自分の価値観で生きてみる
「芯が強いね」と言われることが不思議と多かった喪女Aです。出オチは狙ってません。
つい最近、パートナーの松之さんにも言われて思わず「頑固じゃなくて?」と聞き返してしまいました。
過去記事を読んでくださっている方からは「芯が強い?そんなことないだろオイ」とツッコミが入りそうですね、分かります。
思い返してみれば小学生の頃。
仲の良い友人がクラスメイトの子をいじめていました。その子はクラスのリーダー格だったので皆が彼女に従っていた。
けれど、いじめられている子も私の友人でした。その子がいじめられるようになってからも、今までと変わらずにその子に接していました。そのことをリーダー格の子に咎められた私は「あの子のことを嫌いじゃないのになんで無視しなきゃいけないの?私が誰と話すかは自分で決める!」と面と向かって言ってしまうような子だったのです。
その後、標的が変わり今度は私がいじめられるようになりました。いじめによる心の傷はずっと残っているけれど、あの時この選択をしたことを一度も後悔していません。きっとあの頃の自分は自分らしく生きられていたのでしょう。そう思うと当時の私は芯が強かったと言えるかもしれません。我が強いとも言う。
逆に同調圧力に負けて自分らしく生きることをやめてしまった10代後半から20代後半までの約10年間には、後悔していることが数え切れないほどあります。『記事:愛する相手が変わるのは罪なのか』が良い例ですね。
でも松之さんに出逢ったことで私は本来の自分を取り戻しつつあると感じています。
彼と向き合う中で必然的に自分とも向き合うようになり、自分が本当は何を望んでいるのかが分かってきた気がします。
前置きが長くなりましたがここからが本題。
私はnoteを通して私たちのことや考えを発信しています。それは知っていただきたいからです。私たちのこと、そしてFセクFロマ夢女子の中には私のように考える者もいるのだと知っていただきたかったのです。
ですが私たちの考えに“共感してほしい”とは思っていません。勿論共感していただけるならこの上なく嬉しい限りです!スキを押してくださった皆さま、本当にありがとうございます!!
以前別の記事にも書きましたが、喪女Aの記事を読んでくださった方には『ご自身の信じたものを信じ続けていただきたい』と、いつも思っています。
さて、突然ですがここで私の価値観をいくつかご紹介しますね。突然過ぎる。
・同時に複数の人を愛するのではなく、ただ1人を愛すること(モノアモリー)に私は美しさを感じます。
・素敵な作品とキャラクターをこの世に生み出してくださったことへの感謝を込めて、また益々の発展を願って、グッズ購入や課金をしたいと私は思っています。
・パートナー(の基となったキャラクター)のグッズを持ち歩くことに私は抵抗があります。
※これはパートナー・松之の希望でもあります
全ての文にわざと“私は”を付けました。
つまりこれらは全て、今この記事を読んでくださっている方の価値観ではなく喪女Aの価値観です。
誤解していただきたくないのは、私がモノアモリーに美しさを感じるからと言って、ポリアモリーに嫌悪感を抱いているわけではないということです。
グッズ購入や課金をしないと決めている方やパートナーのグッズを持ち歩きたいと考えている方についても、特にそういった感情はありません。そのような方とも普通に遊びに行きます。
前述した内容は“喪女Aがどう在りたいか”を語っただけに過ぎないのです。
例えば『FセクFロマはこうあるべきだ』と私が語ることがあったとしてもそれは喪女Aの理想像であり、FセクFロマ当事者の総意でもなければ正解とも言えません。
どのような事にも主流とされる考え方はあると思います。自分が少数派の考えを持っていた場合、時に心無い言葉で責められたり孤立してしまうこともあり得ます。まさに私の人生がそうでした。
誰にも共感してもらえないと不安を感じてしまう方もいますよね、「これで合っているだろうか?」と。大多数の人が賛成する意見が正解のように思えるのと同じで、少数派の意見を持つ自分は間違っているような気がしてしまう。規則のように良し悪しが明確になっている事柄でないのなら、合っているも間違っているも無いはずなのに。
そうした不安が生まれる原因には孤立する恐ろしさや自信の無さ等、様々なものがあると思います。私の場合は周囲から自分の考え方を否定され続けた結果、自信が持てなくなってしまったからでした。
「孤立するのは怖いので周りの人と同じように生きていきたい」と思うのであれば、それはそれで良いと思います。どこに重きを置くかは人それぞれです。
ただ、他者の価値観に引っ張られて辛いと思っているのなら、自分の価値観で生きていけるようにご自身を見つめ直してみるのも手です。
極端な例え話をしますね。
ポリアモリーの方が『私はモノアモリーに美しさを感じる』という喪女Aの書いた文章を見て、「ポリアモリーは共感されないかも……この愛し方はやめた方がいいのかな……」と思ってしまったとします。※あえて極端に書いています
本当はポリアモリーとして生きたいのに他者からどう思われるかが気になり自分の気持ちに蓋をしようとする。これは喪女Aの価値観に引っ張られてしまっていると言えますよね。
万が一、上記の文章を見て「ポリアモリーを否定されている(気がする)」と感じた方は安心してください、繰り返しになりますが否定していません。自分と違う考えを持つ相手が必ずしもこちらの考えに否定的であるとは限らないのです。
心理学の専門家ではないので自分の経験を基にした提案にはなりますが、もし今何かに押し潰されそうになっているのであれば、思い切って一時外の世界をシャットアウトしてみるなんてどうでしょう?
自分は本当はどう在りたいのかを自分自身にじっくり聞いてみることをおすすめします。的を絞って一つ一つ考えていくと答えが出やすいかもしれません。
「何を見て悲しいと思ったの?」
「この考え方好きだな。何故そう思うのだろう?」
「どんな愛し方が自分には向いているかな?」
「お相手とはどんな関係でいたい?」
メモに書き出してみると案外すんなりと答えに辿り着いたりしますよ。
そして大事なのはその答えを何があっても信じ続けることです。
自分の考えは常に正しいと思ってくださいと言っているのではありません。『自分は本当はこんな風に生きたいと思っている』その心の声をどんな時も信じ続けるという話です。
価値観は自然と変わっていきます。それが誰かの影響を受けたからだとしても、変わりたいと思って変えた価値観は紛れもなく本心です。
息苦しいと感じたのなら、その価値観は恐らくご自身が求めているものではないのでしょう。求めていないものは抱えずに片隅に置いておいたら良いのです。他者の価値観で自分を縛る必要も、自分を変える必要もありません。
けれど片隅に置いた価値観は、誰かにとってはその人を形作る大切なものなのです。
なので決して貶さないこと。相容れないのであれば否定せずそっと線を引いて、お互いのために深入りし過ぎないこと。あ、これは自戒です。
言うのは簡単ですが、自分の価値観で生きていくのは想像しているよりもずっと難しい。それはよく分かっているつもりです。
だけど、負けないでください!!!!
FセクFロマの在り方や愛し方に正解はありません。
どなたかがあなたの考え方を否定していたとしてもそれはその方の考えであって、あなたがその方のために自分の考えを捨てる必要はありません。
自分の在り方や愛し方に自信を持つために、誰かの在り方や愛し方を否定する必要もありません。
自分の思いを信じ続けてください。負けないで。
当記事に共感できないと思った方も、その思いをどうか大切になさってくださいね。