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サマスペ! 九州縦断徒歩合宿(1) 

 あらすじ

 ケータイ・財布を取り上げられた悠介は、先輩に追い立てられて猛ダッシュ。ここは太宰府。ゴールは遙か彼方の桜島!

 真夏の炎天下、大学一年生の主人公、悠介の旅が始まります。福岡から鹿児島まで、総歩行距離は四百キロ。一日の食費は三百円ですべて自炊。宿は無料で泊まれる寺や公民館。見つからなければ野宿。

 先輩の由里に近づくために参加した合宿は、聞いたこともない滅茶苦茶で理不尽な旅でした。それは悠介に忘れたはずの過去の記憶を蘇らせます。そして由里にも秘密がありました。

 苦しみ悩みながらも歩き続ける悠介に幾多の事件が降りかかり、悠介は否応なしに変わっていきます。

 悠介たちは桜島にたどり着けるのか。
 二人の恋の行方は?  


★一日目  

 悠介はリュックを背負って、炎天下をひたすら駆けていた。 

「走れ、悠介。立ち止まるな」

 背中に怒鳴り声が響く。後ろをちらりと窺う。悠介を追い立てるのは、真っ赤なランシャツのアッコ先輩。

「どうした、悠介」
「先輩、どこまで、走るんですか」
「まだまだあ。前向け、前」

 悠介は左手で額を流れる汗を拭いた。右手に持つ濃紺の旗は、『早新大学 ウォーキング!同好会』の文字が白く染め抜かれている。見たこともない景色、初めての道。太宰府駅をダッシュで飛び出してもう二十分近い。

 俺は何をしているんだ。どうしてこうなった。

 怒り混じりの疑問で頭が破裂しそうだ。二年生の友原亜子、通称アッコ先輩は駅からずっと悠介の後ろに張り付いている。少しでもスピードを緩めると怒声が飛ぶ。つまずいただけでも舌打ちだ。

「ちょっと俺、もう、限界なんですけど」

 喋ると呼吸がますます乱れる。吐き出す息が熱い。突然のフル稼働に二つの肺が悲鳴を上げている。準備運動もペース配分もなく、いきなり問答無用の全力疾走をしたのだから当然だ。

 足が前に出ない。スポーツシューズのゴム底はアスファルトにべたべたと吸いつくみたいだ。ハーフパンツからのぞく膝も油が切れたように軋む。リュックの重さで肩まで痛くなってきた。

 いい加減にしろ。立ち止まれ、悠介。

 身体のすべてのパーツから猛烈なブーイングが沸き起こる。

「体重を前にかけるんだ。そうすれば自然に足が出る」

 アッコが陸上競技のコーチのようなことを言う。だまされたつもりで身体を前傾させると、ほんの少し楽になる。それが癪に障る。

 ふいに向かい風が吹いた。同好会の旗が耳元でばたばたと鳴る。

「この旗、邪魔ですよ。腕が振れない」

 両腕を振らないと推進力が得られない。ランニング理論に照らしても正しいはずだ。

「いちいち弱音を吐くな、男だろ」
「あっ、それはないでしょ。このジェンダーレスの世の中に」
「はんっ」

 鼻で笑われた。ますます腹が立つ。そもそも悠介は九州まで走りに来たつもりはない。だまし討ちに遭った気分だ。

「もう、歩きましょう。僕ら、ウォーキング同好会でしょ」

 喘ぎながら肩越しに言う。黒くて太い眉を乗っけた目が睨んでいる。

「見てみな。まだみんな走ってる」

 首だけ曲げると百メートルほど後ろ、視界の端にTシャツと短パン姿の男たちの一団が見えた。東京と変わらないカーネルおじさんの看板があるケンタの角を曲がって、この国道3号に入ったところだ。こちらに向かって駆けてくる一年生の先頭は同期の柴田だ。

「後続が走ってる限り、先頭の旗持ちは走らなけりゃならないんだ」
「あいつら、俺に恨みでもあるのかな」
「そういうわけじゃないさ」

 柴田たちの後ろに輝くスキンヘッドが現れた。幹事長の大梅田だ。夏の光線を跳ね返しながら新人を追い立てている。異形の羊飼いと逃げ惑う哀れな子羊たち。登山に行くようなリュックを背負い、フォームもバラバラに国道を走る集団は異様だ。
しかし異様と言えば、一番前で旗を持って駆けている悠介の方が上かも知れない。

「悠介は旗持ち。あたしは伴走。旗持ちと一緒に走る役目だよ。そして旗持ちは絶対に抜かれちゃいけないんだ」

 突然トリップした異世界の設定説明をされているようで、げんなりする。

「さあ、走れ、走れ」

 アッコにリュックを押されて悠介は前を向いた。国道は片側三車線。「福岡」や「久留米」ナンバーの車から珍しいものを見る視線が注がれる。時々、子どもが窓を開けてこちらに手を振ってくる。

 見せ物じゃないぞと言いたいが、この道はほとんど車のためのドライブウェイだ。灼熱の太陽が照りつけるアスファルトの歩道を走る者など、パフォーマンスだと思われても仕方がない。

「悠介はさっき、幹事長に生意気なことを言ってたな。サマスペの意味がわからないだって?」
「わかりませんよ。スマホと財布を取られていきなり走れ、だなんて」
「わかるまで、たっぷり走ってもらうからな」
「だから、なんで」
「うるさい、疑問を持つな」

 頭に血が上った。なんでこんな目に遭わないといけないのか。納得のいく説明がないならもう走らない。はっきり言ってやろうと振り返った悠介は、小柄な影に気づいた。肩幅の広いアッコの後ろに誰かいる。

 由里だ。ぴたりとついてきている。アッコと歩調を合わせていたせいか、足音もわからなかった。悠介は慌てて前を向き直る。

 ちらりと見ただけで由里の姿は網膜に焼き付いた。前髪が目元にかかる卵形の顔、ショートカットの黒髪、ボーダーのTシャツに七分丈のパンツ。小さな背中からリュックの端がはみ出していた。

 あれほど苦しかったのに由里を見ただけで力が湧いた。今、悠介の脳に怪しげな化学物質が分泌されているに違いない。

 由里との奇跡の再会から五カ月近くが経つ。東京の西にある早新大学に入学した悠介は、キャンパスで新人勧誘をしていた由里にちらしを渡された。

『レッツ・ウォーク!』と大きく書かれたちらしから顔を上げて由里を見た。その瞬間、槍で胸を突かれたかと思った。衝撃に呼吸が速くなり、時間の流れはスローになった。

 誘われるままに『ウォーキング!同好会』の出店について行き、促されるままに入会名簿に名前を書いた。このサマスペと呼ばれる正体不明のイベントも、参加希望リストに平野由里の名前を見つけたから、条件反射のように若山悠介と書き込んだ。

 悠介は旗を握り直した。由里の目の前で情けなくもへたばる姿を見せるわけにはいかない。スタミナをしまう場所など無さそうな細身の彼女が、文句も言わずに同じ距離を走っているのだ。

 どんなに理不尽であろうとも、息が切れようとも、膝が軋もうとも、立ち止まってなるものか。

 国道3号線はどこまでも一直線に続く。車が豆粒みたいに見える辺りには、真夏の熱気がゆらめく。今日は八月二十五日。気温は知りたくもないが、三十度を超えていることは賭けてもいい。

 右手に大きな茶色い建物が見えてきた。屋上の看板に日本経済大学とある。左にはガラス張りのドームがこんもりした緑を切り開いて建っていた。こっちは外国語の専門学校らしい。この辺りは校舎が多い。

 あの立派な施設の中で学生たちはキャンパスライフを謳歌していることだろう。悠介も本来なら、涼しく快適なマナビヤで学問に励んでいるはずなのだ。

 青い道路標識が近づいてくる。進行方向の白い矢印の先にある地名は久留米、鳥栖。太宰府の駅前で発表された今日の宿泊予定は久留米だ。
本当にたどり着けるのか。久留米に着いたとしても福岡県内をほんの少し移動しただけだ。

 次に出てきた標識には距離も書かれている。久留米まで二十四キロ。
そして

「熊本まで九十五キロ」

 口にするとどっと疲れた。アッコが鼻で笑う。

「この国道3号を行けばね」
「えっ、違うんですか」
「そんな簡単なルートは通らないよ。九州の背骨を歩くんだ。阿蘇にも霧島にも寄らないともったいないだろ」

 走っているのにアッコの口調は乱れない。

「阿蘇に霧島……」

 その地名からは山しか想像できない。どんなルートなのか。
 スマホさえあれば今すぐに九州地図を調べられる。いつも使っている地図アプリの画面を思い出した。もしも今、GPSで自分の現在位置と久留米までのマップがわかったら、どんなに心強いことか。

「まあ鹿児島までのルートは幹事長が決めるんだけど」

 その言葉で悠介は現実に引き戻された。そう、このイベントの最終ゴールは熊本どころではない。今のところ標識にも出てこない日本列島の最南端、鹿児島市なのだ。

「去年のサマスペ越えを目指すって言ってたから、三百五十キロ以上になるだろうね」
「三百五十キロ……」

 気が遠くなりかけた悠介は、左の踵の辺りに不穏な熱を感じた。普段履きのスポーツシューズに目を落とす。足首の後ろが疼き始める。もしや靴擦れか? 
 こんなスパートをさせられると知っていたら、絶対にランニングシューズを履いてきた。

「こら悠介、ペース落ちてるよ」

 ほんの二時間前、悠介は太宰府天満宮で参拝をした。道中の無事はさておき、由里との間に進展があることを祈願したばかりだ。ほどほどに厳しいが貴重な思い出になる。そんな噂のサマスペを由里と過ごすことに胸が弾んでいた。

あの時さっさと逃げてしまえば良かったのだ。

登場人物



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