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おかえりモネ最終回の日、震災のこと

初夏からはじまった朝ドラ「おかえり、モネ」が昨日で最終回を迎えましたね。
こんなにリアルタイムでいろんな人と感想を共有しながら見たドラマっていつぶりなんでしょうか。逃げ恥も見てないし、ここ数年ドラマはことごとく見てないので、なんかすごく思い出みたいになってます。

最初のころに実家に帰って見ていたら気づいたら影響されてた母と姉も見始めていたり、気仙沼の漁師さんのところに行ったら「撮影用に俺の船だしたんだぞ、チンプリな?(キンプリがケセン語訛りでチンプリでしかない)」とか言ってたり、「エキストラ出た!」みたいな気仙沼漁民の友人もいたな。6月末〜7月は気仙沼大島のnagameというカフェで展示をさせていただいて、来てくれた友人と一緒にテラス席で見たり。相方と旅行していても、「3分後にあさみが言いそうなことは『モネ見る〜』だね」と散々茶化され、、、、最終話の前日はのぶこばあちゃんと見たな。。。とにかくキリがないくらいだけど振り返るとドン引きするぐらいこのドラマを楽しみました!(笑)

気仙沼という世界線の近さ(なんなら東京の実家もモネの行動圏に近くて)、現代劇ゆえの共感の嵐、主人公たちが同世代、、、
いろんな要因から、すっと物語に引き込まれていきました。

震災のこと

主人公やその周りで繰り返された、震災に関するシーン。いろんなことを、いろんな人を想いました。

東北沿岸に貼られた 被災地 というラベル。今思えばそれが、自分の行動や言動にブレーキをかけることもあったなと思います。

この数年で、わたしが陸前高田で感じたこと、そとの人として感じてきたこと。自分は何をしたかったのか、何かできたか?そもそも、なにかしたくてここへ来たのか?好きだからいる、顔が見たい人がいる、それでいいじゃない?とか。

去年も、一昨年も、3月11日が近づく度に問い直しては、なにか言葉にしようとかアウトプットしようと思っていたけど、書くことで自分の出来事に対するスタンスを決めてしまうことへ、ネガティブな気持ちがあったんだなと改めて気づきました。書くことで決まってしまう、口に出すことで本当になっていくことから逃げていました。

恐れだけではなく、どうでもいいとか思おうとすればどうでもよくなれる自分もいたから。
未来のことしか考えられないときも、自分のことしか考えられないときもあるから。

でも、やっぱりまだモヤモヤしています。

陸前高田に住むばあちゃんの写真をまとめて本にしたときも、震災という出来事の面影について、どう切り取るのかを悩みました。
そして、出来上がって人に見せたとき、全く直接的な表現がなくても、たくさん聞かれました。「このおばあちゃんは被災したのか?家は?家族は?」と「おじいちゃんはいないけど震災で亡くなられてしまったの?」と。悪気がない質問なのはわかっています。でも、被災地というラベルを切り離すことができない土地で写真を撮るということに、何とない重さみたいなものが付きまとってくることを、実感しました。

なにかを表現したい人として
どうやってこの出来事に、向き合うか?

そんなことは岩手に住み始めてから強く感じるようになりました。いまはまだ仮にも答えみたいなものもないし、探し続けたいと思っているところです。

ドラマを経て、改めて考えるきっかけになりました。

私はどんな「おかえり」が欲しいかね?w

震災のことを考える一方でわたしは、いま「おかえり」と言ってくれる人や土地に恵まれています。ありがたいです。
その人たちと一緒にいる時間がかけがえのないものだって忘れないようにしたいなって、すごくシンプルで素直な、朝ドラ的な気持ちも湧いてきました。

それと同時に自分に出来ることがこれなんだってまだまだ確信をもてるほど自信がないから、もっと、前に進みたいです。切実。

いつか遠い海へ漁に出て大漁で帰ってきた漁師みたいに迎えられるぐらいデッケーことをして帰ってきて、「おかえり」と言われたい。なんて夢みています。(戯言)

(トップの写真、モネには出てこなかったけど気仙沼大島のなんかすごい海岸だよ。)


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