現在:天才と呼ばれた君へ 2


「天才にしかなれない病気なんです」

天才という言葉は私にとって身近な言葉だった。
幼い頃からなんでも人より器用にこなしたわたしはどこへ行っても同世代からはすごいと言われ、次第にそれは天才という称号に変わっていった。

それは同世代からだけではなかったのがまたたちが悪かった。
「あの子は大物になる」「Aちゃんは将来総理大臣にくらいなるのよ」「あの子は本物だ」

とある有名人にあって言われた。
「君はいつかこちら側にくるかもしれないね」

「天才」「天才」「才能」「大物」「すごい」「優秀」「人と違う」
とうのわたしはそんな言葉気にしてないと思ってた。周りの人達がわたしがそんなふうに振る舞うからわざとそう言ってるんだと、からかってるんだと。

しかし人の評価は思ったより自分を縛っていた。

病気になったあと、萎れたもやしのようになった私を、友達が1晩家に招いてくれた。
その友達のお父さんも私を買っていてくれた。
食事中になんともなしにいったのだ

「Aちゃんなんだか、キレが無くなったね」

そうですかね。
と力無く笑った私は、自分がその言葉にどれほど自分の中の何かが傷ついたかすらわかっていなかったのだ。
今になってもこの言葉が離れない。


そのあと暫くして、大学に入ったあと1番仲が良かった悪友と会った。
悪友は性格は褒められたものじゃないが色んなものを見る目と心はあった。わたしはそういうところが好きだった。
わたしは自分が多重人格になっただなんて言わなかった。ただ療養中で元気がないとだけ言った。
友達はほんの少し私と話したあと顔も変えずに言った。

「つーかお前誰だよ、なんか違くね」

お前なんかもっと……に続く言葉は耳に入らなかった。わたしはその時ショックを受けたことを自分で見逃すことができなかった。

外に出られなくなった。大好きだったバイトができなくなった。大好きだった本が読めなくなった。得意だった数字がわからなくなった。大好きだったドラマが見れなくなった。色んなことを思い出せなくなった。身体が動かなくなった。
楽しいことがわからなくなった。自分が何が好きだったかわからなくなった。なんで好きだったかわからなくなった。自分にとって自然で当たり前だったことはほとんどが無くなっていた。
人が才能の塊だといっていた私は、そのとき気づけば私の中からいなくなっていた事実から、もう逃げられなかった。


わたしは必死で忘れようとした。
過去の自分は過去の自分だと、今の自分を追い求めようと必死に努力した。
しかし何度も何度もちらつく「天才」の私。

彼女だったらどう考えただろうか。
彼女だったらどう解決しただろうか。
彼女だったらもっとうまくやったんじゃないだろうか。
私と彼女は違うんだろうか。
どうしてなにも思い出せないんだろう。
どうしてそんな可能性を棒に振ったんだ。私に辛い人生を押し付けたんだ。

どうして私は何も、できないんだろう。

次第に「天才」の考え方は雲の上になりわたしは過去の私を「彼女」と呼ぶようになった。
実際、彼女が何を考え、思い、苦しんでいたのか全く思い出せないのだ。なら私はもう別人でいいじゃないか。過去の評価を押し付けないでくれ。

1番押付けていたのは、1番しがみついて縋り付いていたのは、私だったのに。


長くなったので続きます。


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