サマスペ! 九州縦断徒歩合宿(19)
九日目★★★★★★★★★
「よおし、飛ばすぞお」
斉藤が旗を手に何度もジャンプしている。悠介たちは昨日泊めてもらった寺の前で、朝のスタートを切るところだ。澄んだ清らかな空気を吸い込む。
よし、気分爽快だ。
「和尚さん、ありがとうございました」
斉藤は門前まで見送ってくれた住職さんにおじぎをする。
「はいはい、気張りなさいよ」
「行ってきます」
そう言うやいなや猛然とダッシュした。
「おい、斉藤。速すぎる」
伴走の高見沢が必死で追いかけていく。二人の背中はすぐに小さくなった。ほかのメンバーも走るがスピードが違う。
悠介も条件反射的に駆け出しそうになったが、水戸から今日は走るなよと厳重に注意されているのを思い出す。
「斉藤、やる気満々だね」
歩き始めた隣にアッコが並んだ。スポーツ医学や応急処置を学んでいるアッコは、昨日倒れた悠介のお目付役らしい。
「あれじゃあ、伴走の高見沢さんの方が大変ですね」
「昨日、悠介を追いすぎて反省してるんじゃないの。だから午前の旗持ちを志願したんだよ」
「新人は全員喜んでますよ。旗持ちが一回減るんだから」
「後輩を追い立てるより、自分が走った方が気が楽だしね」
「そういうこと?」
「あいつは新人担当だからさ。新人全員を俺が追い込まなきゃって、プレッシャーを感じていたんだと思うよ」
「後輩をしごいて喜ぶタイプだと思ってた」
アッコは「まさか」と笑った。
「一年の時はへなちょこのおふざけキャラだったんだから」
「斉藤さんが?」
「一人ボケツッコミをしてたよ。悲しいかな、ギャグのセンスがないんだけど」
「朝食の時に妙なことを言って一人で笑ってたけど、あれがボケツッコミ?」
次郎たちがどう反応して良いのか困っていた。
「ああ、そうそう。あれが普通だから。新人を追い立てるのは昨日でお役御免ですって宣言してるのかもね」
「ふーん、お仕事終了ってことか」
あれが素のキャラだとしたら、斉藤だってこれまで相当に無理をしていただろう。
斉藤の持つ旗はもう視界から消えていた。
「アッコ先輩も走ってきたら。俺、大丈夫ですよ」
「いいから、いいから」
「よお、悠介。復活したか」
鳥山に肩をたたかれた。いつものように記録用のカメラを向けている。
「もう全快です。って言うか、大したことなかったんで」
「あのやたら辛い豚キムチ丼をぺろっと食べたんだから心配ないよね。次郎ったらキムチの特大パック、全部入れたらしいよ」
アッコが唇をひん曲げた。激辛キムチの味を思い出したのだろう。
悠介たちの到着を待ち構えていた次郎がよそってくれた豚キムチ丼は
ばか次郎、何考えてんだ、いくらなんでもキムチ入れすぎだろ、と叫びそうになるほど辛かった。
でもうまかった。はふはふ言いながらお代わりをした。そして夢も見ないほど熟睡した悠介は、次郎の「起床おお」の号令が掛かる前に、すっきり目が覚めていた。
「いやあ、記録班に協力ありがとうな。ほんと悠介はおいしいよ。絵になる事件に事欠かない」
鳥山はカメラの画像を確認して笑う。
「倒れた翌日も元気に歩くアイアン悠介、ってキャプションにしようかな」
「チョウさん、もういいでしょ。俺じゃなくてほかの人を撮ってくださいよ」
二日前の食当以来、鳥山とアッコには気安く話してしまう。鳥山は後輩にいじられるのが嫌いじゃないらしく、悠介やアッコがチョウさんと呼ぶと目尻を下げる。
「へいへい、それじゃあね」
鳥山は右手をひらひらさせて走り去る。黄色いリュックが揺れた。
「カメラとタブレットか。チョウさんの荷物って結構多いんじゃないかな」
商売人の二村ほどではないが、大型のリュックは重そうだ。
「そうだね。コンパクトカメラにタブレットも小型だけど、予備のバッテリーとかも持ってるだろうし。なんだかんだで一キロくらいにはなるんじゃないかな」
ビックリおにぎり三つ分を余計に背負っているということだ。腹に入れて軽くするわけにもいかない。少しでも荷物を軽くしたい悠介からすれば、尊敬に値する行為だ。
「チョウさんの運動量って、実はあたしたちの中で一番かもしれない」
「あちこち撮影して走り回ってるもんなあ」
「チョウさんのくせに、そこは偉いよね」
アッコは「それよりさ」と言って後ろ向きに歩く。器用な人だ。
「さっきから梅さんと熊さんが、あんな感じなんだけど」
「梅さん、熊さんって落語ですか。長屋にいそう」
振り返ると、大梅田と水戸が何か話しながら歩いている。
「俺、水戸さんが難しい顔をしてるのは見たことがない」
「うん。なんかあったね、あれは」
「今日のルートのことかな。霧島って活火山なんでしょ」
アッコが笑い飛ばした。
「今は落ち着いてるし、あたしたちは火口を見に行くわけじゃないからね。歩く道は一般道で、火口を大きく回り込んでるからそれは問題ないよ」
「じゃあなんだろ」
「なんだろうね。そうだ、悠介。そろそろ水、飲んどこうか」
「えっ、まだ喉、渇いてないけど」
「いいから。渇いたと感じる前に水分補給」
抵抗しても無駄だと思った悠介は、リュックから500CCのペットボトルを出して半分飲んだ。初日に用意した二リットルのボトルでは小まめに飲めないから、その都度、このペットボトルに注ぎ足すようにしている。
「あたし、ちょっと、悠介にねたみモードなんだよね」
「はあ?」
「サマスペで倒れて点滴を打たれるなんて、ドラマの主役みたいじゃん」
「どこがですか」
「悠介はレジェンドになるかもよ」
「レジェンド?」
「ウォーキング!同好会のレジェンドだって。東京に帰ってほかの会員が聞いたらリスペクトものだよ。野犬に襲われて、土下座して、救急車なんて、さ」
「ちょっと、まん中のは」
アッコが「へへっ」と笑う。
「わかってる。内緒、内緒」
三つつなげて言われると、おかしな誤解をされて伝わりそうだ。リスペクトどころか笑い物になりかねない。
「あーあ、あたしも倒れようかな」
「アッコ先輩は倒れないんじゃないの。元応援団だし」
「まあね。筋肉がちがちの野郎どもに混じって合宿をしてきたから。体力的にはサマスペよりきつかったかもね」
さぞかし壮絶な合宿なんだろう。
アッコが前を指さした。
「へえ。こんな山の中にこじゃれた店があるよ」
お寺の掛け軸に描かれているような建物がぽつんとあった。『峠の茶屋』と看板が出ている。店の前に赤い布を掛けた長いすが二脚並んでいた。
「悠介、あそこに座らせてもらおうか」
「休憩ならまだいいけど」
「そう? あたし、ちょっと過保護?」
「そうですよ、調子狂っちゃうって」
「おーい、アッコ」
後ろで水戸が手を振っている。
「ちょっといいか」
「はい、今いきます」
アッコは俺をじっと見た。
「悠介、後ろから見てるから。走っちゃ駄目だよ」
由里や斉藤じゃないんだから、自分から走るわけがない。
「はいはい。じゃ俺は先に行きますよ」
歩きながら後ろを見ると、三人が茶屋の椅子に腰を下ろしている。梅さん、熊さんの長屋の会話に、ちゃきちゃき娘のアッコ姉さんが加わった。
しばらく歩いてからまた振り返ると、三人がばらけて歩いている。今度はアッコまで難しい顔をしている。
後ろから三人に見られていると思うと、見張られているようで居心地がよろしくない。悠介は景色を眺めながらマイペースで歩くことに専念した。
道ばたに生えている背の高い植物は、南国を思わせる。もうすぐ鹿児島県に入るのだから、植生が変わってもおかしくない。
頭の中に太宰府からのルートを描いて歩いていると、誰かが日陰に座っていた。あのロン毛は次郎だ。
「よお、悠介。いけるか」
「みんなして俺を病人扱いするんだな」
次郎は「まあまあ」と立ち上がった。にやにやしている。
「聞いたぞ。お前、せっかくの焼き肉を辞退したんやってな」
「あっ、なんで知ってるんだよ」
「斉藤さんが言ってた。世にも珍しいやつだって」
「あの人、意外に口が軽いなあ」
「なんか急に、にこにこ絡んできて気持ち悪いわ」
「もともと、そういう人だったらしいぞ」
「へえ? 二重人格か」
「それにしても、焼き肉の話は内緒のはずだったのに」
悠介は少し照れくさくなる。
「悠介、どっかおかしいんと違うか。なんで食べなかったんや」
「えっ?」
てっきり賞賛されると思っていた悠介は唖然とした。
「でもさ、次郎だって俺の立場なら食べないだろ」
「俺なら大喜びでばくばく食べた。間違いない」
「……食べてもよかったのか」
「当たり前や。医者に栄養つけろって指示されたんやろ。水戸さんがいいって言った上に、斉藤さんも食べるんなら、誰か他に怒る人がいるんか」
悠介は真剣に時間を巻き戻したくなった。タン塩、カルビ、ハラミ、ロース……網の上でじゅうじゅうと音をたてる牛肉たち。首を振って頭から振り払った。
「俺はな、次郎シェフの作った、あの激辛豚キムチ丼を食べたかったんだよ」
「おっ、そうか。うまかったやろ。スーパーで特売してたんやよ」
次郎は嬉しそうに笑う。
だからって入れすぎだろうとか、味見はしたのかとか、どういう味覚してるんだとか、腹をこわしたらどうしてくれるんだとか、言いたいことは九州の山ほどあったが、やめておいた。
「おお、あれ見ろ、悠介。鹿児島や」
「えっ、マジか」
『高千穂牧場』の看板が目立つ交差点に小さく『鹿児島県』の表示がある。
二人は駆け出していた。鹿児島県の文字の下で、悠介は息を吸い込んだ。
「やったあ」
次郎とハイタッチした。太宰府を出発して九日。福岡、佐賀、大分、熊本、宮崎を走破して、ついに最後の鹿児島県に突入したのだ。
表示の下で道路を見回す。
「この辺りが県境だよな。線かなんか引いとけよな」
「この標識、さりげなさすぎや。こんな大事なもん、見逃したらどうするんや」
今の悠介たちほど県境にこだわる人間は、日本に存在しないだろう。二人でひとしきり騒いでから、また歩き出した。
「なんか俺、興奮してきたわ」
「俺も。ふわふわしてる。車にぶつからないようにしないとな。ここまで来たんだから」
「九日も歩いたんやもんな。そして今日から九月や」
「九月か。今日が何日かなんて忘れてた」
「サマスペにカレンダーは関係ないもんなあ」
歩くうちに観光客の車が増えてくる。
「おっ、急に開けてきたな」
道幅が広くなり、店が両側に出てきた。県境から二キロほどになる。歩いた時間で歩行距離がわかるようになっていた。
悠介の場合、二十分歩けば二キロになる。時速六キロだ。
「はあ、でっかい鳥居やな」
交差点の右手に鳥居がそびえている。
「霧島神宮の入り口だもんな。こんなに高い鳥居、見たことない」
三車線の車道をまたぐように立っているのだから相当の幅がある。
「霧島神宮か。ちょいと見てみたい気がしないか、悠介」
「パス。体力を温存したい」
次郎が「へえ」と悠介を見る。
「そやな。あと少しやもんな」
今日を入れてあと二日。もうカウントダウンだ。
「次郎、聞いたか。サマスペのゴールは城山っていう展望台らしいぞ」
「あのな、知らないのは悠介だけやぞ。そんなん、説明会で聞いてるわ」
「なんだ、そうか」
「太宰府のスタートと城山のゴールは、はなから決まってるからな。城山からは桜島が手が届くくらい、大きく見えるんやと。おっと旗や」
観光案内所と看板のある建物があった。その駐車場の一角に先行していたメンバーが座っている。着ているものはしわが寄ったり汚れたりしているが、表情には精気がある。もう心は城山に飛んでいる。
「おっ、悠介。今日は大丈夫か」
旗持ちを終えた斉藤が大声を上げた。こうして見ると笑顔は人懐っこい。隣で高見沢がやれやれといった顔をしている。
「ばっちり快調です」
「悠介、焼き肉、残念だったね」
ライトが言うと、みんなが笑った。昨日のことはすっかり知られてしまったらしい。
「あーあ、どうせばれるんだったら、食べときゃよかったなあ」
頭をかきながらリュックを下ろして座った。本当に食べていたら斉藤は喋らなかっただろう。そのくらいはわかった。
「いらないなら俺たちに分けてほしかったよ」
二村が腹をさすってみせる。爆笑の渦。由里だけは、そっとほほ笑んでいる。「悠介君、焼き肉、食べなくて偉かったね」と褒めているようだ。
「全員、そろってるな」
大梅田が駐車場に入ってきた。水戸とアッコも到着する。大梅田の雰囲気がいつもと違う。水戸もアッコも押し黙っている。そして残りのメンバーは戸惑っていた。
おかしな空気の中、食当からおにぎりが配られた。
「食べながら聞いてくれ。大事な話だ」
誰もおにぎりに口を付けない。
「実は大学から連絡があった。今朝、俺のケータイにメールが届いていたんだ」
「大学からですか?」
斉藤が疑問の声を上げる。
「学生部からだ。内容は、サマスペを中止するようにという通達だった」
「なんですって」
悠介はおにぎり片手に叫んだ。霧島神宮の上がり口は騒然とした。
「詳しく教えてください、幹事長」
高見沢が代表するように訊く。
「父兄から大学宛てに抗議の電話があったそうだ。サマスペという合宿は、極めて危険で学生の本分を逸脱している。即刻中止するべきだと」
「父兄?」
「父兄って、俺たちの親ってことですか」
「誰ですか、それは」
「俺、親になんかサマスペのこと話してないけどな」
悠介だってそうだ。
「そんな一方的な指示に従う必要はないですよ。僕ら、大学生ですよ」
高見沢が珍しく声を荒らげた。
「俺もその通りだと思うよ。学生の活動にこんな口をつっこんでくるなんて異例だ」
高見沢に答えた水戸が続ける。
「ただな、学生部の指導を拒否すれば、同好会は解散しないといけない。とにかく学生会館の利用と補助金が認められないのは確かだな」
「そこまで言ってきてるんですか」
「それだけじゃない」
水戸に視線を向けられた大梅田が歪めた唇を開く。
「中止をしない場合は、会員の退学処分もあり得る、ということだ」
十二名が作る車座に沈黙が降りた。
「退学って、そんな……」
斉藤が立った。
「幹事長はそれで言われるままなんですか。反論しなかったんですか」
大梅田がじっと斉藤を見た。
「午前中に何度か学生部とやりとりはした。だが思ったよりも強硬だった」
斉藤が息を吐いて黙った。大梅田の交渉が通じないのなら誰がしても無駄だろう。
「例のイベントサークルの問題で、締め付けが厳しくなっているんだと思う」
学内でも素行が悪くて有名なサークルが、事件を起こしたばかりだった。新歓合宿で酒を飲んだ上級生の一人が、車を運転して子どもをはねた。
とんでもない大ばか野郎だ。マスコミ沙汰になって、そのサークルは解散。退学者も出したことは全員が知っている。
「あんなのと一緒にされてるんですか」
「ふざけんなよ」
「あいつらのいかれた合宿とサマスペは真逆じゃないか」
大梅田は声が収まるまで待ってから言った。
「みんなの気持ちはわかる。しかし現実のことだ。よほど影響力のある人からの抗議らしい」
「だけど幹事長……」
「今日はこのままサマスペを続ける。山の中で中止などできないからな。学生部も渋々了解した。明日の最終日をどうするかは今晩、みんなの意見を聞いて決めようと思う」
悠介たちは顔を見合わせた。
「これから歩く午後が最後のサマスペになるかもしれない。そのつもりで歩いてくれ」
大梅田の顔が紅潮していた。怒っている。それとも苦しんでいるのか。
「水戸、鳥山。来てくれ」
三年生が離れた場所に歩いて行く。三年だけで話し合うのだろう。
「なんだよ、それ」
斉藤が足を投げ出した。悠介は手にしたおにぎりを見つめた。
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