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サマスペ! 九州縦断徒歩合宿(8) 

三日目★★★
 
「このダムの先は、いよいよ熊本だよ」
 鳥山がおにぎりを片手にデジカメで撮影している。悠介は目の前の満々と水をたたえた湖に息をのんだ。日田街道を南下した一行は、松原ダムの入り口で昼飯休憩を取っていた。

 軽食のとれるレストランの駐車場とバス停を兼ねたスペースには、売店と清潔な公衆トイレもあってこの近辺の観光拠点になっているらしい。『松原ダム遊覧船乗り場』と書かれた看板がある。日田からここまでの距離は本日の行程の半分、十五キロだそうだ。

 二村が鳥山について回ってあれこれ質問している。
「鳥山さん、これってダムなんですか。湖じゃなくて?」

 車が数台停まった場所に梅林湖と書かれた石碑がある。
「だからダムを造ってできた人造湖ってやつだな。人間ってとんでもないことするよ」
「やっぱり山を切り崩すときには大量の爆薬を使ったんでしょうねえ。俺もドカーンとやってみたいなあ」
 二村は物騒なことを言う。

 左右にそびえ立つ山を中腹まで沈めたような湖は、向こう岸が霞んでいる。見定めようとして目を細めると、自分の身体が縮んでいく錯覚にとらわれた。

「由里。おにぎり食べないなら、あたしがもらうよ」
 アッコが由里からおにぎりを奪おうとして手を叩かれた。

 アッコは午前の旗持ちだった。旗持ちは午前と午後、一日二回ずつある。基本は一年生の役目だが、午前に限っては二年生が志願して走ることもある。当然、一年の旗持ちをする回数が減るわけだ。
 今朝、アッコが手を上げた時は、神の降臨かと一年全員がひれ伏しそうになった。

 悠介は自分で作ったおにぎりにかぶりついた。おにぎりと言っても、にぎったわけではない。五時に起床した食当の悠介は、手際よく味噌汁を作る由里の横で大梅田に鉄釜の使い方を教わり、なんとか朝昼二食分のご飯を炊いた。

 初めて炊いた白いほかほかご飯とお焦げの匂い。束の間の達成感に浸る間もなく、次は『ビックリおにぎりマシーン』と対峙した。三角形のプラスチック容器にご飯をたっぷり入れて、上からふたでぐっと押せば、あっという間に一人前ができあがる。

 百均で探せばいくらもあるのだろうが、十二個のビックリおにぎりを前にした時は、発明した人を称えたいと真剣に思った。

 駐車場のそこかしこでタクアンをかじる音が響く。ビックリおにぎりには塩を振っただけだから、一人二枚ずつ与えられたタクアンを計画的に使わないと味の変化がない。

「火の国かあ。気合い入りますね、幹事長」
 おにぎりを腹に収めた斉藤が手をたたく。薄毛のくせに興奮してる。

「最初の難所だな」
 大梅田は地べたに拡げた地図と鳥山のタブレットを見比べながら、いい音をたてて黄色いタクアンをかじる。宿泊地点とそこまでのルートは、ネットで最新情報を調べながら決めているらしい。

 ネットにつながることができるのは、鳥山の持つタブレットPCだけかと思っていたが、正副幹事長はスマホを持っていると聞いた。ただし二人とも緊急時にしか使わないと決めているようで、スマホを触っているのを見たことがない。

「みんな、十五分後に出発する。その前に聞いてくれ」
 全員が大梅田の周りに集まる。

「本日の宿泊地は熊本県、おぐに町。小さい国と書いて小国だ。午前中歩いてきたこの国道212号線を南に約十五キロの行程になる。目印は国道387号との交差点だ。そこに熊本銀行の支店がある。その交差点まで行ったら、遠からず立ちんぼがいると思ってくれ」

「小さい国」、「387」、「熊本銀行」と口々につぶやきが漏れる。

「食当は鳥山、アッコ、柴田」
「はいよ」、「了解です」、「はい」と声が重なった。

「食当はここから日田バスに乗り、杖立まで行き、乗り換えて小国町に向かう。便が少ないから時間を間違えないようにな」

「慣れてまーす」とアッコ。
「小国までの旗持ちは二村」
「はっ、はい」

 二村のふくよかな頬が引き締まる。旗持ち未経験の次郎から安堵のため息が漏れた。

「伴走は高見沢、頼む」
 眼鏡のレンズを拭いていた高見沢が「はい」と手を上げて首をぐるぐる回す。秀才タイプのように見えて、この人も足が速い。

「注意事項だ。この辺から道が細くなる。トンネルに入ったら決して走るな。懐中電灯を出しておけ。点灯して慎重に歩くんだ」

 二村がリュックからヘッドライトを取り出して頭にはめた。登山用の本格的なグッズだが、二村の頭にあるとトンネル工事の作業員に見える。

「後続もトンネルで抜こうとするな。これは絶対だぞ。よし、十分後に出発だ」
 一斉に立ち上がる。トイレと水の補給を済ませておかないと悲惨なことになる。
「悠介、食当の引き継ぎ、頼む」
 水道で満タンにしたペットボトルをリュックに入れていると、柴田がやってきた。

「じゃあこれ、よろしく」
 引き継ぎと言っても鍋と釜を渡すだけだ。悠介は傍らに置いてあった釜のふたを開けてみせる。中には『ビックリおにぎりマシーン』を含めた調理道具と救急箱が入っている。
 柴田は余った調味料まで一つずつ確認してから、ふたをしてリュックにくくりつけた。

「今日のおにぎり、悠介の担当か」
「そうだけど」
「しょっぱいとこと味のないとこが、ばらばらだったぞ」
「ああ、そうか」

 涼の脱走以来、柴田とは久々に言葉を交わした。悠介は話し掛けられれば答えるが、こちらからは話さない。そういう状態には慣れているから寂しいとも思わない。

 それでいいのか、と問いかける自分もいたが、どうすることもできなかった。

 鳥山とタブレットを見ていたアッコが歩いてきた。

「あら柴田君。鍋も持ってくださるの」
 アッコが猫なで声を出した。柴田は隣にあった鍋をリュックの下のストラップに引っかけたところだ。

「当然っす。男ですから」
「ありがとねえ」
 二人はバスの停留所の方に歩いて行く。

「集合」
 大梅田の立つ国道脇に食当以外の全員が集まる。強ばった顔の二村が旗を持っていた。

「みんな、頑張れ。おいしいもの作って小国で待ってるよ」
 アッコの声が飛んだ。

「よし、スタート。行け、旗持ち」

 二村が何か叫びながら走り出した。悠介たちも追いかける。すぐにダムにかかる橋を渡る。右にどこまでも続く湖。深い緑の水に吸い込まれそうだ。屋形船のような遊覧船がぽつんと浮かんでいた。眺める余裕はない。

 左は崖のような山肌。「落石注意」と書かれた、注意しようのない看板を見ながら駆けた。橋を渡りきると大梅田が言った通り、これまでにない細い道が始まる。歩行者用の白線は左側にしかない。
 前方の山に半円形の黒い穴。いきなりトンネルだ。

「二村、ストップ。歩くぞ」
 高見沢に言われて先を行く旗が止まった。

 悠介たちも足を休めて懐中電灯のスイッチを入れる。一列になって入ったトンネルは薄暗く、暗闇に前方出口の丸い光だけが見える。車がぎりぎりすれ違える道幅に、申し訳程度の細い歩行スペースが白くラインを引かれていた。

「悠介、この道路、人が歩いていいと思うか」
 後ろから次郎に声を掛けられた。次郎は根っからのお人好しなのか、涼の脱走騒ぎの後も、気軽に悠介に絡んでくる。

「こんな所を歩く人、いないんじゃないか」
 車は左側を行く悠介たちの後ろから追い抜いていく。その度にトンネルの壁に張りついた。前を歩く二村の腕が車体に触れそうだ。ふらついたら一巻の終わりだ。

 トンネルを出てほっとするのも束の間、また山をくりぬいた丸い入り口が見える。

「何これ。長いやん」
 次郎が悲鳴を上げる。今度は出口が見えない。スピードを上げた車が何台も行き交う。身体の脇を通過するたびに、心臓がせり上がる。

「みんな、懐中電灯を頭の上で回せ」
 後ろから大梅田の怒鳴り声。トンネルに反響するその声を消すように、車のクラクションが鼓膜にぶつかる。
 向かってくる車のヘッドライトが眩しくて目を開けていられない。 
 
 ここに約十名、歩いています。人間です。

 悠介たちは懐中電灯を振り回して、必死でアピールした。
 
『杖立温泉街』と書かれた標識が見えた。ここで食当がバスを乗り継いだはずだ。午後のスタートから二時間近く歩いた。
 
 いくつものトンネルを抜けて道幅が広がり、歩道が車道から一段高くなった。身の危険を感じることはなくなったが、緊張が続いたせいか疲労が確実に溜まっていた。

 悠介は次郎と二人、とぼとぼと歩いていた。次郎は歩くペースが遅めで、ついさっき最後尾を歩いていた大梅田に追い抜かれたところだ。
 
「もう危ない道はないが、山道だから遅くなるな。それと二人で来いよ」と言われた。その背中もすでに見えない。

 左向きの矢印と温泉マークがあった。
「温泉か。ここを左に行けばパラダイスなんだろうな」
「行ってみようか、悠介」
「えっ? お金、持ってるのか」

 次郎は振り向きもせず「いんや」と首を左右に振る。うなだれた悠介は『歓迎、杖立温泉』の看板を横目に通り過ぎた。

「疲れる冗談はやめてくれよ」
「冗談くらい言わせてくれよ、や」
「次郎、ここで温泉に逃げ込んだら、俺たちどうなるのかな」
「さあ、自動的に脱走扱い、退会処分になるんちゃうか」

 それは願ってもない。親に泣きついて送金してもらう手があった。SOSの手段なら持っている。

「涼も退会してしまうんかな。あいつ今頃どうしてるんかなあ」 
「とっくに東京に戻ってるだろ」
「悠介は涼のせいで殴られて腹が立ってるだろうけど、あいつ、仲間思いのいい奴だよ」
「そうかもな」

 涼は車に乗って別れるときに、悠介の手にテレホンカードを押しつけた。困ったら使えよ、ということなのだろう。

「悠介は涼の病気のこと、聞いたんやな」
「うん?」
「俺、涼と気が合ってな。サマスペの前にいろいろ話したんやよ」
「やよって語尾はどうかと思うけど」
「おっ、そうか。東京弁はどうも語尾が難しくてな。どんどん指摘してくれたまえよ」
「了解。病気って?」

「子どもの頃に心臓に悪いところが見つかって、手術したんやって。成功してまあまあ普通の生活ができると言われたらしい。ところが涼の母親っていうのが、恐ろしいほど心配性で過保護ときてる」

「ああ、それは知ってる」
 息子のサークル行事にくっついて博多まで来るのだから普通じゃない。あれは息子をどこまでも支配するタイプだ。

「うちの大学にも、ごっつい寄付をしているらしい」
「大学の理事会に抗議するわ」と言い放っていたから影響力は相当なものだろう。

「涼は大学生になっても親に守られてるのが嫌だったんだ。だから病気のことは内緒にして、このきっつい合宿に挑戦したんだよ。なあ、今の語尾は?」

「えっ、ああ、合ってるよ」
 次郎は得意気な顔をした。

「思い切って参加してみたものの、やっぱり駄目だったんだな。悔しかっただろうなあ。トレーニングもして臨んだのに。俺、何度か大学のジムで付き合ったんだ。あいつ、僕は人生を変えてみせるって必死だった。それなのに、初日から身体が言うことをきいてくれんのやから」

 そういうことだったのか。

「昨日、心臓の調子が良くないことに気づいたんだろうな。発作が起きて倒れたらしばらくは入院さ。そしたらみんなに迷惑を掛ける。それを涼は心配してたんや」

 次郎が道の両側の深い林に目をやる。
「スタートの福岡ならまだしも、こんな山の中で急病人が出たら、サマスペ、続けられんかもだからさ」

 涼を病院に運んで入院となったら合宿のスケジュールはがたがたになるだろう。

「悠介は涼の身体を心配して逃がしてやったんだろ」
「いや、心臓病だなんて知らなかった」

 次郎が悠介の顔を覗き込むようにした。
「昨日、悠介が涼を見つけた時に、あいつ、病気のことを話したんと違うのか」
「……話そうとしていたのかも」

 涼ママの車が来た時、「悠介、僕、実はさ――」と涼は言いかけた。

 悠介はしばらく黙って歩いてから、涼のママが迎えに来たことを話した。次郎にならいいだろうと思った。

「なんやて、ヒッチハイクしたのとちゃうんか」
 次郎が立ち止まる。

「お前、なんでそれを水戸さんや斉藤さんに言わんかったんや。親が病気を心配して来たのに、俺らが引き留められるわけないやろ」
「黙っていてくれって頼まれた」

「阿呆か。黙ってたら悠介のこと、みんなが誤解してしまうやないか。みんなは涼の病気のことも、親が迎えに来たことも知らんのやぞ。根性のない同期がヒッチハイクで逃げるのを、悠介は見逃したって思ってる」

「そうだな」
「悠介はサマスペや仲間を大切にしてないって思われたんやぞ。いいんか、それで」
 興奮したのか、次郎は関西弁、全開になっていた。

「次郎、正直言うけど俺はさ、そういうの、どうでもいいんだよ」
「なんでや。俺たち、同じサークルの仲間やろ。仲間は一番、大事なもんやないか」
「……だから、仲間とか面倒くさいし」

 次郎が眉を寄せた。口を引き結んで俺の胸を拳で押す。
「お前なあ、一人で閉じてるのも大概にしろよ」

 吐き捨てるように言って次郎は歩き始めた。悠介は黙ってついていく。

 後ろからクラクションが鳴る。二人は道の端に寄った。また鳴らされる。振り向くとミニバンがウインカーを出して徐行してきた。

「なんや、九州じゃ歩行者もあおられるんか」
 次郎は機嫌が悪い。

「いたいた。元気で歩いてる?」
 助手席の窓が下りてオレンジのサングラスが見えた。

「みえちゃん……さん」
 そのまま二人を追い抜いたところで停車した黒のミニバンから、みえちゃんが降りてきた。運転席からは若い女が降りた。悠介たちと同年代だ。 

 にっこり笑った瞳が大きい。さらりとした髪が水色のワンピースの肩を撫でる。次郎の気配が変わった。

「どちら様かな、悠介君」
 わかりやすい性格だ。

「昨日の公民館を貸してくれた人だよ」
 次郎はミニバンに駆け寄った。

「それはそれは。ありがとうございました。おかげでよく寝られました」
 次郎に手を取っておじぎをされた若い女は、みえちゃんを見て困ったような顔をした。

「これ、あたしの孫。大学三年生でね。ほら玲奈、挨拶しなさい」
 これが能天気な孫か。悠介はなんの疑いもなく男だと思っていた。

「初めまして。祖母に今時珍しい大学生がいるって聞いて。本当だったんですね」
 みえちゃんがサングラスをくいっと上げる。
「なんだか、あたし、血が騒いじゃってさ。玲奈に頼んで追いかけてきたんだよ」

「すごいですね。本当に九州を縦断するつもりですか。私、信じられないです」
 玲奈はそっと次郎の手を外してほほ笑んだ。

「いやあ、こんなん真似しない方がいいですよ。僕らめっちゃ暇だからやってるだけで」
「そうですよね」
「もう阿呆みたいで恥ずかしいです」
 次郎の頬は緩みっぱなしだ。
「あ、やっぱりそう思ってるんですね」
 玲奈と次郎は朗らかに笑った。

 次郎、そこは一緒に笑うところじゃないと思うぞ。
 みえちゃんが例の杖兼用傘を差してくるくる回す。

「玲奈もうちでごろごろしてないで、見習ったら」
「やだ、おばあちゃん。私、意味のないことはやりたくないの。それに、ごろごろしてるんじゃなくて、面白いことがないかなって考えてるのよ」

 次郎が首を傾げたが、まだ唇の端に笑いを残している。

「まったくあんたは。そうだ、あの頭つるつるの好青年は?」
 頭つるつるがなければ、誰のことかわからなかった。

「ずっと先です。と言っても車ならすぐでしょうけど」
「玲奈、行くよ。その人に会わせたかったんだ。面白い人なんだよ」
「はいはい。それではお二人ともお元気で」

 ミニバンがあっさりと走り去る。
「何やの、あの玲奈って人」
「あれがマジョリティの反応なんだよ」
「なんか、気が抜けてしまったなあ」

 二人は小さくなる車を眺めながら歩き始めた。
 次郎はもう涼の一件には触れてこなかった。会話が途切れがちになる。
 これでいい。サマスペだってお互いの気持ちに踏み込まなくても続けられるのではないかと思った。ただ黙々と歩けばいい。

 いいのか、それで。

 また悠介の頭の中で声がする。

 そうやってずっと生きていくのか?

 へその奥が絞られるように痛む。悠介は溜め息をついた。

 この痛みと一緒だ。どうすることもできない。

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