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『ひょん no 気』vol.4 【占い】って言葉に拒絶反応ありませんか?

はい。タイトル通りの内容です。

【占い】って言葉。拒絶反応ありません?

▶︎怪しい…
▶︎未来を決められたくない…
▶︎怖い…
▶︎胡散臭い…

こんなふうには思っていなくても、興味はあるのに踏み出せなかったり、
人に言えない時には同等の感覚があるわけです。

実際に出店する機会を得てみて感じる。
あげればキリがないほどネガティブワードが並ぶ瞬間を味う。
怪しまれている空気感、視線を痛いほど味わう。

まぁ、わかるよ。私にもそういう感覚はあるもの。
実際に、『占い』って言葉に私自身が拒否反応があったからこんな記事を書いている。
でも、ヘリオセントリックという占星術を生業にしようとしているわけです。

なんなんこれ笑

ということで、
ワタシが私を説得するために、
私がワタシに自信を持ってヘリオセントリックを通してお話しするために
自分自身の
『占い』と向き合いました。

さて、『占い』に対してどういったことを求めているのだろう。

それぞれが求めるであろうことがイメージとして浮かび上がる。
また、求める姿を見て浮かび上がるものもある。
誰しもが失敗したくない、多数派でいたい、幸福でいたい、善か悪かのような二極の中に生きている。

常に目線が外側にあり、世界の中に自分というものが透明人間のように無視されているかのようだ。

もしくは、硬いバリアで他者を寄せ付けないようにも見える。

そんな中で『占い』というものはオバケみたいに空虚な言葉と空気感だけがただただ漂っているようにも感じる。

…と、カッコつければこんな感じだけれど。
私、占い好きからすればちょっと違う感覚もあるんです。

▷ただただ面白い
▷気づかなかった視点を得る
▷自分の直感を信頼するきっかけ
▷自分自身を知覚する
▷自信を持つ為
▷不安を払拭する為

とかく『自分』を見つめ直す、もしくは掴みなおし輪郭を得るためのツール。
自分では思いもよらないところから言葉を投げられる事の面白さと発見。

みなさんはどんな風に『占い』というツールと向き合うだろうか。

《占い》の語源を見れば少し捉え方や向き合い方、占った後のスタンスも変わるかもしれない。
私は、この語源がとても今の時代に合っているよに思えてならない。

『占・なう』
『占』 
▶︎『心』=『表に出さない裏の心』=『外面に現れない内心』
『なう』
▶︎ 綯う

《占いは》意識する部分と無意識の部分とを可視化する。
自分が自分を意識する。改めて“自分“というものを具体化していく。

「意図すること」は、どういったことを「意図する」のだろう。

私の想う『占い』とは…
どこか散り散りになってしまった“自分自身“を再度寄せ集め、見つめ直すきっかけに過ぎない。

それぞれを綯い、一本の美しい糸に仕上げる。

仕上げることができるのは他ならぬ自分しかいない。

均一に安定した部分もあれば、歪んだ部分も、危うさを感じる部分もあるだろう。
それも全て含めて、愛おしむことができるのも自分しかいない。
出来上がったそれで、アナタは何を作り出すのだろうか。

私がヘリオセントリック占星術なるものを提供するのは、
アナタが作り上げるアナタ自身に、そっと手を添えたいから。
大それたことはできないが…何かを発見するきっかけや、小さな波紋を起こすことは出来るかもしれないと恋焦がれるからだ。

“私の占い感 2022“ は、これにて。

また何か発見したり、感覚の変化があった時には改めて変化した部分を記そう。


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