずだ。
少なくとも私自身は、ここまで戦い、失意の中コメントを出す各選手には敬意しかないし、受け入れるには時間が掛かると思うが各選手がこの先でどんな選択をしても今後も応援したいと思う。

人々が継続的にあるスポーツやチームに関心を持ち、応援するのは、エンターテイメントとしての面白さや選手のストーリーみたいなものを理解して応援している側面が強いのではないかと思う。
一方で、オリンピックや例えば箱根駅伝などのある種神格化されたイベントごとは、多数のにわかファンが存在する。
そしてイベントを観る観客はもちろん競技性に注目する人もいるが、どちらかと言うと、選手の背景にあるストーリーよりも、勝手に選手に自分の人生みたいなものを投影して見ている人が多いのではないだろうか。
だからこそ、努力は必ず報われてほしいと思っていて、メダルというわかりやすい結果を、勝手に求めてしまうのではないかと感じている。

しかし、世の中はそんなに甘くない。
もちろん報われる努力もあるが、報われない努力だってあるのだ。
能力と努力を持ってしてもどうにもならない世界もあれば、努力の方向性が間違っている場合もあるし、そして、最善を尽くしても最後の最後に後押ししてくれる運がない場合もあるだろう。
いずれにしても、それが受け入れ難くても現実なのだ。

そんな紙一重の結果として思い描いた結果が手に入れられなかった選手たちを、観客は知りもしない努力を軽視して批判などすべきではない。
うまくいくときは全てが噛み合ってうまくいくし、うまくいかないときは何かあと一歩のところでうまくいかないものだ。
それでも日々は過ぎていくし、これが人生なのだとも思う。
人生において、全てが噛み合ってうまくいく瞬間なんて、そう多くはないのも事実だろう。今回結果を残した選手たちにだって、長い長いうまくいかない時があったはずだ。

多くの勇気と感動、刺激を貰っている観ている側にできることは、我が身を振り返り、少しでも数少ないうまくいくいつかを掴むために、自身の日々の過ごし方を目的に向かうものに有意義な過ごし方をすべく変えていくことぐらいかなと思う。

最後に、多くの感動を与えてくれた選手たちには、本当にありがとうございましたと言いたい。もちろん出られなかった選手の想いやスポンサー、競技の将来とか色々なものを背負っていることは理解しているが、何より自分を大切に楽しんでこれからも競技をしてほしいなと強く願う。

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