安田理大選手の引退にそえて
2022年1月4日、安田理大選手が引退を発表しました。
あれ、私いつからファンやってるんだろうと考えてみた時にもうしっかり覚えてないよって感じだけど、ナビスコカップでニューヒーロー賞を受賞した時、おめでとうって思ったから、きっとこの辺2007年位からきっとファンだった。
ゴール前、きれいな曲線を描いて、スポッと音が出そうなくらいきれいに落ちるクロスが大好きだった。
大学生になって初めてミチ君を観にヨーロッパへ行った。
今ほど旅慣れもしていなかったけど、頑張ってバスに乗って練習場にいった。ファンサしてもらおうと思っていたのに、いつのまにか居なくて、焦ってクラブハウスに戻る外国人選手に英語でミチ君居ないのって聞いたら、
「安田に会いにきたのか?笑」って言われて
もうそのポジションの人だったのを覚えてる。
一度でもファンサービス受けたことある人だったらわかると思うけど、凄く優しいよね。
あの時も「カメラ係や!」って言って同じクラブにいたハーフナーマイク選手も連れてきてくれて、お話しして写真を撮ってくれた。
ここから個サポとして現地へ応援に行くライフワークが始まったって今振り返ると思う。
2013年12月25日、私の大好きなサガン鳥栖にミチ君が移籍するというニュースを旅行先スペイン・コルドバで聞いた。めちゃくちゃ嬉しかった。ただ私はスペインに留学中だった。
フィテッセ以降、磐田、神戸、名古屋、釜山、新潟、千葉、松本と全てのクラブに行っているのに大好きな鳥栖にスペイン留学していて行けなかったことだけは後悔。
ユニフォーム、、、
心のクラブのサポーターである側面もある私からしたらワンクラブマンで居てくれる選手は本当に推せる。(本当はこんな言葉じゃ表したくないけど言葉が見つからない)
でも10クラブを渡り歩いたミチ君に付いて行く個サポ人生も最高だった。何がって、サポ仲間に出会えたこと。
今でも連絡を取るよ、日本中は勿論、オランダにも韓国にも友達が出来た。だからね、ミチ君が居なくなった後も試合を観に行った。その街も人も大好きになったから。
ジェフを出る時に、ジェフは特別だったと言ってくれたけど、私にとっても特別だった。
初めて関東のチームに来てくれて、私もシーズンシートを買ってホームゲームは全試合観に行った。これまで基本アウェイメインだったから試合を定期的に観に行ける事も、次の日ユナパに練習を観に行けることも幸せだった。
練習いるって試合出てない証拠だけど、2年目からは試合にもしっかり絡んでくれた。
応援してるよってゲーフラも何枚も作った。
あー楽しかったな。
まだやれると言って来てくれたクラブが私の地元長野県の松本山雅だった。
試合は序盤戦しか見られなかったけど、ずっと娘が追っていた選手が地元に来たと両親も、友達も喜んでくれた。
シーズン終わりのトライアウトに名前なくて、今日の発表までずっとドキドキしてた。
情報上がらないかなって何度も「安田理大」って単語を検索したかわからないよ。
多分まだ実感がない。
でもこれだけは言える。
安田理大というサッカー選手をを追いかけていた時間は最高に幸せで楽しかった。
私の青春でした。
こちらこそずーっとありがとうだよ😊
ミチとの遭遇第二章楽しみ!
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