VOCALOIDについて

 終わったコンテンツとしてのVOCALOIDと、その弔いについて書きます。

 人はみんないつか死ぬのでそれ自体は仕方がないことです。仕方がないことなのですが、そんな風に理屈の上で納得しようとしても、心のどこかでは取り残され、傷ついてうずくまってしまう私が現れてしまいます。「あの人と支え合い、励まし合うことで生きていたはずなのに、あの人が亡くなった後も平気な顔で暮らせてしまえたなら、それはまるであの人への私の想いが取るに足らないものであったかのようではないか」うずくまる私の言い分はおおむねこのようなものです。

 そのような私を慰める機会として弔いという営みは設けられます。故人にゆかりのあった人々が集まり、故人への想いを語り合います。「あの人が亡くなってしまった世界で私たちはもうしばらく生きていくけれど、それでも私たちは、確かにあの人を愛していたのだ」と互いに確かめ合うことで、うずくまる私を慰めるのです。

 そして、この弔いという営みは、人が亡くなった場合に限られるものではありません。

 『ONE PIECE』を例に挙げます。ゴーイングメリー号が船大工たちによって航行不可能の査定をうけた際、ルフィが船の乗り換えを決めたことについて、ウソップは一味との決裂も辞さない猛反発を示しました。ここで、メリー号がもうこれ以上海を渡れないことについて、ウソップを含めた一味の全員が、理屈の上では分かっていました。しかしそのうえで、「このまま何事もなかったかのように新しい船で旅を進めてしまうのは許せない」という感覚も全員が抱えており、ウソップはそれをはっきりと行動で表したのでした。彼らは弔いの機会を必要としていたのであり、実際にその後の物語では、あの劇的な別れの場面が用意されています。

 本題に入ります。VOCALOIDというコンテンツの終焉と、その弔いについてです。

 まず、VOCALOIDというコンテンツについて、その趨勢を画一的に定めることは不可能です。2007年8月の初音ミク発売を端緒に、2007年9月『みくみくにしてあげる♪』、2007年12月『メルト』、2010年8月『マトリョシカ』、2011年9月『千本桜』『カゲロウデイズ』、2012年8月『ODDS&ENDS』、2017年7月『砂の惑星』と、主だった作品を時系列に並べてみましたが、このムーブメントへの参加者たちの姿勢や楽しみ方は時間とともにめまぐるしく変動しており、そもそも「VOCALOIDとはどのようなコンテンツであるか」の意識がまったく違う。よってその趨勢についての見方も、ボカロファンの数だけ尺度があると言えます。以下では私個人の見方に基づいて、主に黎明期VOCALOIDのロマンスとその幕引きについて書きます。

 ゼロ年代のボカロシーンは主として「アイドル初音ミクのプロデュース」を楽しむものでした。VOCALOIDはニコニコ動画の三大コンテンツとして目されていましたが、その意味では同じく三大コンテンツに数えられていたアイドルマスターと同種のものであったと言えます。楽曲を作成するボカロPはもちろん、視聴者もニコニコ動画のコメント機能を通じて、みんなでアイドルとしての初音ミクを盛り上げ、育てていくことが主だった楽しみ方でした。またこのころは世間一般でのVOCALOIDの認知度も高いとは言えず、いわば狭く薄暗い箱庭でのムーブメントだったのです。

 10年代に入る頃から状況は変化していきます。のちに本名の米津玄師として日本の音楽シーンの覇権を握るハチは、2009年5月に処女作『お姫様は電子音で眠る』、2010年8月に初期の代表作と言える『マトリョシカ』を投稿しています。ほかにもwowakaによって2010年5月『ワールドエンド・ダンスホール』、DECO*27によって2010年7月『モザイクロール』など、強烈な作家性を持つボカロP達が台頭し始めたことにともない、ムーブメントの主眼も「アイドル初音ミク」からそのボカロP達へと移っていきました。

 そのような転換を決定的なものとしたのはじんによるカゲロウプロジェクトです。この一連の作品群はじんのオリジナルキャラクター達の物語を彩る楽曲であり、初音ミクを始めとするVOCALOIDのキャラクターはまったくの不在でした。

 このようなムーブメントの変質に際して、当惑したのは黎明期からのボカロファンたちでした。世間的にはVOCALOIDはどんどん広まっていっており、コンテンツとしては盛り上がりを見せているように思えます。しかしながらそのような広まりの中で、自分達が愛した何か、決定的な何かが失われていったように感じられたのです。

 2012年8月29日、ryoは『ODDS&ENDS』を発表しました。これは自身の経験を初音ミクの視点から語ったような歌詞であり、いわばVOCALOIDにまつわる自伝的な楽曲でした。

 ryoは『メルト』や『ワールドイズマイン』の作者であり、黎明期のボカロシーンを代表するボカロPのひとりです。彼は2009年よりsupercellの主要メンバーとしてメジャーデビューしており、ニコニコ動画への投稿は2008年12月の『初めての恋が終わる時』を最後に停止していました。

 このような経緯の中で、『ODDS&ENDS』は「アイドル初音ミク」をめぐるムーブメントの終焉に際しての弔辞として機能しました。変わりゆくムーブメントの中で取り残されたような思いを抱えていた黎明期ボカロファンたちにとって、当時の第一人者であったryoによるこの作品は、「今でこそ彼女から離れてしまったけれど、しかし私たちはかくも彼女を愛していたのだ」という宣言として響いたのです。

 別にこの楽曲が発表されたからといって、元のムーブメントが再び盛り上がるということはありませんでした。亡くなったものが帰ってくることはありません。ただ、いつの間にか放り出されたような、取り残されたような想いを慰めるため、彼らには弔いの機会が必要だったのです。自分たちが愛したアイドルが亡くなった世界を生きていく前に、自分たちはこんなにも彼女を愛していたんだと、救われていたんだと、確かめ合う機会が必要だったのです。

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