根拠のある意見

私がここ最近の投稿で毎度言っている根拠ある意見といのは留学生活に影響を受けている。
語学学校の授業では、毎度答えるたびになぜそう思うのか、なぜその答えになったのかと聞かれる。

この思考は大変素晴らしいものだと思う。何事も根拠や証拠があるからこそ証明することができ、人に納得してもらえるのである。ただ漠然とした意見では、意見を持っていないのと同意である。

日本人はよく「なんとなく」と言ってしまいがちだがこれはただ思考することを放棄している。しかし、「なんとなく」という言葉は多くの人が使用しているため誰もこの根拠のなさに違和感を感じなくなっている。むしろ「なんとなく」ですら根拠として扱っている。

これが日本全体の思考停止につながっているのではないかと考えた。古き良き文化を受け継ぐのはいいことではあるが、受け継ぐときになぜこの文化は受け継ぐ価値があるのか、どんなメリットがあるのかを吟味していかなければ日本はいずれ時代遅れの取り残された国になるだろう。

なんとなくで生きていけば中身のない人生になると私は思う。そのように生きれば、頭を使う必要がないから楽であるだろうがつまらないだろう。
人は考えることで成長する動物だと思うので、人生死ぬまで思考することが大切だ。思考の放棄はもったいないことだ。


まあ、思考することが得意、不得意は人によってだいぶ異なることだが不得意な人でも何か自分の意見を持ち、人に伝えることには責任が伴うので、根拠ある思考ができるようにすべきである。

思考する上でこのnoteという媒体はとても優れている。人に発信するには、テキトーな理由ではなく何か自分が信じられるものでなければならないからだ。

だから、私はこのnoteを通じて、日々成長ができるようになりたい。

とりあえず、今日のnoteはここらへんで終わりにする。本日も読んでいただきありがとうございます。
明日も更新できるよう精進いたします。

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