斜陽翻訳 | A Short Story
わたしの叔母は本好きだ。
叔母の家にお邪魔したときに書斎には世界文学全集があった。ドストエフスキー、トルストイ、ディケンズ、ジョイスといった文豪の名が書いてあった。全て読んだと言うのだから驚きだ。
叔母は学者ではなかった。だが大学の英文科で学び、原書で小説を読む。わたしが最後に会ったときには、ブロンテの『高慢と偏見』を読んでいた。
叔母の語学力には敵わない。そう思ったことがある。
学部生のときに親戚の集いで叔母に会ったときに、大学の話をした。当時のわたしは講義でハーディの『ダーバビル家のテス』を読んでいた。そして叔母に『テス』の洋書で翻訳でも意味がとれない箇所がある話をした。
後日、叔母から郵便が届いた。このあいだ話した箇所の翻訳とnortonの註釈のコピーが入っていた。そして手紙には、ちいちゃん(わたし)のわからない箇所はこういう感じじゃないかなと思います、と。
それを読んで驚いた。わたし一人では逆立してもわからない、と思った。要するに、字面を追うだけではわからないのだ。その言葉を発したときのテスの表情を思い浮かべながら言葉を選ぶ必要があったのである。なぜ叔母はそんなことができるのだろう。
それからしばらくして叔母にあったときに、叔母の語学力の秘訣をきいた。答えはシンプルだった。英語をたくさん読む。それから叔母は昔たくさん下訳をしたそうだ。
高度成長期の翻訳が売れた時代、たくさんの英米作家の本が翻訳された。特にアメリカ文学はすごかったらしい。
いまでこそ翻訳は斜陽産業だが、当時はどんどん訳す時代だったらしい。だから有名な翻訳家の名前を借りて、実際には別の人が訳すなんてことも。
叔母の凄さを思い知らされるとともに、わたしもやってみたいと思った。しかし、今は翻訳が売れない時代だ。
それから時間が経過した今の話になる。
今年のはじめに『デーモン・コッパーヘッド』という作品を読んだ。面白い。タイトルからしてディケンズを彷彿とさせる。内容は現代アメリカ版の悪漢小説である。こういう作品を読むと、思わず誰かに話したくなる。でも悲しいかな周りで読んでいる人はいない。そもそも友達がいない。
こういうときこれ面白いから読んでみ、と翻訳を紹介できる人や機会があればと思う。そして、ないなら訳してみたいとも思う。ちなみに叔母に話したいのだが、いまの状況では会えずに話せずじまいである。
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