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1ヵ月


あの日からひと月。

まさかこんな事態になるとは予想もできなかったし、備えていなかったどころか…例年の昨年度のお金の動きを振り返るビッグイベントに取り掛かるにあたって押し寄せる、この今の現実を作りあげ、忘れ葬られていた過去の出来事。いい風にも悪い風にも、徐々に思い込んでは、自由に思い違いしている事柄に気付かされたり発見も多かったです。

アキレス腱が切れて歩けない、踊りとポーズの仕事で収入を得られない、からだ全体で食事に関することへのトキメキに集中する日々の連続?、病院に通うこと…他にもあるかも知れないけど、全くはじめての視点からみえる景色、体験、体感、生活。

からだと心が現状に少しずつ慣れてきている気がする。ギプスで固定されて約三週間くらい。

やっとギプスってなんだろう?とは思っていたものの、普段だったら即帰りの乗り物の中で、疑問はすぐ検索検索っと!森田健作?何だよ…そんな思考回路ですが、足に体重をかけないように注意しながらの松葉杖を使っての移動は、タクシーに乗り込む、コピーをとる、ATMに行く、ゴミを出す、ポストに行くまで、扉を開くまで、恐怖の階段、段差、病院での書類の受け渡し…といった今迄なら何も困難を感じる経験のなかった動作に神経を使ってクタクタで、昨日やっと調べた。替えてもらったばかりなのに、知らぬうちにもう薄汚れてきてしまったので、誤魔化したくなって油性ペンで落書き。


買い物の手助けに来てくれた二名の方からギプスにサインを貰ったのがやたら嬉しく…

今回は、あたかもアーティストの知人に書いて貰った設定の自作自演です。病院の医師、看護師さんからの反応はあるかな。前回は忙しそうだったり、花粉症が辛そうで言及まではしてくれなかった(笑)

そうこうしてギプスの歴史を見ていたら、自然の成り行きでイメージが浮かんできたので、少し再現。当初は、足がロボットみたいとどこかに書いた。足を意識に逆らって固定する状態は今だけのこと。普段、固定ポーズだとか意識してとっているけど、それでも動く。今、左脚はただ在るに近いと思った。あと1ヶ月近くはギプス生活。



段々と、春の三寒四温。


2月16日。半袖日和の日だった那覇市内でアキレス腱を切った。外来では細かく言われなかったし、今思えば暖かかったので、帰る直前までの風呂や睡眠や室内でのお茶やコーヒーを沸かす作業自体は大変ではなかった。

どこかには旅先で気が張っていたのもあるし、当座の予定のこと、自分の問題、人助けを受けながらの心とからだの大移動を終え2、3日、1週間位した頃、気張りのアドレナリンも醒めた時の東京は寒くてからだに堪えた。3月になって暖かくなり、今度は花粉症が始まって頭がぼんやりし出してからは嘘のようにからだが楽。

膝歩きもカピバラお運びも、右足つかまり立ちも、松葉杖も、寒い時はいちいち怖気てしまった。できなくはないけど、からだの苦労が大きかった。

そんなひと月。

最低限とは何だろうか、誰にどこまで何を甘えていいものか、必要なものは何か、この先どうしたらよいのか、何に困っているか…等、説明する自分は自分に変わりなく、ひとりしかいないはずだけど、相談する先、例えば区役所関連、病院、議員の窓口、仕事や旅を通じて出会う皆さん、友人、知人、家族…親身になってもらえる度合いやかけてもらえる言葉、助け、支援、情け、アドバイス、提案に触れ、その都度、心が揺れます。

自分が何に命を燃やして賭けていたのか、いるのか、またさらに何に命を燃やし賭けたいのか、を考えさせられて。

収入が途絶え、蓄えもなく、傷病手当などの補償もなく、持家も頼れる実家も持たない自分が、日々、なんとか明日は生きられそうだ、あれをこれをしようと思える具体的な何かがあったり、助けを直にだったり、回り回って頂いて生き延びた1ヵ月でした。

訳は、今はくわしくこの場で説明するのは憚られるというか、機ではないから書けなさそうですが(生き延びれたら、書いてみることによって、もっと自分を抉りたい)、何が起こるか分からないけれど、1ヶ月前は1ヶ月がリミットかなと思っていた概算が、運よく延びてあと1ヶ月はどうにか自力で生きてゆけそう…そんな状況です。

人それぞれだと思うのですが、もちろん置き去りにしてしまった自分の現実問題に向き合うことははっきりしてますが、特に動けないこの時分もっともっと命を燃やしてゆくことが解決の糸口になるかなとも思えています。

悪魔のような執念を捨てること(笑)

どれもこれも簡単にはゆきませんが。

何かのきっかけ、ご縁によって私のことを気にしてくださる方、ご心配かけています。わたしの整理されないエネルギーのため、とんだお騒がせをしています。既に、助けを差し伸べてくださった方、申し出て下さっている方、ありがとうございます。お陰さまで今に至ります。

何年か前の自分だったら、現在の自分のような存在は、あわれみの対象ではありながらも、自業自得だよな…とちょっと高みの安全にいることを維持することや、反面教師としてうつる程度にしかなく、当時の自分に今と同じことがもし起きていたら、色んなことに耐えられず、既に御陀仏だったかと思えるような信じられない存在のような気もします。

ですが、何か思い当たることや、もどかしさ、わたしが命を燃やすこととは、まだ説明もできていませんが、今迄の拙いわたしの命を燃やしてきた仕事、生活の狭間での行いの片鱗から、偶然にも何かにピンと来る方、感じる方、心に余力がある方…

散らかったレシートをどうにか片付けたので、おもしろいことを書く自信が今、全くないのですが、この不便で窮地な状況で今後、わたしが思うこと、やってみること、きっとそれは命を燃やす何かに繋がる軌跡なのですが、気に留めてもらえたり、ふむふむと思える瞬間がありましたら、サポートを頂けると大変助かります。


どうにか快気に向け、メラメラありとあらゆるものを燃やしてゆきます。

よろしくお願いします。

三月十六日










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