承認欲求

承認欲求とは強弱関係なく誰しもが持っているはずだ。人間なのだから認められたいと思うのは普通だ。私だって他者に認められたい。その思いもあってnoteを投稿しているところもある。
ただし、最近では承認欲求が強い人はよく批判されている。
例を挙げるとするならインスタグラマーだ。彼、彼女らが今年の成人式がなかったことを可哀想だと同情しながらも自分の振袖姿を投稿していた。この行為をTwitter上では、ただ人に自分の晴れ姿を見せびらかしたいだけだと批判を受けており、私が見ただけでもかなりのいいねとリツイートがされていた。

いいねやリツイートは基本、同意を表すのでかなりの人がインスタグラマーの投稿に否定的な意見を持っていることがわかる。
投稿する文章と写真の不一致さや成人式の主役は今年20歳になる人であり既に成人を迎えた人が投稿する必要のなさに憤っているらしい。
よくあったリプライは「あなたの振袖姿など興味がない」である。

文章と写真の不一致には投稿者に非がある。しかし、もう一つの理由に関しては言いがかりにもほどがある。
誰がどんな投稿をしようが自由である。そもそもInstagramというアプリは承認欲求を満たすためのアプリだと私は捉えていた。そうでもないと、自分の写真をどうどうと投稿しないだろう。
正しい使い方をしているのに違う媒体から批判を喰らうのは違う気がする。

Twitterも思ったことを簡単に呟けるというのがコンセプトのはずである。共感してほしい、見てほしいという思いで使っているはずだ。

批判している人も自分の意見に賛同してほしいという思いからツイートしているはずだ。
インスタグラマーの承認欲求と何ら変わりない。
それなのに過去の成人式の写真を上げている人はアホだ、ただの承認欲求の塊だと批判する。

自分を人に自慢して承認欲求を満たす人と人を見下して承認欲求を満たす人なら前者のほうが綺麗な心を持っていると感じる。

自分も承認欲求を満たしていると思わず、人を批判する。自分が好きでなければ見なければいい話なのに。
なぜ、嫌いだと公言するのか。私には分からない。

インスタグラマーは投稿するのを楽しんでいるのだから人の趣味に口を出すのはナンセンス過ぎる。どうせ、今回Twitter上で批判していた人の趣味を否定するようなことを言えばその人は鬼の形相で猛反発してくるだろう。

自分がされて嫌なことはしない。小さい頃から教わったことをできない人が多過ぎる。

私のnoteを彼らが読んだら、お前こそ批判ばかりしていると言ってきそうだが私は人を傷つけるけような行為に反対しているのであり何もあなたの趣味に干渉しているわけでは無い。人を虐げるような行為を趣味とは言えないのでその点を理解していただきたい。

最終的に承認欲求の話から逸れてしまったが、私が思うに承認欲求とは個人個人の勝手なのだから受け取り手がどうこういう筋合いはない。
その人の承認欲求を受け取りきれず嫌な気持ちになるのならその人とSNSで繋がるのをやめればいいだけなのだ。

平和な世界など生物が誕生したから一度も地球に訪れたことはないだろう。誰しもが何かしらの不満を抱く。しかし、そこで不満を爆発させるのではなく何か方策を立てる。そして少しでも、平和な環境になるよう個々人が努力する必要があると思う。

ここらで今日のnoteは終わりにする。
今回も最後まで読んでいただきありがとうございます。明日も更新できるよう励みます。
では、また明日。

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