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「惜しい!」と当時の私に言ってあげたい<小説家になる>

一次選考は通過するようになった。でも最終選考に残れない。こういう人は案外多いのではないでしょうか。
常に結果発表を待っているように応募を続けた私もこの状態が長かったのです。今日はその原因と思われることをお話しします。

予選は通るようになったけど

一次通過をどのくらい出すか、それは賞によって違います。その賞のネームバリューや出版社の戦略によるからです。
通過者が少ないほど、その賞はハードルが高いと思われて、応募は敬遠されます。特に歴史の浅い賞や小さな出版社主催の賞は、応募者を集めるために、通過者を多くする傾向にあります。
通過者を多くすることは最大の宣伝になりますから。
発表をする雑誌はそれで売れることがあります。自分の名前が載っていたら応募者という生き物は、思わず買ってしまうものです(最初の内は必ず)。
発表をするサイトはその時だけページビューが跳ね上がります。

この話はまた別にします。ここでは、普通に一次通過率10%、最終候補5人くらいの賞をイメージしてください。

一次通過と最終候補作の間にある壁

一次、二次を何度か通過するようになった人は、いつ最終選考に進んでも良いくらいの実力を備えているのではないかと思います。
私もおそらくそうだったのではないかと。それなのに足踏みをしたのはなぜか。それは今にして思うとはっきりしているように思います。

予選を通過する作品は「普通に上手く書かれている」作品たちです。ストーリーもキャラクターも文章技術も及第点なのです。
しかし最終選考に残すとなると観点は大きく変わると思います。

その本は書店に並べたら売れるのか

このことです。最終選考に残ったら、あと一歩で、自分の小説が書店に並ぶのです。その時「普通」ではダメなのです。お金を払って買ってもらうだけの内容があるか。
宮部みゆきさんや伊坂幸太郎さんや浅田次郎さんの本の隣に並んでいても、手に取ってもらえるかどうか、です。
(ちょっと興奮して言い過ぎました。そんな凄い新人は一年に一人いるかいないかです。『同志少女よ、敵を撃て』の逢坂冬馬さんみたいな化け物くらいです)

とにかく自分の小説がお金と交換してもらえるように、少しでも面白い本にする。そういう発想に立たないといけなかったのです。

作品に執着が足りなかった。

当時の私に決定的に欠けていたのは、最後のこだわり、作品に懸ける執着心だったと思います。書いたら躊躇なく応募して、リズムを作ったことで、たくさん書くこと、書き上げることはできました。
それなりに上手くなったのでしょう。でもそれは「普通に」だったのです。
新人賞応募というイベントに慣れてしまったような気がします。

書き上げた小説を何度も見直し、気になったことに蓋をせずに、少しの違和感も修正する、その気構えがなかった。私は応募したら「よく頑張った、自分」ということで、ちょっと良いお酒を飲んで乾杯することしか頭にありませんでした。

あの時もっと粘っていたら、そう思います。他に何作も書くよりも絶対にデビューが早かった。
随分と遠回りをしたと思います。

一作入魂

考えを改めた私は、一作に掛ける時間を大幅に長くしました。それまで長編一作を三カ月程度で書いて応募を繰り返していました(お前は売れっ子の量産作家か、と言いたくなります)が、半年以上かけるようになりました。

そうして書いた最初の小説が『かつしか文学賞』の優秀賞をいただきました。そして次に書いた小説が『福ミス』を受賞した『幻の彼女』です。この小説はミステリなのですが、納得のいく謎の答を見つけるまでに本当に時間が掛かり、お蔵入りを何度も覚悟しました。しかしその粘りが受賞に繋がったのは間違いありません。

前の記事と矛盾してすいません……

たくさん書いて
どんどん応募して
リズムを作って
結果を楽しみながら次回作を書きましょうーー
と言う趣旨の記事を昨日、書きました。
今日の記事は正反対のことを言っています。

言い訳ではないのですが、どちらも私には正解だったのです。
まずはたくさん書くために、新人賞を利用する
そしてたくさん書いて力が着いてきたら次の段階に進む。つまり
一作に執着して、徹底的にこだわった渾身の作品にする

それが成功した時
「私は利用されるだけなのね」とそっぽを向いていた新人賞が、初めて微笑んでくれた。
そう思うのです。

ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。
二日に渡って迷わせてしまったら申し訳ありません。
前の記事を未読だと意味が通らないかもしれません。よかったら読んでみてください。

現在、noteに連載中の小説です。よかったら読んでみてください。


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