プロスペローの許しと死生観

以下、課題で提出したレポートのコピーです。シェイクスピアの「テンペスト」の分析です。


 「テンペスト」は、王位簒奪された元ミラノ王のプロスペローが、加害者たちの罪を憎みながらも許す物語である。彼は孤島に追いやられた魔術師でもあり、その気があれば彼らを殺すなど徹底した復讐をすることもできる環境にあった。それにもかかわらず彼はそうしていない。この点でこの作品は一風変わった物語である。彼が作中の人物の罪を許すことにした背景に何が起きているのかは重要な課題になっている。そこで本論では、プロスペローの許しの理由を彼の死生観を考察しつつ明らかにしていく。ただしここでいう「許し」とは、気持ちの上では罪を根に持っていても、振る舞いの上ではそれを出さないで友好的に接することとする。上記の問いに答えるために、まずプロスペローの死生観が現れている場面について指摘する。次に死生観の観点から彼の許しについての考え方を考察する。
プロスペローは5幕1場で「お前(筆者注:アントーニオ)は弟と呼ぶのでさえ口が穢れる極悪人だが、お前の最低な罪を赦してやる、隅から隅までな… For you, most wicked sir, whom to call brother Would infect my mouth, I do Forgive Thy rankest fault ―all of them―…(133頁)」と、彼のミラノ大公の地位を奪った弟アントーニオの罪を許す。ほかにも、プロスペローの殺害をたくらんだキャリバンなどの登場人物の罪も許す。それは彼が必死の思想をもっており、それは許すことと切り離せないからだと考える。プロスペローの死生観は永遠の命が存在するとするキリスト教のそれとは対極にあり、むしろ生者必滅を説く仏教の性質に近いものである。このことは4幕1場の彼の台詞「…脆く壊れやすいこの景色のように、そして偉大な地球でさえも今あるものすべては消え、この実体のない劇のワンシーンもちり一つ残さず消えていく。And like the baseless fabric of this vision, …the great globe itself, Yea, all which it inherit, shall dissolve, And like this insubstantial pageant faded Leave not a rack of behind.(115頁)」から読み取れる。あらゆる物や人が跡形もなく消えて無くなること、つまり絶滅は、全てのことをなかったことにする。したがって絶滅を認めることは、最終的には罪がなかったことにすることと等しい。全ての人や物が生まれて死ぬことは自然界の定め事であるとプロスペローは受け入れたからこそ、今でも敵対心をもつ凶悪な罪ですら許し、またエピローグで彼自身の罪の許しを請うたのである。エピローグの彼の発言「観客の方々に楽にしていただかなければ私の最後は絶望のみです。天を突き破り神のお慈悲に訴えかけて、全ての罪は許されます。And my ending is despair, Unless I be relieved by prayer Which pierces so, that it assaults Mercy itself, and frees all faults. (145頁)」では観客に、彼ら自身もプロスペローと同じく罪を負うものであると認めてもらい、互いの罪を許しあい、全ての罪の許しを神に求めている。プロスペローが観客に罪を許してもらえなければ絶望に陥るのは、近いうちに彼に訪れる死が中途半端になるからではないだろうか。完全に死ぬことで罪がなかったことになるから、中途半端な死は罪をなかったことにしない。罪を許してもらわなければ観客の心の中に生き続けることになり、完全な死を迎えられなくなる。身体の死を迎えても精神の死を迎えられなければ、罪が残り続けてしまう。プロスペローは死を、罪や悪事をリセットしてくれる救済だと考えているのではないだろうか。エピローグのプロスペローの台詞「今や私の魔術は廃され、私が元から持つ力は弱弱しい。Now my charms are o’erthrown, And what strength I have’s mine own-which is most faint. …(145頁)」と罪を許すと決めて魔術を放棄したのは、権力などの今まで築き上げてきた彼の評判を捨てて、精神の死も含んだ完全な死を迎える準備を整えるうえで必要な段階なのだと考える。
まとめると、プロスペローが相手の罪を本心では反感を持っていても許したこと、彼が観客に許しを請うたことは彼の死生観から発生した行動である。彼やほかの登場人物、そして観客は個としてもホモ・サピエンスという種としても終わりがあるというプロスペローの認識こそが、彼にとっての救い、許すことにつながったのである。

参考文献
Linzy Brady and David James “THE TEMPEST” CAMBRIDGE UNIVERSITY PRESS 2014

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