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サマスペ! 九州縦断徒歩合宿(21)

「とにかくあと一日じゃないですか。なんとしても続行です」
 静かな寺のお堂に斉藤の声が響いた。
「あたしも賛成。大学がなんと言おうが、最後まで歩こう。これは学生の自治の問題だよ」
 アッコも鼻息が荒い。

「みんな気持ちは同じだと思う。ただ、幹事が処分されるのはたまらない」
 高見沢が抑えた声で言う。みんな黙ってしまう。
 もう何度もこの繰り返しだ。

 国分駅近くの寺を借りて夕食を終えた一行は、サマスペを続けるかどうかを議論していた。もう二時間近く経つ。堂々巡りだ。
 次郎があぐらのまま「なんなの」と後ろに両手をついた。
「サマスペのおかげでSNSをやめられそうやったのに」
 張りつめていた空気が緩んだ。

「何、そのつまんない動機は」
 アッコが次郎の床に着いた手を払った。次郎は見事に腹を見せて転がる。
「何しますのん、ねえさん」

「俺もおかげで九キロ減量しましたよ」
 ふくよかな頬は変わらない二村だが、腹が見違えるほどへこんだ。太宰府で梅が枝餅を頬張っていた男とは思えない。目に見えるサマスペ効果だ。
「この分なら、明日も歩けば十キロのダイエット目標達成なんだけどな」 

「SNSもダイエットも、幹事の退学と引き替えなんてあり得ないだろ」
 柴田が硬い声で言った。
「わかってるって」
「冗談に決まってるやないか」

 また振り出しだ。チープカシオに目をやった。もうじき八時になる。
 やっぱり無駄だったか。
 悠介のささやかな抵抗は自己満足でしかなかった。

「俺、思うんやけど」
 次郎が髪をかき上げた。
「黙って続けちゃ、まずいんですかね」
「えっ」と声が上がる。

「大学には中止したって言えばいいんやないかと」
「おう、次郎。それ、いいな」
「どこかで監視してるわけじゃないもんな。残念ながら最終日の前日で中止しました。学生部にはそう報告すればいいんだ」
 悠介は心の中で「うーん」と唸った。

 何か違わないか、次郎。

「それはどうだろうな」
 水戸がちらりと大梅田を窺うが、ボスゴリラは顔をしかめたままだ。

「そんなの、駄目」
 由里の声がその場に響いた。ずっと黙っていた由里は、体育座りして両膝の前で手を組んでいる。
「どうしてそんな嘘をつくの。そんな必要ない」
 力強い由里の声に、全員が注目した。

「ねえみんな。サマスペはそんな嘘をついて続けるようなイベントだったの。どんなにきつくたって、人に笑われたって、私たちは胸を張って歩いてきたじゃない」

 そうだ、その通りだ。
 悠介は拳を固めた。

「僕、由里さんに賛成です」
 ライトが目を輝かせている。
「僕ら、サマスペのおかげで、何があっても本音で言い合える仲間になれた。ここまで歩いてきて絆が、同期の絆ができたんです」

 ライトが膝立ちになって、同期の悠介たちに目をやる。
「そうだよね、二村、次郎、柴田、悠介」
「ああ」
「そうや」
「おお」

「悠介も、そうだろ」
 悠介の中でライトの言葉がぐるぐると回っていた。
「絆……」

 サマスペを経験しなければ、その言葉も意味することも悠介は拒否したまま、生きていっただろう。

 サマスペというイベントの意味がすとんと腹に落ちた気がした。苦しくて辛くて意味不明なこの旅は、仲間との絆を作るためのものだ。

 阿蘇の山々を眺めながら、高見沢はサマスペの意味を聞いた悠介に言った。「質問しているうちは、言葉で教えても理解できない」と。
 そうだ、自分で感じるしかないんだ。

 悠介はライトの視線を正面から受け止めた。
「そうだよな、絆なんだよな」
 ライトが頷く。
「嘘をついてこっそり続けたら、僕らの絆が安っぽくなっちゃう」

「俺だってサマスペのことが、大学に理解されないのは悔しいですよ」
 歩き通せばゼミに入れるとだまされて参加した柴田が言う。
 由里は続けた。
「私はサマスペが不真面目なサークルと一緒にされて中止になるとか、嘘をついて続けるとか、そんなの許せない。絶対に」
 由里の小柄な身体の輪郭がくっきりした。

「由里ってサマスペになると、ほんとキャラが変わるなあ」
 鳥山がからかうように言った。
「チョウさん、こんな時にふざけないでよ」
 アッコがにらみつける。その時、由里の頬を一筋の涙が伝った。

「えっ、由里、ごめん。俺、そんな悪いこと言っちゃったか」
 鳥山がうろたえる。
「私はサマスペを守らなきゃいけないんです」
 由里は少し抑えた声になる。膝の前で拳を握った。

「私の父は、三年前に亡くなりました」
 場が静まった。アッコが心配そうな顔をして立った。
「由里、どうしたの」
「私のせいだった」
「えっ?」
 アッコは由里の隣に来て座る。

「私が高校二年の時、父と二人で買い物に行った帰りでした。すごいスピードで歩道に乗り上げてきた車から、父は私を守って」
 由里は顔を手で覆った。

 唐突な告白に誰も声が出ない。なんて声を掛けたらいいのかわからない。 
 アッコがおろおろしている。

「私、次の競技大会のことで頭がいっぱいで。注意してればあの車に気がついて逃げられたはずです。そうしたら父は、あんなことには……」
「あたし、知らなかった。お父さんは車にはねられたとしか……」
 アッコは由里の背中にそっと手を回した。
「そんなことがあったなんて」

「まだ四十八歳だったんだよ。仕事だって趣味だって、やりたいことたくさんあったはずなのに。私をかばって死んじゃうなんて」
 自分をかばって親が死ぬ? 悠介には想像もできない。

 アッコの目から涙が落ちた。
「あたし、ばかだね。由里の気持ちを考えずに、ずっと元気を出せなんて言って」
 由里は慌てたようにかぶりを振った。
「ごめんね。アッコにも言えなかったんだ。いつも励ましてくれてアッコには感謝してるよ」
「一人で抱え込んで、辛かっただろうね」

「由里、俺も悪かったよ。からかったりして」
 鳥山が頭をかいた。
「それでその……お父さんのことが、サマスペと?」
 存在そのものがチャラいチョウさんにしか聞けない質問だった。

「父はこの同好会のOBなんです」
「えええ?」とアッコ。
 みんなが呆気にとられた顔になる。大梅田が「本当か」と呟いた。

「昔のOB名簿に平野という名前があるはずです。幹事長だったんです。お酒に酔うといつもサマスペの話をしてくれました。すごく楽しそうだった」
 ゴーゴー岡崎の現役の頃だろうか。

「父の遺品を整理していたときにノートが出てきて、そのノートにはサマスペ……当時の夏合宿のことが、詳しく記録されてました。先輩から引き継いできたことも、父の代で起きたことも」
 由里の目が涙で光っていた。

「ノートを読んだら父の頃も、合宿は大変なことばかりで……。ルートを決めるときの苦労、土砂崩れで道が通れなかったこと、蜂の群れに追いかけられたこと、ケンカしたメンバーの仲裁、体調を崩した後輩のために、泊まる宿を変えたこともあったそうです。
 だけどすべてが父と、一緒に歩いた人たちにとっては、掛け替えのない宝物だったんです」

 由里の頬にまた涙が伝う。
「共に歩いた仲間は一生の親友だと書いていました。豆をつぶしながらゴールして抱き合った日、伴走に励まされて歩いた夜の道、分け合ったわずかな差し入れ……」

 悠介には目に浮かぶように想像できる。きっとほかのみんなも同じだろう。由里の言葉は途切れたが誰も口を挟まなかった。
「父が合宿を大切に思う気持ちがノートからあふれ出すようでした」

「由里はそれでこの同好会に……って言うかこの大学に入ったんだね」
 アッコは親友の手を握りしめた。
「私は父の宝物だったこのサマスペを自分も体験したかった。父が喜ぶんじゃないかと思って。父のために……そのくらいしか思いつかなかった」

 誰かが鼻をすすった。
「私は父のことを知りたかった。父が感じたこと、思ったことを、どんなことでもいいから知りたかったんです」

 天使のはしごを見て涙を流した由里は、父親のことを想っていたのに違いない。涼が脱走した時にも由里は涙をこぼした。由里は父親が大切にしたサマスペが涼に理解されなかったのが悔しかったのだろう。
 何もできなかったと自分を責めたのに違いない。

 悠介は由里が車に轢かれそうな子どもを助けた時のことを思い出した。
「これからは気をつけてね。あなたに何かあったらお母さんとか悲しむ人がたくさんいるの。約束してね。お願い」
 子どもに語りかけたあの言葉。
「私はいつ死んでもいいので」
 店長に言ったあの言葉。

 由里は重い荷物を背負い込んでいた。悠介のトラウマどころではない。

「幹事長」
 由里は大梅田を見つめた。
「サマスペは無計画で無謀に見えるけど、そうじゃないですよね。もちろん危ないことだってあるけれど、幹事がどれだけ準備をしているか、どれだけの覚悟を持っているか。私は知ってますから」

「由里……」
 大梅田は深く息を吸った。
「嘘をつかずに、サマスペを最後まで歩く、か」
「はい、その通りです」
 凜とした由里の声。

「由里、あたしだってそうしたいよ。でも梅さんや熊さんが処分されたら……」
「処分させない」
 由里はきっぱりと言い放った。
「大学と正々堂々と戦う。署名運動でも学生集会でもして、徹底的に戦ってみせる」

 由里のよく通る声に悠介は胸が熱くなった。
「やりましょう、由里さん。俺も戦う」
 斉藤が「いいぞ、悠介」と手を打った。
「そうだ。何も黙って大学の言うことに従う必要ないんだ」
 身を乗り出す高見沢に、由里が大きく頷く。

「一緒に大学を説得しよう。サマスペの素晴らしさを訴えるの」
「由里。あたしもやるよ。学内にタテカン作ろうか」
「あっ、俺、そういうの得意です。任せてください」と二村。
「よし、任せた。OBにも働きかけよう。岡崎さんみたいな人が、全国にたくさんいるはずだよ。きっと助けてくれる」

 由里がすっくと立ち上がる。
「私は父の感傷だけで言ってるわけじゃない。自分でこのサマスペに参加してわかったんです。サマスペはもちろん大変で過酷だけど」

 由里は悠介たちの目を順番に見た。
「私たちのような未熟で、でも可能性を持った若者には、こういう旅が必要なんです」
 全員が由里の言葉をかみしめた。身体が熱い。体温が上がったようだ。

 水戸が髭を触りながら大梅田を見た。
「どうする、梅」
 大梅田がまぶたを揉んで口を開いた。
「俺なんかより、由里の方がよほど幹事長らしいな」
 鳥山が「確かに」とにやにやする。

 悠介は三年生が交わす視線に、信頼の強さを感じた。この三人はサマスペを三回も歩いているんだ。

「幹事長、もう一つ言っておきます」
 由里は大梅田を正面から見た。
「なんだ、由里」
「もし幹事長に何かあったら、私も退学します」
 ぱちん。いい音がお堂に響いた。大梅田が両手のひらで自分の頬をはたいた。

「よし、決めた。大学には続行すると連絡する。みんな、明日も胸を張って歩くぞ」
「よっしゃあ」
「桜島だあ」
「城山だ」

 全員が立ち上がった。みんな笑っている。その大騒ぎの中にかすかな電子音が混じった。ケータイの着信音。

 大梅田がポケットからケータイを取り出した。大学からの連絡にすぐ出られるようにしていたのだろう。スマホの画面を見て首をひねる。後ろを向いて何か話し始めた。

「はい、そうですが。はっ? えっ」
 大梅田は突然おじぎをして、お堂の隅に歩いて行く。

「なんやろな、あれ」
 悠介たちは何度も前後に揺れるスキンヘッドの後頭部を見やる。
「大事な件なんやろうな。大学からかな」

 通話を切って振り返った大梅田は狐につままれたようだ。
「梅、大学からか」
「涼のお母さんからだった」
「えっ、涼の?」
 次郎が素っ頓狂な声を上げる。全員が大梅田のそばに駆け寄った。

「大学に抗議したのは涼のお母さんだった」
「梅、それで、涼ママはなんだって」
 鳥山も落ち着かない顔だ。
「明日はくれぐれも注意して歩くように言われた。抗議は取り下げたそうだ」

 お堂が歓声に包まれた。
「よしっ」
 悠介は両手を握りしめた。隣で二村が跳ね回っている。
「二村、床が抜けるぞ」と次郎。
「そうだよ。まだ太ってるんだからね」
 ライトは一緒になってジャンプしている。

 大梅田が咳払いをした。
「悠介。お前、何をした」
「えっ」
 騒ぐのをやめたみんなの目が悠介に集まる。

「お母さんがな、悠介という子によろしくって言ってたぞ」
「なんやて、悠介、どういうことや」
 次郎に腕をつかまれた。

「ええと、ちょっと電話をしまして」
「電話?」
「俺、大学に抗議をしたのは涼の母親に違いないと思ったんです」
 大梅田が頷いた。
「まあ、俺たちもそうだろうと思った。学生部の担当は教えてくれなかったがな」

「悠介、電話って、ケータイないのにどうやって」
 アッコが口を挟んできた。
「涼が脱走した日、あいつからテレカをもらったんです」
「テレカ? それで電話したんだ。でも涼のお母さんの番号なんか、なんで知ってたの」
「テレカの裏に電話番号が書いてありました。涼が母親の電話番号をメモしておいたんだろうと思ったんです」

「なるほどな。で、お母さんと何を話したんだ」
 水戸に聞かれた。テレカの度数が見る見る減っていくのに焦ったのを思い出した。
「俺、サマスペを続けさせてくれって頼んだんです」

「何よ、悠介。黙ってそんな大胆なことして。それで、それで?」
 アッコに肩を揺すられた。
「合宿の中止は、あなたの安全のためなんだって、逆に説得されました」
「そりゃそうだろね。じゃあなんでお母さんは考えを変えたのよ」

「俺、涼はこの件を知っているのか聞いたんです。話していないって言ったから、涼に教えてほしいって頼み込みました」
 度数がゼロになるまで、悠介は一つ覚えのようにそれだけを繰り返した。
「涼に? なんでよ」
「涼は脱走したけど、本当はサマスペを続けたかったんです。あいつ、車に乗る前に、俺にうらやましいって言ったんですよ」
「うん、涼はサマスペを続けたかったんや」
 次郎が頷く。

「だから……自分の母親のせいでサマスペが中止になるなんて、絶対に許さないだろうって思ったんです」
「なるほどな」
 大梅田が厚い胸の前で腕を組んだ。
「お母さんは涼に脅されたそうだ。抗議を撤回しないなら、親子の縁を切って家を出るってな」

「へええ、あの涼がねえ」
 二村が首を左右に振った。
「涼はそういうやつなんやよ」と次郎。

 由里が前に出る。
「幹事長。と言うことは」
 大梅田が由里を瞬きもせずに見つめる。
「大学に気兼ねする必要はなくなった。明日は何も心配せずにゴールを目指せる」

 次郎がむしゃぶりついてきた。
「なんや、悠介。ウルトラスーパーごっつ、お手柄やないか」
 背中をばんばん叩かれる。
「いつ電話したんや」
「さっきのコンビニで。ちょっとやめろ、痛い」
「こいつ、テレカなんか持ち物リストに入ってないぞ。没収だ、没収」
 斉藤も笑いながら叩いてくる。
「痛いって」

 悠介は背中を丸めてしゃがんだ。
「悠介、やるじゃないの。よっ、交渉上手」
 アッコの声がする。誰かがグーで背中を叩いた。
「ちょっと、マジに痛い、やめて」


――――サマスペ九日目 高原町~霧島市 歩行距離四十二キロ

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