明けまして、さようなら。

ある年の元旦、朝5時。

私は寝ている母を叩き起こし、お雑煮を作ってとせがんだ。

いつもなら9時ぐらいからゆっくり始まる、我が家のお正月。

その年は弟を除く、父、母、私の3人で早朝からおせち料理を囲んだ。


それは、非常事態だった。

長年仕事しかしてこなかったアラサー娘が、

ついに幸せをつかむかどうかという、非常に大切な事態。


私は4日間という、これまでにない短い帰省を終え、

朝7時の新幹線で東京へ向かった。

実家から京都駅までは、父の運転するクルマで。


今思うと、せっかくのお正月だというのに家族を置いて

彼氏でもない男のもとへ向かう娘に、父も母もよく協力してくれたと思う。

一度言い出すと聞かない性格な上に、

私があまりにもその日を楽しみにしているものだから、

どうにもこうにも反対できなかったのだろう。

早く孫の顔がみたいという父は、久しぶりに聞く娘の浮いた話に、

淡い期待を抱いていたのかもしれない。


嬉々として新幹線に乗り込んだ私は、

晴天の中、キラキラと輝く元旦の富士山を見つめ、

「この先の未来は、幸せに違いないっ☆!」などと

富士山と鷹となすびを合わせたよりも、

遥かにめでたい思考をめぐらせていた。



その人とは、前年の5月に何人かの集まりの中で出会った。

夏には2人で会うようになり、

毎週のように出かけては、電車がなくなるまで飲んだ。

特急列車に乗って、紅葉のライトアップを観に行ったこともあった。

誕生日には、サプライズでプレゼントを贈ってくれた。

クリスマス・イブには、焼肉も食べに行った。


そんな彼からの、元旦のお誘い。

今年はいい年になる。新しいスタートが始まる。

そんな期待をしてしまうのは、

「明けましておめでとう」と言われて「おめでとう」と答えるのと

同じくらい、フツウのことだと思う。


が、しかし。

「あとでゆっくり食べられるように」と母が持たせてくれたおせちとともに

東京についた私を待ち構えていたのは、

どこか不機嫌な彼の姿だった。


私たちはその日、あるスポーツの試合を観る約束をしていた。

応援しているチームが優勝し、機嫌を取り戻した彼は、

正月らしい食事をしようと、和食の店に連れて行ってくれた。


いつも通り、楽しい時間が流れる。

実家で親戚の赤ちゃんと遊んだ話や、地元の友達と飲んだ話。

ふだんはあまりしない家族の話に、私は安心しきっていた。

少し面倒くさそうだった朝の彼の顔などすっかり忘れ、

元旦!富士山!ハッピー!モードが「強」になっていた。


「お正月どうする?明日とか、初詣行く?」

早々に関西から東京に戻った私に、翌日からの予定などない。

それは彼も同じで、もう1日くらいは一緒に過ごすものだと思っていた。


しかし彼から出た言葉は、




「明日の朝早く、また実家帰るけど?」



そうだった。彼の実家は関東だ。電車で1時間もあれば、帰れる。

でもだからって…




その後、数時間の話し合いで、

彼と私は、あくまで友達だということが判明した。

自分の気持ちを素直に伝えたけれど、届かなかった。叶わなかった。

それでも「また出かけよう!」「今度は大阪に行こう!」と

笑顔で言う彼の誘いを、私は丁重にお断りした。


明けまして、さようなら。


30数年の人生の中で、もっとも悲しい元旦を過ごした私は

この年、仕事で大きな成果を収めることになる。


半年追いかけた恋を逃した代わりに、

長年追いかけ続けた夢を手にすることができたのだから、

この言葉は、あながち間違ってはいないと思う。


一年の計は、元旦にあり。


#恋愛 #エッセイ #ちゅうハヤ










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