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人の価値は「どれだけ稼いでいるか」で決まるものでは決してないはずなのに。

「忙しそうだね」とよく言われる。
全然そんなことないのに。
どうして忙しそうだと思うのだろう。
仕事もなくなりそうだというのに。

2023年。
私は本当に怠惰だった。

社会人11年目の年だったが、おそらく今までで一番働かなかった。労働時間的に働かなかったのではなく、その密度において本当に簡単にできる仕事しかしなかった。

前年(2022年)の年末に父を亡くしたこともあり、上半期は特に体調が悪かった。いつも悲しくて泣いていたし、天気が悪くなれば頭痛、さらにひどいときは歯痛にまで襲われ、そのうえ生理が重なったりすると、もうどうにもならなかった。地球の全重力が自分の体にのしかかってくるようだった。この表現が科学的に合っているのかは分からないが、とにかく大変だった。30代半ばという年齢もあっただろう。

自分でどうにかするしかないので、整体に行ったり(4箇所通ってやっといいところを見つけた)北見の漢方薬局で漢方を処方してもらったり、食事を改善してみたりした。病院に行かなかったのは、医者嫌いとか、西洋医学を信じていないとか、そんなことではなくて「たぶんそういう問題ではない」ということが感覚として分かっていたからだと思う。

やっと、体調が戻ってきたと思ったのは、6月に新潟で大きな図書館をつくる手伝いをしたとき。

数万冊の本を配架する作業。当然、力仕事であり「この本はあっちへ」「やっぱりこの本はこっちに」などという作業が続くので、館内を動き回る。毎日1万歩は歩いていたのではないかと思う。新潟の6月は、湿潤で雨が降る日もあったが、逆にそれが心地よく、ここで私は「体を動かすことって大事なんだ」と身をもって学んだ。

しかし夏になっても、仕事をする気にはならなかった。日々こなしているルーティーンと、本屋の仕事だけ。本屋のほうは、正直なところあまり仕事だと思っていない。楽しくて、好きでやっているから。だからなおさら仕事をしていない感じがした。

思えば、本当に寝てばかりの年でもあった。

昔から寝ることは大好きだったので、とにかく時間があれば寝ていた。秋を迎えて、冬が近づくほど睡眠時間は伸びた。週末にやっている書店も、冬は雪の影響で遠出を避け、必然的に出店日も少なくなる。予定がない日はとにかく昼過ぎまで寝たし、予定があってもその予定に間に合うギリギリの時間まで寝た。たまに間に合わないことがあった。

仕事から帰ってきて、遅すぎる昼寝をして、軽食を食べて、お風呂に入ってまた寝るということもざらにあった。いくら寝ても寝られる日々。

一度、本当に無気力になったときがあって、それこそ夕方帰ってきて19時頃に床に就き、二度寝、三度寝、四度寝を繰り返して翌日の昼まで寝たことがあった。さすがに病気だと思った。

しかし、12月に父の一周忌を迎え、「もう言い訳はできない」と思うようになった。父というあまりに身近な存在がいなくなったことによる不調を、これ以上言い訳にして怠惰な生活はできない。

さらにいえば、もう最初から決まっていたことだが、2024年の3月で平日の4日間やっていた仕事が任期満了を迎えるのだ。

だから、新しい仕事を探す、もしくは作らなければならない。書店の仕事だけでやっていけたら幸せだと思うのだが、この時代にただ「本を仕入れて売る」という行為をするだけで食っていけるかといえば、否だろう。

売ったら粗利がいい品物を扱う仕事がしたかった。けれど、本の定価と粗利はほぼ決められているものだから、こればかりは自分だけの力でなんとかなるものではない。自分の本屋を大切にするために(ゆめゆめ利益などを優先して大事なものを見失わないように)他にできることを探さなければいけない。皮肉だよなぁ。

とはいえ、企業に転職して週5日フルタイムで働くなんて、絶対に無理だと思った。無理というか、いやだった。

年末年始の休暇を終えて(有給を使って成人の日まで休暇を伸ばした)やっと1月の半ば、重い腰を上げて転職サイトに登録……しようとしたけれど、登録する段階での証明書のアップロードや経歴の入力が、あまりにも面倒臭くて途中でやめた。そんなことをしたら、どんどん、どんどん「あるべき社会人」という、私が一番なりたくない(けれど本当はなりたかった、でもなれない)ものに近づいてしまう気がして「やりたくないことをやる自分」がいやでやめた。

(大して頑張ってもいないのだが)なんで、これからもこんなに働くことを頑張らなきゃいけないんだろうなぁと思った。

去年、個人事業主として創作活動を行い、なりわいとしている人の話を聞いた。その人は、子どもはいないが結婚はしていて、夫が生活費を稼いでくれていた。その人から同じ土俵で会話をされることに納得ができなかった。「私たち、頑張っているよね」という感じだった。羨ましさからくる見当違いな怒りがこみ上げてきて、そんな自分にもさらに腹が立った。

その人の「必死」と私の「必死」は種類が全然違うと感じていた。「私は、自分で稼がないと生活できない。だから、好きなことでも本当に必死にやっている。でも、あなたは違うでしょう」と自分を棚に上げた。もちろん心の中で。大人だから。大人なのにあまりにも幼稚だった。

また、別のあるとき。後輩から「今の職場では自分は評価されない。評価されないから給料も一生上がらない。今から転職するのも大変だし、だったらもう結婚しちゃおうかなと思っている」と相談を受けた。聞かなければよかったと思った。結婚したら、もうお金を稼がなくていいのか?夫が稼いでくれたら自分の稼ぎの問題は解決するのか?そう問うてもいいようなニュアンスだった。

そのふたつのことがあって、私は、本当に邪(よこしま)な意味で「結婚っていいな」と思った。そして、私はやっぱり結婚しないほうがいいとも思った。

そうか、女は結婚すれば稼がなくても生活できるのか。好きなことをして、好きなことがお金にならなくても生きていけるのか、とたった2人の女性の生き方、しかも自分に与えられた情報だけで「女性というもの」を判断し、「だから女はきらいだ」と思う瞬間が確実にあった。ここでいう女性は、育児をしている人のことは含まれていない。自分と同じ立場で生きている(でも結婚をしている)女性のことを言っている。

これ以上考えたら、私はミソジニストになってしまう。とにかくその思考は停止した。自分に集中しよう。

(今、この文章を読んで私を嫌いになった人がいても全然仕方がないし、批判を受けてしかるべきだし、その批判に対抗する余地もない)

そして、最近。

私は、また時間があれば眠るようになってしまっていた。予定がない休日の前の日は学生のときと変わらないくらい夜更かしをして、溜まっている仕事があればこなして、本を読んだり、韓国語の勉強をしたり、あるいはただただ動画をあさっている。これを書いている今も、時計は深夜2時を回っている。

全然関係ないのだが、最推しが軍隊に行ってしまい、最近になってその穴を埋めるように推しになった人が1週間に3度はLIVE配信をするので、もうずっとそれを見ている。そして、最近の私は字幕なしでもある程度の韓国語を理解できるようになってしまったので、もうずっと楽しいのである。

今までは字幕がつかないと理解できなかったことが、耳だけでも理解できるようになりつつあり、そうなると「掃除をしながら」「化粧をしながら」「料理をしながら」などの「ながら見」が可能になって、さらに韓国語の理解が進む。本当に、ここまで語学が加速したことは今までない。「語学」という枠を超えて、今まで見つけてきた趣味のなかで、一番楽しいかもしれない。

脱線した。

とにかく、翌日の予定がない日は2時とか3時まで起きていて、翌日は昼過ぎまで布団のなかでじっとしている。

そうすると、自分は4月から本当にどうやって生活していく気なんだろう?ということを考える。なぜか客観的に。

たぶん、今の生活であれば、毎月15万円くらいあればなんとなく生きていけるだろう。とにかく生活費がかからない。20万円あれば全然余裕で、30万円稼げたら毎月旅行に行ける。実際、一昨年はそのくらい、あるいはそれ以上稼いだ月もあって、本当に毎月のようにどこかへ行っていた。(ただ振り返ってその生活がよかったかと問われたら答えに窮する。このことについては、また別の機会に書きたい)

そして、この15万円はどうやって稼いだらいいだろうと考える。労働の種類と拘束時間を厭わなければ、15万円ならいくらでも稼げるだろう。

こんなふうに「どんな仕事でいくら稼ぐか」を考えるとき、私は就職活動のときに、友人がボソッと口にした言葉をいつも思い出す。

「私、将来、駅の掃除をしているおばさんにしかなれなかったらどうしよう」

職業に貴賎はない。職業を差別したり比較する意図も全くない。ただ、そのとき友人は「自分が選択できる労働という行為の種類が『公共施設の清掃』しかなく、社会の隅っこで大多数の人ができる仕事しか与えられず、そのうえ全く稼げないということが怖い」ということを私に伝えた。

その言葉は、以来、私のなかで呪いの言葉となって残っている。

(ちなみにその友人は大学卒業後に外資系の企業に就職して、社会人1年目でヨーロッパへ。その後アメリカの大学院に進学した。大好きで尊敬する友人)

「稼げるか稼げないか」ということが人の価値を図る物差しになってしまっているみたいだ。

「容姿は美しいけれど年収200万の男性」と「容姿は悪いけれど年収1000万の男性」が究極の選択として引き合いに出される社会。正社員だと価値があって、非正規やフリーターだとその人自身の価値が下がるように背けられる(気がしてしまう)社会。

私は26歳から個人事業主だが、フリーランスとアルバイト、あるいはフリーターの境目は、曖昧なものだと思っている。曲がりなりにも本屋を経営しているが、今でも胸を張って「個人事業主です」とは言えない…気がする。

じゃあ、いつになったら言えるかと問われれば「ある程度稼げるようになったら」と答えるような気がする。ある程度(ってどの程度だ)稼げるようになると、自信がついたり、自己肯定感が上がるというようなことが起こる気がする。自分に価値があると思うような気がする。全部、「気がする」だけで、実際はそうじゃないかもしれないんだけど。

人の価値って、本当はそんなところにあるのではないだろう、と思いながらも結局、私も「稼げない=価値がない」と思ってしまっている。こんな世の中に誰がしたんだろう。資本主義だろう。と、大げさなことを考える。「“資本主義に抗う”っていうのが今年の月のうらがわ書店のテーマだな」とか考える。

結婚したら変わるのかなぁ。結婚して子どもが生まれたら、大好きな夫の「妻」であり、守るべき子どもの「母」であるという役割が生まれて、この思考から解放されるのだろうか。私に限っていえば、そんなことはないと思うなぁ。だから、その選択をしてこなかったわけだし。私が一番尊敬しているのは、妻であり、母でありながら、一人前に稼いでいる女性だ。

そんなことを、布団のなかでずっと考えている。とにかく考えている。その非生産的な時間は、ただ過ぎていくだけで金になることもなく(今この文章も何のために書いているのかよくわからない)、自分を社会活動から置いてけぼりにし、自分の価値をどんどん下げ続けているような気がしてならない。

自分の価値は、他者が認めてくれるということも大いにあるだろう。もちろん、他者という存在や周辺環境に左右されることなく、自らが自らの価値を認められる人が本当に強い人なのだろうけれど。

やっぱり「あなたがいてくれてよかった」という他者の声があってこその存在価値なんじゃないだろうか。だって「稼げる」その金額の大小は、他者からの「必要とされている度」と相関するところがあるじゃないですか。必要とされているからこそ、それに見合う対価を頂けているんじゃないですか。

こういうことを書くと「私はあなたを必要としているよ」「あなたの本屋が大好きだよ」と言ってくれる優しい人が必ずいるが、そういうことじゃないというのをこの文章の行間から読み取ってほしい(リクエスト)。

とにかく「布団から出よ、働きに出よう、人と関わろう」ということで、春を迎えるにあたって冬眠から覚める熊のように、のそのそと動き始めたこの数日である。それは北海道民に共通することであるらしく、今年の出店のお声がけや、自らの企画する案件の進行、新しい選書の仕事などが急速に舞い込んできている。

でも、それだけではやっぱり十分には生きていけない気がする。すごく心配だ。本屋としてどこまでやっていけるのか。

一つ一つの仕事を、とにかく丁寧にこなすことが月のうらがわ書店の特技であると胸を張って言うことができるが、それでは生活が覚束ないということもこの数年で見えてきている。量をこなせば質が落ちる。

「一つ一つの仕事を丁寧にこなす月のうらがわ書店」を守るために、他にやらなければならない仕事(安定した食い扶持を確保する、いわゆるライスワーク)というのがあるように感じている。

本当は「あなたはあなたであることに価値があるんだから、ただ生きているだけでいい」とまとめたいのに、現実はそうさせてくれない。社会人は、働いている時間が長いから「労働の本当のところ」を考えないとうまくいかないのだろう。考えなくてもいい人も世の中には多くいるが、私は、考えないと満たされない人種に生まれてしまったので、考えるしかない。来世は絶対に考えない人になりたい。

どういうふうに生きていくのがちょうどいいのか、本当にすごく考えている。ちょうどいいところを探したい。考えるだけではなく、行動しながら。

最後に。そんな抽象的なことを考えている暇があるくらいなら、具体的に働け。と釘を刺しておく。いいから働け。









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