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レキをかさねる(エッセイ,850文字)

ある休日の深夜、デスク(課長)に電話である事故現場に向かうよう指示された。
それはもう20年近く前――私はソニーのPD170(ビデオカメラ)を持って自宅を飛び出し、言われた場所近く、ある線路脇の広い道路で車を停めた。そこには既に救急車やパトカーたちが列を為し、それぞれに無言で回り続ける赤色灯が、非日常的な物々しさを醸し出している。事故現場はここの近くだとすぐ分かった。
ほどなくして、報道課の先輩が応援にやってきた。結構若人の多いうちの部署にあってその先輩は、白髪が混じるくらいのベテランで、電車の事故なんて撮ったことないペーペーの私はとても安心した。
しかし現場に着くなり先輩は言う。
「これは撮れんやつだな」
彼は私を線路脇で待機させ、自分はバッテラ(バッテリーライト)も持たずにさっさと行ってしまう。
道路そばの青白い街燈の灯りすら届かない昏い線路の先を、私はあてもなく眺めて待った。
事故があったとは思えないくらい辺りは、いつもの深夜よりも深く、静まり返っていた。

――しばらくすると先輩はN新聞の記者と話しながら戻ってきた。
彼は「だめだめ」といった感じで手を振って言った。
「一応撮ったけど、使えんわ。デスクにはオレから言っとくから、自分はもう帰り。お疲れさん」
理由を問おうとする私に先んじてこう付け加えた。
「うちは自殺っぽいのは出さないから」
正直、なぜ出してはいけないのか分からなかった。「火事」は報道する。率先して。火事場の喧噪のなか、野次馬たちに混じって消防士に怒鳴られながら撮った画も「臨場感がない」とダメ出しされたことがある。交通事故を取材したとき、道路にわずかに残った血だまりを撮って帰り「こんなグロいの誰が見たいの?」と叱られた。どこまでが「事件・事故の怖さを伝える良い画」で、どこまでが「使える」のか、新人の私には正解が分からなかった。
あの仕事を離れて、歳も随分と重ねたが、今も判らない。
ただ、轢死体を見せないようにしようとした先輩の優しさは、今でも覚えている。
(#20230211)

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