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自分を取り戻す


何をして自分を失ったとするのか、だなんて、随分とおざなりな感覚に拠るところでもあるのですが…

大きく失ったのは、二十年前かも知れないし、十二、三年前、十年前…?はたまた、五年、四年前なのか?

決して、そういうの考えたくない方ではなく、寧ろじっくりじっとり考え込むのが大好きなのに、この二年間は違う現実問題にばかり気持ちも頭も全てがいっていて、すっかりおざなり?なおざり?(笑)だった…

いや、ポカリスエットのコマーシャルではないけど、しっかり日々自分を失って、どこかしら何かしらでちゃっかり取り戻しているのかも知れない。

何をどうして自分を取り戻します?

だなんて、誰にどういう気分で問うているのでしょうかね(笑)

そして今日は、やたらと(笑)ってばかりの気分です(笑)

私は、わざわざ誰かが串打ちをし、串に刺さった肉をちびちび?やがてがつがつと喰らうことで、自分を取り戻せた気分になることがある気がしています。

大抵、行きたいと目星をつけているお店は混んでいて入れないことが多かったり、その時の装いが幾らなんでも酷すぎたり、逆に張り切りすぎていたりと極端だったり、荷物のかさばりが激しすぎたり、優先順位の問題が一番であったりで中々お預け気味なことが最近では多かったのですが…


豚はたぶん、自力では目の前の豚を殺生はできないと考えているので(以前は一番簡単と妄想像していた鶏が、最近どうしたことが愛着が湧きはじめ、一方的にともだち気分になってひねれない対象に思い出したり、牛は一晩祈って地面に頭をついたら勢いでできるかなと考えが変わってきたり)、命を啜る背徳を一番直に感じながら、負の感情を含めた人間の生のエネルギーを肌に感じるのが、串に刺さった肉とそれを提供する場の雰囲気や工夫や気だったりします。


他にも、文字を書く、絵を描く、思いのままに…だとか、湯槽に浸かり、心地がよかったり、刺激があったり、求めている何かが示された本を読み進める…だとか、一心不乱に毛糸を編んだり、花を生けたり、映画館の暗闇に身を運び、ポカンとしてみたり…

まだ勇気を出して決行したことがないことなのですが、何も考えず、空いた知らない行き先の電車に飛び乗って、座席に座って居眠りをする…とか最たる感じを妄想像しますが…(笑)

色々と、少しのことが、自分を取り戻す助けになるような、そもそも失う感覚が何なのか麻痺する昨今なのですが、本日は自分を取り戻すをnoteしてみました(笑)

(もう、さいごの二つくらいには(笑)飽きてます)

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