コロナ禍の強迫性障害

手洗いうがいを念入りにすることが当たり前になった今。
私は、ただただ″ありがたい″と感じています。

理由はただ一つ。長く手洗いをしても、変に思われないから。

(二の腕まで洗うときは別。その時は隠れてやる)

手首までの手洗いで終えられれば「この人、ウイルスに過敏なんだな」って思われるだけで済むから精神的にめちゃ楽。

小学生の時から、公衆の面前で
永遠手洗いをしたり、洗面台の床までビショビショだったり、シャワー浴びたのってくらい服や髪が濡れていたり、冬で手が異常に真っ赤になっていたりして、どこから見てもおかしな人という視線を浴びてきました。
自分は変態なんだと感じて死にたくなりました。

物心ついた頃から強迫性障害で、不潔恐怖のジャンルですっかりベテランになった私は
色々と工夫しながら演技することで、誤魔化し上手になりました。

そんな人生を送ってきた私ですが、念入りに手洗いすることが当たり前になったことで
変な目で見られる機会はだいぶ減ったと思います。

自分の事情だけでなく、他人が清潔であることもとても有難い。


コロナウイルスを恐れ熱心に消毒している方を見ると、自分は外の空気や触れた物に対してどう感じるだろう?とふと考えることがあります。

吸い込んだものや触ってものから直接感染するリスクは充分理解できるので、
見えないウイルスを洗って落とすこと、消毒することに対しては私も同じように思います。

第二の目?というか「自分にもそんな感覚が備わっているんだな」と気付かせてもらえます。

ただ、やらないと気持ち悪くて居ても立っても居られないという感覚はゼロです。

きっとコロナウイルスきっかけで過敏になりすぎて困っている人もいるだろうから
安易に言うことではないですが、
コロナウイルスに対しての恐怖と、強迫性障害のソレとは全く違います。

※決してどちらが楽とか大変とか、どちらが善か悪かとかいう問題ではなく
使う脳みその領域が違うようなイメージ

仮にウイルスに感染しても、それが死に直結するわけではないから。人並みに恐がっています。

強迫の場合は、その強迫をしないことイコール死という命がけの状況なので、恐いという言葉で表現できないレベルで悍ましいです。

これまで何度か、不潔恐怖は「菌に汚染されることを恐がる」という表現をされているのをみたことがありますが
私の場合、菌が恐いということはありません。

ウイルス以外でよく頭に浮かぶのが放射線。
東日本大震災の直後ニュースで「放射線物質を含む雨が降るから、もし触れてしまったらシャワーを浴びて、服はゴミ袋に入れて密封してください」と流れていました。
これはかなり印象に残っています。
私が当時、触れない対象物を何重にもしたゴミ袋に入れて密封していたので。

放射線に例えて不潔恐怖の説明をすれば、家族が少しは私の感覚を理解してくれるかも?なんて思ったりもしました。
もちろん、放射線と並べるなんて不謹慎なことだと思っていたので、本当に口に出すことはありませんでしたが。
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強迫性障害と家族について、もし私に相談など希望してくださる方いらっしゃいましたらこちらご覧ください

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