遺書

僕の人生は中学2年生から始まったと言っても間違えじゃないように思う。

死にたくて死にたくてどうしようも無かったあの日から今日までの変化を僕は記す

学校が、人が、世界が嫌いだった
いつもと同じ日常、そんな時僕は朝、カッターを手にした。
カッターをポケットに入れて学校へ行った
少しだけ強くなれた気がした


その日は僕の本当の悪夢の始まりとともに
愛する人と出会えた日でもあった

誰かを刺す訳でもないこのカッターが人を傷つけるとは思わなかった
これで楽になれると思った
その日はいつになく傷つきやすく脆かった
少しのことで僕の頭は希死念慮でいっぱいだった
休み時間トイレに行き、カッターを出した
そして腕を切った
痛くなかった、ただ切った腕とカッターを持つ手を交互に見ながら
自分が恐ろしいとおもった。

僕は何にもなれなかった

腕を切ったからと言って幸せになれるわけでも、死ねるわけでもなかった
分かってたのに切った
その日から毎日僕は嫌なことがあると腕を切った

腕を切る理由は色々あると思う

僕は自分を殺したかった
死ぬ事も出来ない上手く生きることも出来ないそんな僕を殺したかった

死んで欲しいと思った自分が情けなくて弱くてもろくて、生きている価値がないと思った、それでもしななかったのは、僕より辛い人が生きてるから、僕はこの世界に残ることを罰とし生きなきゃ行けないと思った

そんな僕が今元気に過ごしているのは、1人のネットで出会った人のお陰だった
その時のTwitterは以外にも色々な人が見てくれていて、ネッ友が沢山いた、毎日ツイートにイイネをくれたり、DMにも沢山メッセージがきてた。でも
誰の言葉にも心が動かず、生きているのに死んでいるような真っ暗な世界に、色をつけてくれたのは紛れもない彼だった
突然現れた彼のことを僕は以外にもすんなり心を開けた。

出会ってからは、沢山ぶつかりあったように思う。
それでもお互いにブロックしなかったのは、今思えば、奇跡だなぁと思う

彼と出会って1ヶ月くらいが経とうとしていた時
僕は再び現実に引き戻された

お母さんに、リスカを見られた
お母さんは泣いていた
次切ったら首の骨が折れるまで殴ると言っていた
けどそんなことより、泣いていたことがショックだった、頑張って生きている僕にとってそれは最悪な大イベントだった
僕が生きるために切った腕
その腕が僕の大切な人を傷つけた
自分だけが背負えばいいと思ってた、自分だけがこの傷とともに、この世を生きて、生きていることの罪を償うつもりだった

僕は大切な人を傷つけた
その現実は変わらず僕の頭に深く深く残った。

それから僕は耐えたずっと耐えた
本当に何にもなれないとしかいいようのない生き様だったと思う。
もがきながら生きていた
お母さんへの謝罪に心が追いやられ耐えられなくなった時僕ははさみを握ってトイレに入ってしまった
謝りながら、泣きながら腕を切った
もう、死にたかった
迷惑をかけ続けるより、1度だけ、迷惑をかけて済むのなら、死ねばよかった
何度も思ったあの時死ねばよかったと
何度も何度も僕は自分を殺した

馬鹿だと思う、タイムマシンがあるなら僕はリスカをしようとしている僕の元へいき抱きしめたと思う。不幸の連鎖でしかなかった。

その日は家に帰りたくなかった、それでも帰った理由は、彼がいたからだった
どんな事情を知っても変わらず接してくれる彼が好きだった。
唯一、生きることを否定しないでくれた
リスカを否定しなかった。

僕の悪夢はこれだけじゃ終わらなかった
12月に初めて腕を切り彼と出会った
1月にリスカがお母さんにバレた

そして2月、おとうさんにバレた
1月に、腕の1部しか見てなかったお母さんは、さらけ出した腕を見て、酷くなったと思ったらしい
僕は、怒鳴られた

生きようと頑張ったはずが
生きるために傷つけた腕が

また周りを、大切な人を傷つけていた。
泣きながらお父さんの罵倒を聞く中僕は初めて両親に、話した

「自分のことが大嫌いだ」

帰ってきた返事は、一言

「気持ち悪い」

僕は、死ねなかった
死ねなかったから悪いんだ、とも思う

散々に言われたあと、自殺防止のため、監視をされながら、僕は、泣きながら学校の用意をし、寝た。

散々な日々だった
周りのことなんて考えず死んでおけば僕もみんなも嫌な気持ちをするのは1度でよかった
それは、幸せになった今でも思う。

学校に帰ってから部屋に戻ると、僕のパソコンとスマホがなくなっていた。
唯一生きる術だった、彼を取り上げられた
僕はもう一度彼と話すため、死ななかった
なんて単純な希死念慮だ、と思うかもしれない
違う
彼の存在が僕の全てだった。

それからは僕は学校へ行き、部屋に戻り、床に座って、壁を見てた
何もせずただぼーっと

親に言われたたくさんの言葉が何度も何度も僕の心を刺した

塾へ行く送迎の車で、保健所に連れていくこと、児童相談所に連れていくこと、離島留学させること
どうしたい?と言う話を沢山された
いっその事殺してくれと思った。

お母さんと一緒にいたい?と涙目で言ったお母さんの考えが僕には痛いほどわかった
誰でもなく確実に僕がお母さんをそうした。
ごめんなさい
生きていたから傷つけたごめん

一時たった夜、お母さんにスマホを返して欲しいとダメもとで話してみた
そしたら、以外にもすんなり受け入れてくれた

僕は彼に今までのことを話した

彼は僕をよく理解していた。15年この体と一緒にいる僕よりも1ヶ月しか話していない彼の方が僕のことを分かっていた。
僕のことを好きでいてくれた

僕はそれでよかった。僕は僕が愛せない僕を代わりに彼が愛してくれればそれでいいと思った。

そこからは、毎日彼と話し、将来の話をし、生きていていいんだよと何度と何度も言ってくれた、そのお陰でここに居る

僕は彼に対して感謝を忘れない
生かしてくれてありがとう。

彼は僕の命綱。僕の命は彼に救われた命、彼に尽くすことを誓った
それからは、リスカをすることはなくなった、たまに手を切ったけど、絆創膏をしていたから、1度もバレずに、過ごしてきた

なぜこれを遺書として書いているかと言うと
そうしないと中二の僕の気持ちが報われないと思ったから
僕は毎日死にたいと思って生きた
だから僕の思考は遺書そのものだった
僕はそれを軽く捨てては行けないと思った
今でも昨日の事のように覚えている出来事とともに生きようと思う

いきづらい社会でここまで頑張ってきた皆様
本当に素晴らしいと思います。

リスカをしている人
大丈夫だよ、貴方が貴方を愛せばいい
愛せないのなら愛せる人に身を委ねてみて
大丈夫だよ、嫌いな人に使う時間を好きな人、素敵な人に使って。
生きててくれてありがとうね

リスカをしている子供を持ったお母さん、お父さん
辛いと思うけど、怒鳴らないでください
どうか怒鳴らないであげてください
カミングアウトしてくれた気持ちを取りこぼさず寄り添ってください
お願いです。
子供にとってやっぱり1番大切なのは親です。
貴方の言葉で、心が揺れると思います。
怒鳴らないであげてください。

読んでくださった人
本当に本当にありがとう
なんの需要もない下らない話かもしれないけど
中二の僕の報われない心をどうしても、記したかった。
ありがとうございました。

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