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サマスペ! 九州縦断徒歩合宿(2)

◇ ◇ ◇ スタート前 太宰府天満宮 

 悠介は天満宮の鳥居をくぐって、駅まで続く参道に出た。スマホを見ると一時十分前。ぎりぎりだが一時の集合には間に合いそうだ。

 宝物殿で高杉晋作の手紙に見入っていたら、あっと言う間に時間が経ってしまった。みんなはもう集合場所に指定された太宰府駅に集まっているだろう。

 石畳の参道を駅に戻っていると、楽しそうな観光客とすれ違う。外国人も多かった。中国語がやたらと耳につく。見知らぬ土地にいる解放感に浸って深呼吸した。

 福岡の暑さはからっとしている。東京のじめっとまとわりつく熱気とは違う。青く澄んだ空は広く、そして高い。

 長野生まれの悠介は九州を訪れたのは初めてだ。西に行ったのは修学旅行の京都奈良止まりだったから、新幹線で博多に着いた時はそれだけで胸が躍った。

 太宰府駅のロータリーが見えてきた。改札から大勢の観光客が出てくる。それを迎えるタクシーの列。バスも何台か停まっている。

「悠介、遅かったな」
 参道の終わりの土産物屋で同期の二村に声を掛けられた。キノコのような髪型と垂れ気味の目が有名な芸人そっくりだ。

 そう言えば悠介はM―1グランプリに毎年出場を続ける、兄弟漫才コンビの弟に似ていると言われる。

「お参りしてた。二村はこんな所で餅なんか食べてていいのか」

 二村は名物の梅ヶ枝餅をぱくついていた。鹿児島ではなくメタボまで一直線って感じだ。

「俺はもう手続きを済ませたから」
「手続きって?」 
「いいから早く行けよ。ほら、おっかない幹事長がしびれを切らしてるぞ」
「やばい」

 悠介は駆け出した。駅看板の下に集まっているのが同好会のメンバーだ。昨日のうちに東京から連れ立って来ていたのだろう。

 悠介は昨夜、アパート近くのコンビニで十時までバイトが入っていたので、今朝六時東京発の新幹線のぞみに乗って来た。一人の方が気楽でいい。

『ウォーキング!同好会、サマースペシャル、九州縦断徒歩合宿』。このイベントの正式名称だ。面倒なのでみんな、サマスペと呼んでいる。

 同好会員は八十名を超えるのだが、このサマスペは自由参加で、総勢は悠介を入れて十三名だけだ。

 その人数からして不吉な集団がたむろしている場所には大型リュックや鍋釜が乱雑に置かれていて、観光客が避けて通っている。そこだけ近寄りがたい雰囲気を醸し出していた。

 集団の真ん中に長身のスキンヘッドが立っていた。大梅田幹事長だ。その風貌からは何とも言えぬ迫力が滲み出ている。気安く声を掛けられない。できれば近寄りたくもない。

「すいません、遅くなりました」
 悠介は荒い息遣いをしてみせた。

「おう、悠介、お前が最後だぞ」
 バリトンのように低い声。

「ちょっとだけお参りしようと思って」

 隣にいた副幹事長の水戸が悠介のリュックをぽんと叩いた。
「のんびり見物してたんだろ。ウソですってこいつが言ってるぞ」

 ウソ のお守りをストラップでリュックにつけたのを思い出した。鷽はスズメの仲間らしい。愛らしい目に「御利益あるよ」と言われた気がして、つい買ってしまった。

「いえソッコーで。往復走りましたから」

 水戸が「ふーん」と人懐こい顔で笑う。大梅田はにこりともしないで睨む。
「金と電気がないと動かないものはすべて出せ」
「はい?」

 何かのクイズか、と首を傾げる。大梅田は傍らに置いてあった段ボール箱に手を伸ばした。眉の辺りが骨格そのままに張り出している。悠介はクイズの答えを思案しながらも、人類はゴリラと祖先が同じことに思いを致す。

「早くしろ。もうすぐ出発だ」

 大梅田に突きつけられた段ボール箱には、財布とスマホがぎっしり入っていた。携帯ゲーム機とウォークマンも混ざっている。金と電気がないと動かないものたちだ。

「これ、みんなのですか。どうするんですか」
「おい、新人教育担当、説明してないのか」

 二年生の斉藤が頭を下げた。頭頂部が薄い。

「こいつ、サマスペの説明ミーティングに来なかったんで」
「ラインでも電話でもして教えとけよ」

 斉藤が「すいません」と頭を掻く。大梅田が「ふんっ」と荒い鼻息をついて悠介に向き直った。

「ゴールの鹿児島まで宅配便で送るんだよ」
「鹿児島? でも――」
「心配するな。貴重品扱いで送る」

 いや、そういうことじゃなくて。

「悠介、決まりなんだよ。ぐずぐずするな」
 柴田が隣に来た。六人いる一年生の参加者の中では、見た目も発言も一番かちっとしている。学級委員に自分から立候補するタイプだ。

「みんな、待ってるんだぞ」

 仕方なくハーフパンツの尻ポケットからアイフォンを、リュックから財布を出して、そっと箱に入れた。正に想定外。浮かれ気分は消し飛び、前途に暗雲が立ちこめる。

「よし、これで全部だな」
 大梅田が地面に箱を下ろした。ガムテープで封をして、住所の書き込まれた宅配伝票を貼る。

「そんじゃ俺、窓口に出してくるわ」
 水戸が箱を受け取って、どこかに歩いて行く。神速の流れ作業。トイレに行くにも風呂に入るにも、片時も離さない悠介のスマホが拉致されていく。

 インスタもツイッターもできないということだ。九州の写真も撮れなければJ―POPもラジコも聴けない。そんな生活は想像できなかった。悠介は堪らず言った。

「ケータイや財布を取り上げるなんて、どんな意味があるんですか。これじゃ軍隊ですよ」

 周りの会話が途絶えたのがわかった。大梅田に異分子を見るような顔でじろりと睨まれた。お前はどうしてここに紛れ込んだんだと言いたいのかもしれない。

「幹事長、そんな奴、放っておきましょうよ。スタートすれば嫌でもわかりますよ」
斉藤が固い声で言う。悠介は一瞬でアウェーになってしまった。

「悠介君、ちょっといいかな」
「あっ、はい」

 悠介はその声に反射的に向き直った。由里がビニール袋を持って立っていた。

「食料や嗜好品は全部出して。飲み物は水以外」

 不意に現れた由里との距離の近さに思考が止まる。

「その煙草も」

 悠介は我に返った。
「えっ、煙草?」

 由里は悠介のシャツの胸ポケットを見ている。
「悪いけど捨てるから」

 にこりともせずに言う。由里も幹事長側だということを理解した。観念するしかない。悠介は封を切ったばかりのメビウスライトを袋に入れた。

「禁煙なんですか」
「うちの同好会に煙草なんか吸う人いないから。大体、まだ二十歳前でしょ」
「はあ」

 大学に合格して東京で一人暮らしを始めた日、初めて煙草を吸った。今時はやらないのはわかっていたが、机にかじりついて受験勉強をしながら思い描いていたのだ。引っ越したアパートで段ボール箱に囲まれて煙草に火を付ける自分の姿を。

「みんな、準備はいいか。出発するぞ」
 大梅田が大声を出す。思い思いに準備運動をしていたメンバーたちが「おう」、「はい」と返事をして、リュックを背負った。ウエストベルトを締めるカチリという音があちこちでする。

「悠介、これを持て」

 大梅田にポールに結んだ旗を押しつけられた。同好会旗だ。誰かが口笛を吹いた。

「このサマスペのことはな、旗を持てばわかる。俺もそうだった」
「それはどういう……」
「いいか、悠介。先頭を走れ。決して誰にも抜かれるな」

 走る? 徒歩合宿でしょ、これ。

「幹事長、あたし、伴走します」
 そう言ってアッコが悠介をにやりと見た。

「おお、アッコ、頼む」
 大梅田は自分のリュックを担いで手を上げた。

「みんな用意はいいな。今日の宿泊地は久留米市、国道3号を南下する」

 大声を上げる幹事長に、駅前の観光客が立ち止まる。何かのロケだと思っているのかもしれない。ケータイを出して写真を撮る者もいた。

「グーグルマップによれば歩行距離は二十二キロだよ」
 記録班で三年の鳥山だ。茶髪にピアスをした顔がタブレットを見ている。あれは電気がないと動かないものではないのか。

「初日の足慣らしにちょうどいいな」
 戻ってきた水戸が笑う。

「この道を真っすぐ行って、太宰府郵便局の先を左折すれば、ぶっとい国道3号だ」
 大梅田の低音がロータリーに響き渡った。

「おっし」
「了解」

 威勢のいい声が答える。急に集団のボルテージが上がった。悠介は目を泳がせる。耳に入ってくる言葉の意味がわからない。

 さっき何て言った? 俺が先頭? 抜かれるな?

「間違えて博多に行くなよ」

 興奮した笑い声。空気が張り詰めていく。
 大梅田が息を吸い込んだ。ゴリラのような厚い胸が膨らむ。誰かが唾を飲み込んだ。

「よおし」
 大梅田が天に向かって叫んだ。それが合図なのか、上級生たちが「おお」と腹の底から喚く。悠介たちのいる空間だけ、温度が数度上がったような気がした。

「行くぞ。サマスペ。九州縦断スタートだ」

 その瞬間、誰かに背中を強く押された。

「走れ、旗持ち」

 悠介は訳もわからずに走り出した。先輩たちが鬼の形相で追いかけてくる。

「うおー」
「一年生、全力疾走」
「ゴー、ゴー」

 殺気だった先輩たちの怒声。悠介は百メートル競走並みの猛ダッシュをした。背中のリュックの中で、アルミの食器が音をたてる。

            ◇ ◇ ◇ 

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