不倫問題

昨今不倫問題で有名芸能人がたびたび活動自粛に追いやられている。不倫をしたら謝罪会見をして、活動を自粛する。
これが当たり前の流れとなっている。
私はいつもこの謝罪会見に疑問を抱いている。一体誰に対して謝っているのだろうか。
謝る相手はパートナーとお世話になっているスポンサーや関係者だけでよくないだろうか。彼らに対しては、個人間でひっそりやればいいだけで何も公共の電波を使って謝る必要はないだろう。むしろ、謝罪の意が伝わりにくい気がする。

会見を開いて大ごとにする意味とはなんだろうか。私は自分なりに考えたが私のちっぽけな頭では何も正当な理由が思いつかなかった。恐らく、このような風習をする意味を誰も知らないだろうし、知ろうともしないだろう。

浮気をするのは倫理的に反した行為であるが、それを何も関係のない一般人が批判するのはいささかお門違いではなかろうか。当事者でもない人が怒り散らかし、終いには誹謗中傷をする。
なんて生産性のない暇人がすることをよってたかって人はしたがるのか。

浮気は夫婦間と浮気相手だけの問題であり、他者が頭を突っ込むことではないことは明白である。
人の不幸は蜜の味という言葉を絵に描いたように体現しており、気持ち悪ささえ生まれてくる。

第三者のましてや一方的に知っているだけで関わりのない人の問題に口出しをする暇があるのならば、YouTubeをダラダラ見たり、ゲームをしまっくていたほうがよっぽど有効的な時間の使い方だ。そっちのほうがいくらかは自分のためになる。

記者も記者である。このような報道をして誰の得になるのか。何が有益な情報なのか。このようなことはしてはいけませんという戒めの意味なのかなんなのか。そんなこと誰だって知っているのだから報道する意味などないだろう。
もっと報道すべきニュースは常にある。芸能人の不倫を追求するよりも政治家に問題点などを追求すべきだ。なんのための報道機関なのかを今一度考え直した方がいい。

視聴率目的でこのような報道をしているのなら尚更やめるべきだ。国民に必要な知識は誰と誰が浮気したなどの情報ではなく、社会問題や国際問題である。浮気問題よりもよっぽど自分に関係のある問題である。

日本人が思考しない弊害がここにも現れていると言えるだろう。ただ受動的に情報を受け取るのではなく、なぜこの問題が取り上げられているのか考えれる必要があり、自分なりの答えを探す必要がある。
そうすれば、自ずと不倫問題など報道する価値などないことが分かるだろう。

なぜ、このような風習になったのか少し調べなおし何か自分なりに整理したいことが出てきたらまたnoteを新たに投稿したいと思う。

最近、いろいろなことを考えるようになったが結局行き着く先は日本人が考えることを放棄しているという問題である。
そして、この問題を意識する人はそう多くないということだ。私の力ではそのような人の意識変革をすることは不可能であるが、私のnoteを読んでくださっている方は少なくとも私の意見にある程度は賛成していただいている方だと思う。なので、私がnoteの界隈で有名になればこの考え方もある程度、浸透すると思うので今後も一層noteの投稿を頑張りたい所存である。

本日も私のnoteを拝見していただきありがとうございます。次回のnoteも読んでいただけると幸いです。よろしくお願いいたします。

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