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サマスペ! 九州縦断徒歩合宿(20)

 午前と打って変わって足取りは重い。悠介だけじゃない、みんなの口数も少ない。下を向いて今日の目的地の霧島市国分へと歩いていた。国道60号は賑やかな霧島神宮周辺を抜けて、また山道に変わる。

 悠介は顔を上げてふうっと息を吐いた。いつの間にか青い空に積乱雲が張り出している。
「悠介、今日が最終日になるんかな」
 隣に次郎とアッコが歩いている。

「まだ決まったわけじゃないだろ」
「アッコ先輩、さっきなんも言わなかったですね」
 次郎は不満そうに言う。
「先に聞いてたんだよね。さんざん文句言った後だったから」

 あの茶屋で聞いたのだろう。大梅田は二年の武闘派の意見を聞いておきたかったのかもしれない。

「学生部から連絡かあ。そんなにサマスペって危険だと思われてたんやろか」
「保護者に指摘されて、見逃すわけにはいかなかったんじゃないの」
「まあ実際、俺と悠介は野犬に襲われたし、悠介は昨日、倒れましたけど」
「あんなの関係ないだろ。俺、ぴんぴんしてるんだし」

「外からそういう目で見たら、なんの合宿だって危なく見えるよ。あたしはとにかく、あのサークルの事件が大きいと思う」
「なあ悠介、抗議してきた父兄ってやっぱあの人ちゃうかな」
「涼のママだろ。大学にすごく寄付してたら影響力もありそうだよな」

 アッコが「なるほどね」と頷く。
「息子からサマスペのことを聞いて怒り狂ったのかも。メンバーの親だったら当事者だから大学を批判しやすいよ」
「無視したら退学処分か」
 入学金を出してくれた親の顔が浮かんだ。

「全員を退学なんてやれるもんなら、やってみろや。その方が問題になるわ」
「そうだ。いいこと言うな、次郎」
「熊さんが言ってたんだけどさ」
 アッコがぽつりと言う。

「もし処分されるとしたら、幹事長からだろうって」
 悠介たちは顔を見合わせて、また項垂れた。

「おい、走るぞ」
 振り向くとその幹事長と水戸が走ってくる。
「えっ、なに?」
 アッコが目を丸くした。何ごとかわからないまま、悠介と次郎も走り始める。走るなと言ったり、走れと言ったり、忙しい日だ。

「梅、俺は先頭まで走る」
「頼む。避難できたらそこを動くなよ」
 水戸は悠介たちを残して全速力で駆けていく。

「幹事長、一体どうしたんですか」
 悠介は走りながら聞いた。
「ゲリラ豪雨が来る。見ろ、空を」
 さっき見た時の倍くらいに発達した積乱雲が、行く手の空に立ちふさがっている。

「それに風が冷たくなってるだろ。こういう時は危ないんだ」
 そう言えば気温が下がったように感じる。
「あっ、暗くなってきた。本当にくるかも。去年も富山で降られたのよね。もうスコールよ、あれは」

「こんな何もないところでスコールに遭ったら大変やわ」
「それより雷が落ちるかもしれない。どこでもいいから、屋根のあるところに逃げ込むんだ」
「屋根のあるところって言ってもどこへ?」

 左手は急な斜面、右手は畑。雨をしのげる所などどこにもない。
「この先は町に下りていくから、建物が出てくるはずだ。とにかくここで降られたらまずい」
 四人は建物を探して走った。

「どんどん暗くなってくるやないか」
 空を黒い雲が覆った。アッコは右手でリュックのサイドポケットから魔法のように、ブルーのレインウェアを取り出した。
「すげえ、慣れてる」
「二年だからね」

 走りながら器用にすっぽりかぶった。ポンチョタイプだ。
「あんたたちも着といた方がいいよ。急に身体を冷やすのはよくないから」
「アイアイサー」
 次郎がリュックの脇にぶら下げた小袋を取った。袋からレインウェアが出てくる。

「なんだ。みんな、用意してるんだ」
「悠介、何言ってるの。あるんでしょ」
「あるけど……リュックの奥のほうなんで」
「すぐに出せるようにしとかなきゃ駄目だよ。しょうがないな。あたしが出してあげるから」
 てるてる坊主状態のアッコが走りながら俺の後ろに回ってリュックに手を掛けた。

「ああっ、駄目だって」
 悠介はダッシュした。リュックの中には何日も着ていたシャツや下着類が突っ込んである。レインウェアはその地層の奥深くで化石となっている頃合いだ。
 誰にもたどり着けない。それどころかリュックを開けた途端に、アッコは異臭に倒れてしまうだろう。

「きた、きたあ」
 アッコの悲鳴と同時に、大粒の雨が叩きつける。
「痛いな、この雨。こんなん初めてや」
「林に、幹事長、林に入りましょう」

「待った。あそこに何か見えないか」
 何かが動いている。悠介は叫んだ。
「旗だ、旗があります」
「よし、あそこまで突っ走れ」
 大梅田が怒鳴り声を上げた。

「梅、こっちだ、早く」
 水戸がガレージのような建物の中から、手をメガホンにして叫んでいる。斉藤が旗を振っていた。悠介たちは前が見えなくなるほどの雨の中、建物に飛び込んだ。

 由里がアッコの頭をタオルで包んだ。
「ありがと、由里」
 その声が屋根をたたく雨の音でかき消される。

「悠介。なんでレインウェアを着なかったの」
 ずぶ濡れの悠介を見てライトが無邪気に笑った。
「ちょっと諸事情があって」

 歩行中に豪雨に遭遇したのは悠介たちだけだった。全員が避難したガレージには猫のロゴマークが目につく。物流会社の倉庫らしい。広いスペースにコンテナが積まれている。

「あー、ひどい目に遭った。みんな、間に合ったんだな」
「うん。鳥山さんがスコールが来るかもって騒いでさ。暗くなった頃には、僕らはここで待機してたんだ」
 チョウさんも役に立つ時がある。

 タオルで頭を拭いていると、強い光線がガレージの中に射し込んできた。
「あれっ、もうやんだのか。まさにスコール」
「おお、すげえ。みんな、見てみろよ」
 斉藤がガレージの外で突っ立っている。

 悠介は目を細めながら外に出た。豪雨の中を飛び込んだ時はわからなかったが、倉庫の前は丘のようになっていて見通しがいい。斉藤の近くまで歩いた悠介は、眼前に広がる景色に圧倒された。

 黒雲の切れ目から透明なカーテンのような陽光が降り注いでいる。遠くかすむ緑の山肌が、降り注ぐ白い光に撫でられていく。
 輝きながら広がる光の束は地上の汚れをはらうようだった。

「僕、こんなの、初めて見た」
 隣でライトが呟く。みんなが外に出てきていた。
「天使のはしごやな」

 どこからかパイプオルガンの調べが聞こえてきそうだ。
「感動的やなあ。神様が降りてくるみたいや」
「今まで悪いことしてきてごめんなさいって感じだよ」
「二村、お前は何を悪いことしたんや。こら、言ってみろ」

 次郎と二村がじゃれ合う横で、悠介は刻々と変化する光のショーに目を奪われたままだった。
 絶景を端から端まで見渡そうとした悠介は、離れた場所に由里が一人で立っているのに気がついた。

 空を見つめる由里の目から涙が伝った。頬は固く強ばっている。感動の涙ではない。由里はすぐに手で涙を拭う。

 見てはいけないものを見てしまった。悠介は視線を由里からべりべりと剥がした。

 なんだ、あれはなんだ?

 午後の旗持ちの柴田が旗を掲げた。
「さあ、ちょうどいい休憩になったし、引き続き、行きまっせ」
「おっと、もう行くのか」
 伴走の鳥山がカメラの画像を確認している。

「いろいろあるけど、ガンバです」
 柴田は掛け声のように言って走り出した。
「待て待て」
 鳥山が追いかける。

「いろいろあるけど、ガンバ、か。柴田もいいこと言うやないか」
「だな」
 柴田の言葉は、今の悠介たちの気持ちをぴたりと表していた。
 水戸が物流会社の制服を着たおじさんにおじぎをしている。
 悠介も「ありがとうございました」と礼を言って歩き始めた。路面はまだ濡れている。

「ゲリラ豪雨とはよく言ったもんやなあ」
「五分も続かなかったよな」
「でも天使のはしごが見れたのは幸運やった」

 青空を仰いだ。ありがたい天使のはしごは姿を消してしまった。まるで幻だ。だが由里の涙は幻じゃない。一瞬だが確かに泣いていた。
「なんだったんだろうな」
「だから天使のはしごやよ」
「天使か……女神みたいだったな」
「なんや悠介、ぼうっとして。しっかりせいよ」
「わかってる。俺がしっかりしないとな」

 悠介はランシャツの胸を引っ張って風を入れた。もう乾き始めている。
「次郎、俺、やっぱり最後まで歩きたいな」
「もちろんや。途中で止めたら玲奈さんに報告できんしな」
「何かできることないのかな」
「うーん。そう言われてもやな」

 それきり黙って歩いた。町が近いのか建物が増えてきた。交差点にコンビニが見えてくる。悠介はそこに探していたものを見つけた。
「次郎、俺、ちょっと休憩していく」
「えっ、さっき休んだばっかやんか。どっか具合悪いんか」
「違うって。トイレだよ。いいから先に行ってくれ。すぐに追いつくからさ」

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