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二月三日


励まされる新年のご挨拶、文字のやりとりもポツリ、ぽつりと終えて、ポストを覗くと支払い調書やらそういう関連のものが続々と届く時期。寒中見舞いを出し損ねちゃったなぁ…と思う相手がニ、三。余寒見舞いだなんて書いたことがないけど、試しに書くだけ書いてみようか。出さないにしても、そんなことを思ったりしている中に、近年、大変お世話になっている方から展覧会のお知らせハガキが届いていた。

開催地に近い場所へも、用事とまではゆかないけれど行きたい気持ちが大きかったので丁度よかった。会場の離れている会期間際の展示と迷ったけれど、そちらの巡回スケジュールをみてみると新たな可能性が出てきたので保留に。


そうそう、すっかり忘れていたけど、お寺の境内を通り掛ると、何かを設置していた。

目の前の光景から近場の文字をみるのと、関取が豆をまいているイメージが思い起こされるのがだいたい同時で、節分なのか…となった。

万年筆、ガラスペン、筆ペンで全然足りるどころか、持て余している方なのにも関わず、昨年末辺りからは、とうとう墨汁の味を占めはじめたり…

さらに年明けムードに影響を受けて、筆遊びは加速しつつあります。


首都圏で、特に夜の電車に乗るのが日に日に、身の危険を感じるほど苦しいと思ってしまったり、それが何故なのか…価値を求めること、それ自体はきっとおかしくもなんともないし、悪いことでもなさそうだけれども、知らず知らずと自分が思っているよりも偏った生活を強いられて苦しむ羽目になっていたりするのかな…

そんなことをわざわざ書き留めたい訳でもなかったけれど、一日一日息をして、仕事に向かうこと、(やっと一周巡って手とインスピレーションが動いてきた)お針子仕事、食事を取ることなどに必死で、その都度浮かんでは消えてゆく考えや思いに向き合うことが中々できなくて、どこかすっきりしない日々が続いていたので、何でもいいから書きつけてみたかった。

手がかじかんでなのか塩が出すぎちゃったゆで卵画像はちょっと恥ずかしいですが(バターたっぷりのパン、偶にはいいですね)、何だかこういう未来を生きてる想像はしなかった現実を生きている感じもする。

旅に出たらまた広がる未知の景色。

その旅も、人任せにしたらどこまでも楽だったり…

どこまでその楽を享受するのかは人次第…?

現代の目的が渦巻く生活も草臥れちゃうし、行き当たりばったりで苦渋を舐めるのも、裏を返せば楽を選んでるのかな…だなんて

堂々巡り。。


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