湿った草木

AM11:33、駐車場にて

頭の中で感情たちが好き勝手はしゃぎ回る一方、車の中は静寂が鎮座していた。

窓を開けると、少し湿った草木の匂いと、遠くで囀る小鳥の声が車内へ流れ込む。

私は落ち着きのない頭を持て余し、仕方なく目を瞑って座席へ身体を預けた。一向に止まる気配のない感情を統制する為、懐かしい歌を口ずさんでみる。

引き継ぎの仕事の合間を縫って呼び出したのは、私の最後のわがままだった。

これから訪れる煙草の一本も吸い切れない僅かな時間が、彼女との最後のやり取りとなるのだろう。

頭の中では伝えたい言葉が形成されては崩れていく。気に入らない建造物を取り壊しては作り直させる暴君のように。

暫く頭を暴君へ預けている間に、口から流れ出ていたメロディーも途切れてしまった。


本当は遠くから眺めているだけで良かったのだ。その場所で満足していた筈だった。

3ヶ月前に廊下ですれ違った時、彼女は悪戯な笑みを浮かべて歩み寄って来た。

「今度の人事でうちの課にサプライズがあるの。知りたい?」

「安田さんが産休に入るんですよね?すこーしだけ、お腹が」

「ああ、うんうん、そうね。正式発表はもう少し先になるね、きっと」

それじゃあ、と言って歩き出す彼女。仄かに表情が曇った気もしたが、手にした書類へ視線を戻す内にキャッチした違和感もすっかり流れていってしまった。

2週間前に彼女が辞職すると聞きつけ、私はあの時置き去りにした違和感にガツンと頭を殴られたのだった。長い混乱が落ち着いた頃、遅れて沸々と湧き上がって来た感情の荒波に、今も舵は取り切れていない。


微睡の回想を終え静かに目を開けると、既に彼女はすぐ近くまで歩いて来ていた。髪を後ろで一つにまとめたいつもの姿。これで見納めとなるのだ。凛とした歩き姿にあの髪型は本当によく似合う。


髪留めは私のあげた物ではなかったが。

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