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サマスペ! 九州縦断徒歩合宿(11) 

 先に着いていた高見沢が駐車場でストレッチをしている。走り込んだ由里とアッコは、そのまま店に入っていった。

 地図を見ている大梅田の脇に知らない男が歩み寄った。白髪交じりのおやじさんだ。横に軽トラが停まっているから、あれに乗ってきた人だろう。
 悠介の父親より上の世代に見える。五十代だろうか。

 一言二言、交わしたかと思うと機嫌良く大梅田の肩をぽんぽんたたく。背が低いから大梅田を見上げるようだ。大梅田は頭を下げながら、光る後頭部に手をやっている。地元の人が、この集団が珍しくて声を掛けて来たのだろうか。

 悠介は高見沢に「お疲れさまでした」と声を掛けて、店に向かいかけた。大梅田が手を上げる。

「おう、高見沢、悠介。ちょっと来い。こちらOBの岡崎さんだ」
 途端に高見沢が背筋を伸ばした。

「初めまして。二年の高見沢と申します」
「えっと、一年の若山です」
 同好会のOBなんて初めて会う。

「おおー、そうかそうか。ご苦労だなあ」
 岡﨑が手を差し出す。高見沢と悠介は順番に握手した。ごつい手だ。

「いやあ、まだこの合宿が続いてるなんて夢にも思わなかったよ。俺が二年の時からだから、もう三十五年だぞ」
 岡崎が相好を崩す。このおかしな行事が三十五年も続いているとは信じられない。誰も取り締まらなかったのだろうか。

「まさに伝統行事ですね。僕らも気が引き締まります」
 高見沢が如才なく答えた。さすが常識人だ。

「伝統か。俺も五十五歳だもんなあ。じじいになったよ」
「まだまだ、これからご活躍じゃないですか。ゴーゴーですよ」
 大梅田が言うのに高見沢も「そうですよ」と頷いてみせる。

「ゴーゴーか。そうだな、ありがとよ」
 岡崎は後輩におだてられて喜色満面だ。

「ところで幹事長。今はサマスペって言うんだな。連絡のはがき、ありがとうな。びっくりしたよ」
「サマスペで通る地域にお住まいのOBには、連絡しようと思いまして」

 そんなことをしていたとは知らなかった。
「太宰府から日田を通って阿蘇に来る予定って書いてあったからさ、この道は通ると思ったんだ」
「わざわざ待っていてくれたんですか、先輩」
「そりゃあ当然だろう。懐かしくていてもたってもいられなくてな」

 大梅田がいい顔で笑う。あれは営業用の笑顔ではなく、本心からだ。悠介はゴリラの表情がわかるようになった飼育員の気分だ。

「それとな、幹事長」
 岡崎が鼻の下をこすった。真面目な顔になる。 

「よく震災のあった熊本に来てくれたな。しかも被害の大きかった阿蘇を通るなんて。俺はそれがうれしくてなあ。歩くのなら他にいくらも景色の良いところがあっただろうに」

 はっとした。悠介はこれまで熊本の地震被害のことをほとんど意識していない。昔のことだと思っていた。

「いえ、何もできなくて恥ずかしいです。でも僕らにとっては、合宿で熊本を訪れることに意義があると思ったんです」
「大ありだよ。地元の俺たちには遊びに来てくれることがありがたいんだ。以前のように観光客が来ないと、俺たちも元気が出ない。ありがとうな」
 岡崎は大梅田の両手を握った。

「とんでもありません」
「コースを決めるのだって大変なはずだぞ。ただでさえ厳しい合宿なのに、道路の復旧状態にも気を遣うだろう」
「幹事長の仕事ですから」

 悠介は岡崎の目の端が赤いのに気がついた。
「うんうん。それで幹事長。ここからはどういうルートで行くんだ」
「57号で阿蘇大橋を見て大津に向かいます」
「そうだな。俺もその道を通ってほしいと思ってた。しっかり目に焼き付けてくれよ」

 阿蘇大橋という名前は聞き覚えがあった。
「熊本市内も通るのか」
「ええ。県庁前を通過して、宇土から八代へ海岸を南下する予定です」
「八代? ますます俺の地元じゃないか。どこに宿泊する予定なんだ」
「田浦の辺りにするつもりです」
「そうかそうか、田浦な」
 岡﨑は目を泳がせて何か考えているようだ。

「遅くなりましたあ」
 次郎が大声を上げて倒れるように座り込む。

「幹事長、最後尾も到着しました」
 昨日からの食当の柴田が声を掛ける。

「よし、全員集合」
 大梅田が手を上げた。悠介たちはその前に座る。

「岡崎さん、全員そろったみたいなんで一言いただけませんか」
「いやいや。ちょっと様子を見たかっただけなんだ。幹事長に礼も言えたし十分だ」
 岡崎は照れたように笑って、急に悠介たちの後ろをまじまじと見た。

「えっ、あれ、女子じゃねえの」
アッコと由里が店から出て走ってくる。

「そうですよ。二年生です」
「だってお前、合宿の参加者は男だけだろう」
「そうだったんですけど、どうしてもって言うんで。去年も参加してますよ」
「たまげた。夜とかどうしてるんだ。相変わらず寺とかで雑魚寝なんだろ」
「頼めば二部屋貸してもらえることが多いんですよ。まあ一部屋しかない時もありますけど、その場合は厳重に離れて寝るようにしてます」
「へえ、ほんとかい」

 駐車場に腰を下ろした由里は膝をそろえて座る。そこだけ一輪、花が咲いたみたいだ。アッコは隣であぐらをかいて、ペットボトルの水をがぶ飲みしている。

 岡﨑が二人に声を掛けた。
「あのさ、この合宿は女の子にはきついんじゃないかい」

 アッコが「ご心配なく」と声を張って由里の肩に手を置いた。
「この人は高校では陸上部のエースランナーでした。あたしは応援団。旗手も応援指導も男に負けませんでしたから」

「いやまあ、体力的なことだけじゃなくて、男も女の子がいると気を遣うだろうし。この合宿は男の世界って言うか、女の出る幕じゃないって言うかなあ」

 アッコが目を剥いた。
「女が交じったら何か問題があるんですか。あたしは応援団で男の中に女一人でした。一緒に声を枯らして倒れるまで走りましたよ。今時、男だ女だって偏見はやめてください」

「アッコ」
 食ってかかるアッコの背に由里が手を回す。

「先輩はご家族はいらっしゃいますか」
 由里の声は穏やかだ。

「うん? ああ、息子と娘がいるが、それがどうかしたかい」
「奥様やお嬢さんにも、女の出る幕じゃない、なんておっしゃるんですか」
「あっ、いや」
 岡﨑は虚を突かれたような顔をした。そして後頭部を叩く。

「まいった。調子に乗って余計なことを言った」
「いいんです。学生だった頃の気持ちに戻ってしまったんですよね。夏合宿は女人禁制が合い言葉。女子が苦手な男のお祭りみたいなものだったから」

 岡﨑は苦笑いした
「よく知ってるなあ。そうだよ、モテない男どもばっかり集まってなあ」
 水戸が「先輩、そこは今も変わりませんよ」と人懐こい顔で笑った。

 大梅田が隣で軽く頭を下げた。
「女性の参加は認めましたが、我々は伝統を守っています。一番大事なことは忘れていません」

 岡﨑は咳払いした。
「すまん。現役のやることに口を挟むと嫌われるってわかってたんだが、つい」

 岡﨑はそそくさと軽トラに乗り込んだ。
「それじゃあみんな、頑張ってな。応援してるからな」

 駐車場から道路に出ながら窓から手を振った。悠介たちは「失礼します」「ありがとうございました」と頭を下げた。軽トラは白い排気ガスをまき散らして走り去る。

 アッコと由里は何も無かったようにストレッチを始めた。アッコはまだしも、由里がOBに対してあんなに堂々とものを申すとは思わなかった。
 悠介にはとてもできない。
 由里には何か信念があるのだろう。サマスペに自分なりの強い思いがあるから、自信を持って話せるのだ。その思いは何なのだろうか。

 由里が子どもを助けた時に言った「私はいつ死んでもいいので」という言葉に何か関係があるのだろうか。

 振り返ると軽トラはもう小さくなっていた。岡﨑は大梅田たちに礼を言うために、ここでずっと待っていた。被災した地元に後輩が来たことが嬉しかったのだ。あの人もこの合宿に強い思い入れがある。

 悠介は軽トラを見送ってコンビニの店内に入った。
「トイレ、お借りします」
「はい、どうぞ」

 レジの中で制服を着たおばさんがじろじろと見る。悠介たちを警戒している。次々に入ってくるが何も買わない。そして地元民にも観光客にも見えないからだ。コンビニでバイトをしている悠介にはその気持ちがよくわかる。

 怪しい者じゃありません。何も買えなくてごめんなさい。トイレは決して汚しませんから。
 そう言ってやりたかった。

 トイレを出ると次郎が順番を待っていた。
「うちのツートップはすごいなあ」
「俺もびっくりしたよ」
「口でも腕っ節でも勝てるとは思えんわ。あっ、トイレトイレ」

 悠介は店内をゆっくり一周した。東京とは品揃えが違って面白い。バイトをしている店が懐かしくなった。店長やバイトの先輩たちは悠介のシフトを埋めるのに大変だろう。棚に向かって商品の補充、展示に大忙しなはずだ。

 日焼けして埃にまみれた腕を眺めた。
 こんなところで何をしているんだろう、俺。

「集合、昼食です」
 外に出ると柴田が手を上げた。
「待ってましたあ」
 次郎が悠介を追い抜いて駆けて行く。全員が駐車場の隅に車座になる。コンビニの買い物客がじろじろ見るが、もはやまったく気にならない。

「いただきます」
 声をそろえた後は、しばしいつもの沈黙。百パーセント、米だけなのにビックリおにぎりはうまい。次郎はおにぎりにかじりつきながら、右手で腿をマッサージしている。

「次郎、きつそうだな。昨日、玲奈さんの車で小学校まで行けばよかったのに」
 あの次郎のこだわりは、悠介には意味不明なままだ。

「お前だって一緒に付き合ってくれたやんか」
「あれはその、成り行きって言うか」

 一緒に歩いたのは、悠介だけ車に乗って到着したら由里の評価を下げると思ったからだ。さっきの由里の様子だと、歩き通した判断は正解だった。

 次郎は揉んでいた腿をぴしゃりとたたく。
「あのくらいの距離、なんでもないわ。玲奈さんともお近づきになれたし」
 昨夜、玲奈が名残惜しそうなみえちゃんと帰ったのは、消灯の九時近かった。それまでの間は、鳥山が撮影したサマスペの写真や映像をタブレットで見て楽しそうに過ごしていた。さすがにチャラ男は手が早い。

「とにかく俺は絶好調やよ」
 次郎が胸を張った。
「ほお、次郎、絶好調か。頼もしいな」
 地図を拡げていた大梅田が声を掛けてくる。
「あっ、はい。いえ、ぼちぼちです」
 愛想笑いする次郎の唇の端がひくつく。

「みんな、食べながら聞いてくれ」
 大梅田が立ち上がって地図を拡げた。

「この先、57号を二時間ほど歩くと、左手に旧阿蘇大橋遺構が眺められる場所がある。事前の説明ミーティングで聞いているな」
 全員が居住まいを正した。予備知識の無い悠介だったが、阿蘇大橋と聞いて食べるのを止めた。

「2016年の地震災害でもっとも被害の大きかった場所だ。阿蘇大橋は震度6強の本震で折れて落下し、断崖に引っかかった状態のままの形で遺構として保存されている。震災の恐ろしさを忘れないためだ」

 悠介はまだ中学生だったが、その橋の映像はニュースで何度も見た記憶がある。まさか今も残っているとは思わなかった。

「展望所があるから必ず全員、休憩を取ってくれ。しっかりその光景を見るんだ。そして何かを感じてほしい。以上だ」

 悠介は唾を飲み込んだ。崩れた橋を見たら自分は何を感じるのだろう。
橋が落ちた時、悠介はクラスで疎外されて辛い思いをしていた。しかしここでは命を落とした人が大勢いる。

 大梅田は話がしみ通るのを待つようにしばらく黙ってから、地図を畳んで「よし」と言った。

「午後の旗持ちは次郎」
「えっ、あっ、はい」
 次郎が不意を突かれて声が裏返った。

「高低差があるからな、しっかり頼む」
「了解しましたあ」

 次郎はおにぎりを片手に立ち上がってリュックを置いた所に歩いていく。じっとしていられないのだ。悠介は残りのおにぎりを口に放り込んで次郎の後を追った。次郎はリュックからテープを取り出している。

「テーピングか、次郎」
「アッコ先輩に習ったやろ。試してみようと思って」

 今朝、食事の後にアッコが一年を集めてテーピング講座をしてくれた。サマスペも四日目。悠介たちはそこら中の筋肉が悲鳴を上げていたから、どんな授業よりも真剣に聴講した。

「肉離れしそうなんで、腿の裏側に貼っておくといいと思うんや」
「ハムストリングだな。貼ってやるよ。自分じゃやりづらいだろ」
「おっ、頼むわ」

 一日目の夜、悠介は左のかかとにできた豆に次郎がテープを貼ると言ってくれたのに断った。あの時、悠介は次郎の近さが怖かった。
 何年も昔のことのようだ。

 次郎のテーピングテープを受け取って長さと貼り方をイメージした。膝の裏から二本、尻の下まで逆V字型に貼ればいい。

「アッコ先輩、なんであんなに詳しいんやろ」
「さあ、なんでかな。それより次郎、旗持ち、初めてだろ。ついに来たな」
「平地がよかったのになあ。今日の午後って一番きついんちゃうか。めっちゃ不安だわ」
「幹事長がいるのに、あのタイミングで絶好調なんて言うからだよ」
「そんなこと言われてもやな」

「よっ、次郎。午後、頑張れよ。びしびし行くからな」
 斉藤が次郎の肩をぽんとたたいて歩いて行く。高見沢と何か話しながら屈伸を始めた。足の筋肉が隆々としている。

 Tシャツの背中にイノシシが牙をむき出す写真がプリントされていた。『出没注意』と書いてある。これから山中の行軍だと言うのに、悪い冗談だ。それとも斉藤自身がイノシシのように、どこまでも追いかけるという宣言だろうか。

「好かんわ、あの人」
 次郎は小声で言う。斉藤は一年の旗持ちを徹底的に追いかける。薄い髪を振り乱して追ってくる姿は、ビジュアル的にも怖いと一年の間で評判だ。

「あー俺、なんか食欲なくなってきたなあ」
 かじりかけのおにぎりを、じっと見る。
「食べといた方がいい。ガス欠になっちまうぞ」
 次郎は「そうやな」と深い息をついた。

「そろそろ出発するぞ。準備はいいか」
 大梅田の声が響いた。
「ほら、食べながらでいいから、立って後ろ向けよ」
「大丈夫かなあ、俺」
「真っすぐ立てよ。ふらふらするなって」
 後ろ向きに立った次郎の腿の裏側に慎重にテープを貼った。
 
――――サマスペ四日目 小国町~大津町 歩行距離四十二キロ

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