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Road Mirage

haさんが退職された。
最終出社日は10月下旬だったので、ちゃっぴーを見送ってから1ヶ月も経たないうちに、また大切な人を見送ることになった。

大切な人…じゃ不十分だと思う。
正直入社してからの私の会社生活はちゃっぴーとhaさんに支えられていたし、私が社会人3年目の今抱いている「仕事に対する向き合い方」の理想像は、このお2人によって培われたものだ。

haさんのどんなところを尊敬しているか、という話をするとしたらほとんど澪標で書いたことになる。
けれどhaさんが本当にすごいのは、そのクオリティを毎日何年も弛まず維持してきたところだと思う。

世の中の職業にはそれぞれの難しさがあると思うけれど、私たちの仕事のなかで特に難しいことを一つあげるなら私は「転ばないこと」だと思う。
自分の手元に良も質もことなる事案がランダムに配分され、どれだけオーバーペースであっても受け切るしかない。
押し寄せる波のような仕事に足をさらわれて一度でも転んでしまうと、全てが負のスパイラルに転じる。わかりやすいイメージで例えるならテトリスのようなもので、少しでも溜まってしまうと後は雪崩のようにダメになっていく。

そんななか、haさんは絶対に転ばなかった。
それこそテトリスでいうなら一度も手を誤らずに何千回と続けられているようなもので、私からしたらそれこそ「超人」だった。

さらにすごいのはそこで生まれた余裕をきちんと+αのことに使っていくことで、しかもhaさん個人の評価に繋がらないものも多くあった。

haさんが退職を決めたのはずっと前のことだったし、そこに至る理由もずっと聞かせてもらっていた。
もちろんその理由は一言で書けるものではないのだけれど、haさんがこの仕事にしんどさ以上のやり甲斐を見いだせなくなった理由のひとつが、haさんのプロ意識に周りのひとが少しずつ甘えてしまったからじゃないかと思っている。

haさんは他人の評価や支持に関係なく、自分でやるべきことを考えられる方だ。いつだってhaさん自身が考えるベストを守り続けているし、自分の仕事にプライドをもって品質を保っている。

どデカい成果や分かりやすいプレゼンに比べればひとつひとつは小さい労力の積み重ねで、組織目線では評価しづらかったかもしれない。
けれど他の誰ひとりとしてできなかった組織のサポートをひとりで担っていたhaさんは、いうなれば命綱だった。

それを自分の判断でやっていたのだから、せめて組織としてはそれを正しく拾い上げて評価するべきだったと思う。

haさんは送別セレモニーの挨拶でこんなことを言っていた。

「最後に(筆者を含む)後輩たちへ、採用区分や年次に関係なく、誠実に仕事に取り組んでいるひとがきちんと評価される時代がきっと来ます。」

こう思いながら、辞めると決めてからもなお組織随一の品質を保ち続けてきたhaさんは、どれだけやるせなかったのだろうか。
そして私は、その時代が来るまで走り続けることができるんだろうかと途方もない気持ちになった。


私は今、私が入社した当初のhaさんと同じ年次になってしまった。
上司と面談したとき「担当者を引っ張る立場だったhaさんがいなくなるから、あなたも引っ張って発信していくことを意識してほしい」と言われた。
年次に甘えたり、何かで手を抜いた覚えは全くないし、私は私なりに必死で自分の本分を守ってきたつもりだけれど、私がそうやって目の前のことに必死になれていたのは、haさんが先頭で風を受けていてくれたからだ。
haさんがいなくなってから、歩みを進めるたび、あらゆる角度からhaさんの存在に守られていたことを思い知る。

進んでも進んでも追いつけない絶対的な目標であり、理想であったhaさん。
「road mirage」日本語では逃げ水、地鏡と呼ばれる現象です。照りつける夏のアスファルト、先の方に見えるオアシスのような蜃気楼は、近づけど近づけと永遠に追いつくことはない。
haさんは私にとってそんな存在です。

退職というのは簡単な決断ではなかったはずで、それでも進むと決めたhaさんがその道の先で幸せでいてくださることを心から願っています。
そして私に力になれることが本当に何ひとつ思いつかなくて不甲斐ないのですが、何か少しでも力になれることがあればなんだってしたいと思っています。

偉大な先輩で、大袈裟じゃなく恩人で、ひとりの人として大好きなhaさん。
どうか元気でまた会ってください。

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