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サマスペ! 九州縦断徒歩合宿(12)

五日目★★★★★

 悠介は久し振りにガードレールのある道路を歩いている。阿蘇から熊本市に向かう57号線は片側三車線。悠介が旗を持たされて福岡をスタートしたときと同じくらい広い。

 遠い昔のことのように思えるが、あれから四日しか経っていない。それが信じられない。

 今朝、大津町をスタートした一行は昼の休憩地、熊本県庁を目指して本日も歩き、走る。

 熊本市街に近づくに連れて人も車も増えてきた。排気ガスと照りつけられたアスファルトの臭い。都会の臭いだ。それに気づいたのは、山道の草いきれが消えたからかもしれない。

 道の両側に洋服の青山とAOKIが競うように見える。さすが全国チェーン店だ。そこだけ切り取ると東京の郊外の風景と変わらない。
 しかし交差点の近くにあるのはおなじみの熊本銀行。

 リンガーハットが見えてきた。ちゃんぽんの味が舌に蘇って問答無用に唾が湧く。食事をしている客から目を逸らして通り過ぎようとした。

「悠介、お疲れさん」

 アッコだ。店が作る日陰に入ってソフトボトルの水を飲んでいた。今日は珍しく曇り空で直射日光はそれほどきつくないが、やはり遮るものがない道路は危険だ。

 昨日、いいところで由里をかっさらっていった、いまいましい先輩は、リュックを下ろして駐車場との段差に足裏を押しつけている。

「お疲れ様。足、どうかしたんですか」
「こうやって足踏まずを押すと、つぼを刺激する効果があるんだ。悠介もやってみな」

 悠介はリュックを下ろして、片足を段差に乗せて体重を掛ける。
「ほんとだ。気持ちいい」
「今日は中日。鹿児島まで半分歩いたよ。どう、悠介。いけそう?」
「えっ、あー、いや、きついです」

 迂闊なことを言うと、昨日の次郎のように旗持ちにされてしまう。先輩たちは体力が残っている一年生を旗持ちに指名するべく、虎視眈々と観察している。
 順番は関係ない。もれなく疲れさせようという魂胆だ。

 二人並んで足裏マッサージをしていると、車で店の駐車場に入っていくカップルが珍しいものを見る顔をする。

「さて、行こうか、悠介」
「行きましょう」

 あのカップルはちゃんぽんを食べながら、悠介たちが何者か、どこから来たのか、と想像を巡らすだろう。

 昨日の午前はアッコに邪魔をされたとは言え、由里との間に劇的な進展があった。由里と二人きりで歩けたのだ。昨日、歩きながら交わした会話は、出会ってからの五か月分以上。由里が笑ってくれたことも嬉しかった。

 悠介はますます由里のことを知りたいと思った。そして会話ができるようになった今、東京で初めて会った時のことが、あらためて気になる。

 悠介はアッコから自然な流れで、由里の情報を引き出そうと試みた。
「今日は由里さんと一緒じゃないんですか」
「何を言ってんの。由里は今日、志願して旗持ちだよ。今ごろ、先頭で走ってるって」
「あっそうか、そうでした」
 そんなことは百も承知、これはジャブですよ、と。

「そうだ、アッコ先輩はなんでサマスペに? そのために山手線一周までしたんでしょ」
「ああ、あれは面白かったな。熊さんがひいひい言ってさ」
 アッコは思い出し笑いをする。

「由里がとばすもんだから。あたしもついてくのが大変だったよ」
 そうそう、その調子。
「由里に一緒にサマスペに参加するように頼まれたんだよね。女子一人じゃ幹事長が話も聞いてくれないからって」
「えっ? 由里さんが頼んだんですか。逆かと思いました」
「この同好会に入ったのだって由里に誘われたんだ」
「なんか由里さんのイメージと違いますね」
 意外だ。と言うか由里の行動はやはり謎だ。

「由里さん、どうしてサマスペに参加したかったんですかね」
「面白そうだからってしか言わなかったなあ。あたしはこういうの大好きだから、話を聞いてソッコーでオッケーしたけど」
 よっしゃ、任せとけと吠えるアッコが目に浮かぶ。

「アッコ先輩って、ずっと由里さんを応援してるんですね」
「うん……昔みたいに、はしゃいでほしいんだよね」
 はしゃいでいる由里を思い浮かべようとしたが、うまくいかない。

「昔って陸上部の頃ですか?」
「そう、高校のスターだったよ」 
 いよいよ想像困難だ。

「由里さんってどういう人なんですか。しっかりしてると思えば、心ここにあらずみたいな時もあるし。ギャップがすごいっていうか」
「ちょっとね、あったんだ」
「ちょっとね、って何がですか」
 アッコが軽くにらむ。

「あたし、親友のことはぺらぺらしゃべりたくないから」
 親友と言う言葉に気恥ずかしさを感じた。それでも以前のようにむずむずする嫌な感じはしなかった。

「親友のアッコさんなら、この話、してもいいですよね」
「この話って何よ」

 悠介は歩きながら、由里を初めて見た日のことを話した。これまで誰にも言わなかったが、親友ならば知っておいてほしい。
 アッコは口を挟まずに聞いた。

「ほんとにいつ死んでもいい、なんて由里が言ったの」
 悠介が頷くと、アッコは口をへの字にして、しばらく無言で歩いた。悠介は急かさなかった。会話を邪魔するケータイはなく、時間はたっぷりある。

「一年の時の合宿のこと、話したよね」
「新潟から石川まで歩いたんでしょ」
「そう、その時もあたし、元気のない由里を励まして応援したんだよね。でもうまくいかなかった。由里には、応援されることがプレッシャーになる、なんて言われてね」
「そうなんですか……」
 へこんでいるアッコが思い浮かんだ。

「でもね、最後まで歩いて、気持ちが通じたと思った。由里、明るくなったんだ。ところがサマスペから戻ったら、また落ち込んじゃって」
 悠介は「うーん」と唸った。

「サマスペの時はまだいいんだ」
 アッコがぼそりと言う。
「キャンパスにいる時なんか今の五割増しでぼーっとしてるじゃない。喋らないし、素っ気ないから、何を考えてるのか分からない」
 つんつん姫の時だ。

「心配ですよね」
「まあ悠介に言われたくないだろうけどね」
「なんでですか。俺は由里さんを……その、死んでもいいなんて聞いちゃったら、ほっとけないんですよ」

「とにかく由里はなぜだかサマスペにこだわってる。それは間違いない。だからこの十日間がチャンスなんだ。その間に何かが起きて、今度こそ由里に変わってほしい。以前の元気な由里に戻ってほしいんだ」

 アッコも由里に元気になってほしいと思っている。それが心強かった。悠介は由里のために何かできることはないかと考えながら歩き続けた。

 アッコは溜め息をついた。
「なんとかしてあげたいんだよね、ほんと」
「親友だからですか」
「もちろん。それと、あたしは人を応援するのが好きなんだ。頑張っている人をサポートするのって素敵でしょ」

 悠介は初日の旗持ちの時に、アッコに絆創膏をもらい、靴下を二重にするように言われた。あれで助かった。テーピングも土踏まずのマッサージもアッコに教わった。

「テーピングとかも、それで習ったんですか」
「スポーツ医学の研修を受けたんだ。応急処置の科目もあって、テーピングはみっちり教わったよ」
「単位の関係じゃないんですよね」
「もちろんサマスペのためだよ」 
 当然とばかりに答えた。アッコにもサマスペ愛があるのだ。

「あたし、一生懸命な人にエールを送る仕事をしたいと思ってるんだ」
「エールか。いいですね」
「でもね、エールを送って応援するだけじゃ駄目なんだ。サポートして支えてあげるためには、応援する前にその人のことを理解しなけりゃ」
「その人のことを理解……か。そうですよね」

 真面目に感心した悠介に、アッコが照れくさそうな顔をする。
「なんてね。あたしも一年のサマスペで、歩いて歩いてやっと気がついたんだけどさ」

 この先輩は自分の道をしっかりと見定めていると思った。悠介は将来のことなど何も考えていない、それどころか足下さえぐらついている。

 アッコは首を傾げた。
「あたし、ちょっと喋りすぎ。でもこれってサマスペ効果だね」
「偉いですね、アッコ先輩は」
「そう? 悠介のことも応援してあげようか」
「はあ……あっ、それって次に俺が旗持ちになった時、伴走で追いかけるってことでしょ。ほんと結構ですから」

 アッコが笑う。
「ほら悠介、県庁に着くよ」
 青い道路標識が見えてきた。右折すると熊本県庁。直進すると八代、宇土。左折すると阿蘇くまもと空港だ。右折して県庁通りを進むと、旗を持った柴田が立っている。

「柴田、お疲れさん。あっ、由里に追いかけられたでしょ」
 柴田はわかりやすく、げっそりしていた。
「いや、余裕っす」
「ふーん、みんなはどこかな」

 柴田は緑の並木が鮮やかな広場の方を指差した。
「すぐです。ルフィ像のところ」
「えっ、柴田、ルフィってあのルフィか?」
 悠介は思わず声を上げた。

 柴田は「ルフィはルフィだろ」とだるそうに答える。
「アッコさん、行きましょう」
 悠介は駆け出した。
「何よ、元気じゃないの」

 金色に輝く像が見えてきた。拳を突き上げている。トレードマークの麦わら帽子。
 ルフィだ。

「なんでここにルフィが?」
 像の前で急停止した悠介は、子どもの頃からのヒーローを見つめた。隣に寝転んでいた高見沢が身を起こす。

「知らなかったのか、悠介。ワンピースの作者の尾田さんが熊本の出身なんだよ。それで復興支援に協力してるんだ」
「知りませんでした」
「この像はそのシンボルみたいなものだよ」

 大好きなコミックの主人公と会えるなんて、なんというサプライズだろう。ルフィたちが熊本の復興を支援している。熊本の人はどれほど勇気づけられていることだろう。

 マンガがリアルになっている。
 そのことに悠介は感動した。

Ⓒ尾田栄一郎/集英社

 全員が揃ってルフィ像の傍らでおにぎりを食べていると、スーツ姿の女性が近づいてくる。後ろにカメラを持った男性も一緒だ。

「あの、みなさん、もしかして太宰府から歩いてきたのでは?」
「はい、早新大学の学生です」
 大梅田が答えると女性はにっこりする。

「私、熊本県観光戦略部の塚本と言います。熊本にようこそいらっしゃいました」
 肩から下げていた箱を下ろして、大梅田に名刺を渡す。

「岡﨑さんという方から連絡がありまして、みなさんのことをお聞きしたんです。県庁の近くを通ると聞いて、ぜひ取材させていただこうと待っていたんです」
「そうでしたか。岡﨑さんが」

「あの、これ」
 塚本が開けた箱はクーラーボックスだった。中からくまもんの蜜柑ジュースを取り出す。

「差し入れです。どうぞ飲んでください」
「じゅっ、ジュースや」
 次郎が叫ぶ。全員の視線が大梅田に集中した。差し入れを受け取るかは幹事長判断だ。

「ありがとうございます。みんな、ご厚意だ。いただこう」
「いただきます」
「ごちそうさまです」

 悠介たちは我先にジュースをもらう。その大声にルフィを見に来た観光客が驚いている。悠介は一口飲んだジュースの甘さに気を失いそうになった。

 塚本は芝生に座って、大梅田、鳥山と話している。鳥山がタブレットを見せると目を見張った。鳥山が太宰府から撮りためた写真や動画を見せているのだろう。

「おい、悠介」
 次郎がジュースの壜を逆さにして振ってみせる。
「おう、次郎」

 悠介と次郎は、二本目のジュースがないかと、クーラーボックスにじりじり近づいた。

――――サマスペ五日目 大津町~宇土市 歩行距離三十四キロ

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