燕三条の包丁と、抗えない血について | まちエッセイ
年と共に、どうしようもない事実がつまびらかにされていく。逃げようもない。私は、母に似ている。
この間、新潟に旅行に行った。燕三条で、新しい包丁を買おうと思ったのだ。使っていた包丁は、小学生の頃、料理をやってみたいという私に母が買ってくれたものだった。数十年も使って刃が欠けてきているし、せっかくだから燕三条で探そうと、旅に出た。
いいものは、やはり高い。なかなか決め切れずにいくつかの店を物色していたら、そこには見覚えのある包丁が置いてあった。まさに、私が使っているものだった。そうだったのか。私はすでに知らずのうちに、燕三条産の包丁を使っていたようだ。もちろん、母はわざわざ新潟まで買いに来たのではない。生協のカタログで選んで、二週間後に来た商品だった。それでも、燕三条産だと分かれば、どうしてもいいものに思えてくる。
新しいものを買うのをやめて、今ある包丁をしっかりメンテナンスすることにした。包丁ではなく、こぼれた刃を直すためのごつめの砥石を買って、新潟を後にした。
母は私を三十で産んだので、私が物心ついた頃の母は四十くらい、つまり、私が知っている母は、それ以降の姿だ。だから今まで特に母と似ていると実感したことはなかった。
しかし先日、実家の整理をしていて出て来たアルバムを開くと、見覚えのない古ぼけた写真が出てきた。そして、そこには自分とよく似た人物が写っていた。
若い頃の、母だった。あまりに私だった。そこで初めて、私は母と似ているのだと自覚した。(とはいえ、私はそろそろ私が知っている母の年齢に近いのだけれど)
実家を出て十五年以上経つが、最近は帰る度に類似点の多さに気づかされる。一日に一度は何かを派手に落とすこと(私も夫に、その派手な音を立てる様から、“どんがら”さんと呼ばれている)、すぐにものを忘れること(母はよく自らを鶏に例えるが、鶏は本当は賢いらしい)、衝動的なこと(子どもの頃、ホチキスを見てやってはいけないと思いつつ、気づけば指をホチキス止めしていたというエピソードを話していた母、私はミシンで指を縫ったことがある)。
また、同じものを同じタイミングで買うこともある。この間正月に帰った時には、見覚えのある体を洗うスポンジが実家の風呂場にあって、思わず笑ってしまった。私も同じものを買ったばかりだったのだ。
二人が揃うと、父と夫は苦笑いしている。騒がしさが二倍になるのだから、それもそのはずだ。
ここら辺までは、私もまだ笑い話として捉えていた。だが、ある決定的な出来事が起きてからは、もはや恐怖を感じはじめた。それが、あの包丁の件だ。
新潟で砥石を買って、私は早速それを使って、包丁をぴかぴかに整えた。今までとは全く違う切れ味に、毎日うきうきしながら料理をしていた。今思えば、それがいけなかったのだ。魔がさして、桃を買ってしまったのだ。もうわかると思うので、詳細は避けるが、(想像力が豊かな人は五行くらい飛ばして読んでほしい。)不運にもその桃はだいぶ熟れていて、なぜか種まですごく柔らかくて、いや、包丁の切れ味がすごかったのか?真相を確かめる余裕がその時はなかったのだが、ちょっと刃を入れただけで種のその向こう側まで包丁が突き抜けたのだ。そして私の手は、血まみれになった。
こういう時、人は妙に冷静だ。とにかく10分くらい、感覚が麻痺するくらい圧迫し続けて血を止めた後、離れてしまった皮膚を必死に指で引き寄せた。これならいけそうだと確信し、バンドエイドのようでバンドエイドでない特殊な素材のあれで、しっかり止めた。周りの皮膚を思いきり引っ張って、無理くり傷口を接着した。現代の技術はすごい、縫わなければならないかと思われた傷は、一週間くらいでしっかりとくっついた。しかし、傷は完全には消えず、少し残ってしまった。
その事件があった後に母と会った時、近況報告もかねて、笑い話としてそのことを話した。すると、母の顔が急に真剣な顔になった。
「・・・その傷、どこにあるの?」
恐る恐る左手にできた傷を見せると、母も左手を私に見せた。そこには全く同じ位置に付いた、同じ形状の傷があったのだ。
「私も前に、やったことがあるのよ・・・。」
あのバンドエイドのおかげで控えめに済んだ私の傷よりも、もう一段階くっきりとした傷が、母の左手にはあった。まだハイテクバンドがなかった時代だ。
私はこの時、確信したのだった。自分の三十年後の姿を今、目の前に見ているのだと。
同じ傷を持つ親子。ファンタジーでよくありがちな、代々額に傷が、みたいな、そういう先天的なものなら、まだよかった。後天的にできる傷ほど、怖いものはない。受け継がれし血は生まれた時からずっと、私に付きまとうのだ。その業からは、逃れられない。
母が、どうか大きなケガなくこのまま年を取れるように、私は毎日祈るばかりである。そんなことを思いながら今日もまた、私は卵を四つほど床にぶちまけるのだった。
(冒頭の写真は、にんにくですけど)
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