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音楽と祈りに触れる

私が好きな音楽はクラシックかミュージカル、オペラ、合唱曲などであったので、流行りの曲に全く無頓着であった。
しかし、学生時代は付き合いでカラオケに連れて行かれることが多く、本心では全くそこに脳のスペースを使いたくなかったことをこの歳になって思い出す。

当時の私は流行の曲を全く好きになれなかった。
なぜならば一瞬で廃れて、"古いよね"と言われてしまうの歌のために使うエネルギーと時間を考えると、それはとても非合理ではないかと感じたからである。
だから、なるべく廃れなさそうであったり、練習の努力が無駄にならないものを選んで歌った。
それは例えば勉強にもなる英語のものだったり、演歌や自分の声質にあった歌手の人のものであった。
きっと大人になって歌えたら都合がいい場面が出てくるのではないかと考えたから練習した。

クラシックが好きな理由は、伝統と文化、曲の背景、そこに集う人の優雅さ、一生涯廃れない洗練された美しさに感動をするからであり、それはミュージカルやオペラにも通ずるところがある。

だから流行の曲とミュージシャンに疎いのは、当時の私が合理的に生きていたからであり、流行の曲の歌詞に込められた魅力に気が付いていなかったことを、最近になって再確認した。

カラオケに最も多く行っていたのは高校に上がる前の16才で、それは歌が大好きで歌手を目指す友人がいたからであった。
彼女は事あるごとに私をカラオケに誘い、彼女から教わったちょっと変な歌詞の楽しい曲を歌った思い出が蘇る。
彼女の歌声は芯が通っていてとてもかっこよく、中学生なのに椎名林檎を歌い上げる姿が魅力的だった。

31歳になった今も歌手を目指して活動している、そんな彼女を私はとても眩しく感じて尊敬している。

祈り

流行の曲、特に恋愛感情を詩にした曲の、想いを感じることができたのは、それを感じさせてくれる相手がいるからである。

恋愛の歌詞はどこか切なさを秘めていて、刹那的な感情をよく表現しているように思う。
一瞬の気持ちを歌詞に落とし込めて永遠となるような願いに触れる。
その歌詞の中にある記憶が祈りになっていることを感じる。
流行の曲が名曲になるのは、祈りが届くからだと思う。

宗教でも、歌でも、非合理な世界で祈っているから、想いの強さが私の感情を揺さぶる。

詩が、言葉の選び方が、願いの込め方が優れている。
英語の歌詞ばかり聞いていた私に、日本語の歌詞はわかりやすくストレートに届いた。

思い出が歌詞と重なる。
感情が選曲で理解できる。
愛がとても豊かに表現される。
その美しさに触れた1日だった。

音楽の力

音楽の力はとても大きい。
戦争をも止めることができたのはボブ・マーリーだし、
私のおばあちゃんは美空ひばりをことある事に聴いていた。
辛い時代には感情を揺さぶる歌詞の名曲が多い。
音楽は時を越えることが出来る。

私の夫はオペラ座の怪人が好きらしい。
オペラ座の怪人とはあまりに有名な悲恋であり、"怪人の気持ち"が理解できると涙し何度も観に行く彼に、私は少しの恐怖と切なさを感じたことがある。

私はLes Miserablesをロンドンで1人観た時に涙し、それ以来、人生の不条理と自由を勝ち取るために生命を掛けた物語にとても弱い。

ヒトは自分の経験からしか感情を投影できない。
だから、経験が豊かになるにつれて、私もとても感動するのが上手くなった。

理解出来る範囲が増えるとともに感情の起伏も激しくなってしまったのが少し難点であるが、素晴らしいものには身を任せるのも楽しみ方の1つだと思う。

音楽っていいなと改めて感じた1日だった。

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