久しぶりの

※見る人によっては気分を害するかもしれません。


どうやら11/20振りらしいnote。
今日までの間に何があったか思い出すと(ツイ内容とちょっと齟齬があるかも、ツイの方が正しいのだろう)(記憶が消えないうちに記録しないと)

【12月】

定期テスト期間にヘモグロビンが4.4まで下がり
ガチで倒れる。結果3科目ぐらい受けてない。
入院前最後の1週間は最終日に午前中のみで終了。

入院(1)、速攻2日にわたって輸血される。
(この時ルートがつまり、計6回ぐらい針を刺される)
移植前検査で胃カメラ初体験。
二度とやらないと誓う。
婦人科関係でさらに遠い病院を紹介される。
一時退院して向かう。

入院(2)、午後にCVカテを入れ、翌日から前処置開始。
ATGは余裕、エンドキサン3日目で突如の食欲不振。
そこから1ヶ月半くらい吐き続ける。
クリスマスの記憶はない。利尿剤と戦う。
夜中に発熱し、意識朦朧としていたらしい。
朝起きたら血液培養のための採血の跡があった。
移植1日前、放射線。
私の好きなグループの音楽を流してもらいながらの照射だが、曲を楽しむ暇もない。
この日が1番辛かった。確か1日中電気消してた。
(エンドキサンと放射線のダブルパンチ)
12末日  Day.0
わりと元気。ただし主治医のテンションが少し高めで不安になる。両親が面会に。
消灯直前、脈が跳ね上がり看護師さんをビビらせる。
無菌室は3日目でもう嫌になる。
妹は退院する前の日に面会に来てくれた。
大晦日は紅白を少しだけ。
親と1時間半通話する。

【1月】

1月5日辺りからお菓子なら食べれる。(ただし吐く)
1月6日以降の写真フォルダをみると麺類(病院食)が
あるが、食べた記憶がない。
1月8日、髪の毛抜け始める。
1月22日。落ち武者ヘアにムカつき自分で剃る。
匂いに敏感になる。
無菌室のシャワーが壊れる。
1月某日、生着。その日のうちに準無菌室へ。
足が痛くなる。(後にフィルグラスチム?のせいだと判明)
1月下旬、共通テストを解いてみる。
(後に学校内で1位の成績と判明(非公式すぎる))
個室が孤独すぎて号泣。親と特例で面会をする。

【2月】
大好きだった研修医が移動になりかなり落ち込む。
大部屋に移動。お菓子をあっちこっちから貰う。
しかし栄養剤が無くなった途端6キロ痩せる。
あまりにも吐くので胃カメラの危機に瀕する。
病院食に飽きる。
CVを抜く。看護師さんとの鬼ごっこが激しくなる。
北京オリンピックを看護師さんと見る。
特にカーリング。
何度か外泊の話が出るが全部消滅。

【3月】
看護師さんに囲まれながらzoom卒業式。
ギリギリ単位は足りたらしい。
本退院。今年の冬は殆ど雪を見ていないと感じる。
外来の度にタクロリムス濃度が下がり、再入院の脅しをされる。
無理やり?演奏会に出る。
すごく楽しかった。本当に楽しかった。

【4月】
担当医が変わる。
相変わらずタクロリムス濃度が低いが、
外来の間隔があく。
婦人科より今後生理が戻る可能性は限りなく低いと
話をされる。
そして何故か安静時の脈拍が早い。 


足の力が弱くなったと思う。
歩けるけど、走れない。
床に座った状態から支えなしだと立てない。
入院中歩き回ってたのにな〜笑


まぁ多分こんな感じ。きつかった。
めちゃくちゃ泣いた。(そして貧血になるのだった)
インスタで同級生の姿を見ると悔しくて仕方がなかった。というか今もそう。
でもなんとか乗り越えた。
看護師さんたち、Twitterの皆さんのおかげだと思う。

正直なことを言うとTwitterでやり取りさせてもらっている方よりは早期再発率は低いと思う。
だけど移植したから終わりではなくて、
GVHDもあるし、髪の毛はまだないし、
急に数値がガタ落ちするかもしれない・二次がんを発症してもおかしくないとも言われてる。
再発だってするかもしれない。
女性としての機能も失われたままで、自分の遺伝子を持った子孫を産むことも出来ないかもしれない。

不安がいっぱいだけど頑張るかー!
(ただしツイはうじうじしてると思う笑)



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