BUMP OF CHICKENについて

 BUMP OF CHICKENの喪失について書きます。

 BUMPの歌詞には特にある時期以降、お別れしてしまったなにか、無くしてしまったなにかについてのノスタルジックなモチーフがよく見られるようになります。ここでは、「喪失」という視点から彼らの楽曲を発表順に見ていきます。

 BUMPの楽曲で喪失といえばまず挙げられるのはやはり『ロストマン』(2003年)でしょう。ここでは旅の指針となっていた「君」の喪失が歌われます。「旅の始まりを今も思い出せるかい」「君を失ったこの世界で僕は何を求め続ける、迷子って気づいていたって気づかないふりをした」「君を忘れたこの世界を愛せたときは会いに行くよ、間違った旅路の果てに正しさを祈りながら、再会を祈りながら」とある通り、旅をする理由であり目的地でもあった「君」を失い、途方に暮れながらも進もうとする様が描かれています。

 なお、ここでの「君」が具体的に何を指すのかについてはここでは問題にしません。あらゆる主題をラブソングに擬態させて表現することはJ-POPのお約束ですが、『ロストマン』における「君」が実在の恋人で会ったかどうかは重要ではないのです。ともかく、旅を続けるにあたっての精神的な支えとなっていたなにかが、もはや失われてしまったというのが要点です。

 転換点は『HAPPY』(2010年)に見ることができます。「終わらせる勇気があるなら続きを進む恐怖にも勝てる、無くした後に残された愛しい空っぽを抱きしめて」と歌う姿には、もはや『ロストマン』の頃の悲壮感はありません。

 喪失は私たちの意思がどうあれどうしようもなく襲ってくるものです。私たちが主体的になせることは、喪失を受け入れるかどうかという点にしかありません。「終わらせる」とは、失われたなにかがもう二度と還らないという事実を引き受けることです。そして決定的に重要な点は、なにかが失われてしまった後にも残るもの、「愛しい空っぽ」があるということです。この「愛しい空っぽ」こそが続きを進む勇気をくれる。

 「愛しい空っぽ」はその後表現を変えて幾度も歌詞に現れます。『ray』(2014年)において「お別れしたことは出会ったことと繋がっている、あの透明な彗星は透明だから無くならない」、『アカシア』(2020年)において「透明よりも綺麗なあの輝きを確かめに行こう、そうやって始まったんだよたまに忘れるほど強い理由」、『なないろ』(2021年)において「手探りで今日を歩く今日の僕が、あの日見た虹を探す今日の僕を、疑ってしまうときは教えるよ、あの時の心の色」

 喪失を受け入れたときに残るなにかが旅を続けることを動機づける。このなにかは目で見てこれと確認することはできません。だからこそ「空っぽ」であり「透明」なのです。過去は決して変えられない以上喪失は絶対であり、無くしてしまったものとはもう二度と出会えることはありません。しかしこのどうしようもなさが反転して旅を続けるための足掛かりになる。喪失の事実は傷跡として永遠に残り続け、それゆえにこの世界に確かにあった「君」の輝きの痕跡を示し続けます。このようなモチーフは『HAPPY』の次の一節にもっともまっすぐに現れているでしょう。すなわち、「消えない悲しみがあるなら生き続ける意味だってあるだろう」

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