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お知らせ



この度、わたしは有馬美里という芸名をありがたく手放す気持ちでひと思いに捨て去り、minoriに逆戻りします。


2010年10月11日から2017年9月30日迄、特にたくさんの方から育ててもらいました。

約13年前
この頃の見覚えがある人なんて殆どいないと思います。よくここまで…

思い返すと、自分がいちばん驚きます。



その後、この5年間は自由であり、修行であり、自分の中にある昇華できない念との日々でもありました。そんな歯痒ゆい存在でいながらも、応援してくれる人、価値を見出してくれる人がいたお陰で何とか生き延びてきました。


そうしているうちに、有馬美里の鎧をかぶりながら対峙している心配事や足枷はどんどんとなくなり、(生業を維持してきた生活の仕組み、バランスも、お約束や決まり事、それを重んじるしがらみや人との付き合いなども同時に)日々、minoriに舞い戻っていました。


今年の8月下旬、例の(霊の?笑)念との闘い仕事が終わり、有馬美里を捨てたらいいというアドバイスを頂き、これだ!これしかない…と直感しました。


昨年末にも、ミノリとしての踊り念仏の軌跡が段々と降りかかってきました。これに関しては、2月に怪我をしたことで見切り発動させて頂きましたが、まだ研究や修行?'捨る心'が必要と感じています。だから名を捨てたい、と思ったのかも知れません。


実際のところ、有馬クン、有馬ちゃん、有馬さん、美里さんを纏ったわたしがまだあって、意味はすぐには見えないと思いますし、心配をしてくれる人や、複雑な気持ちを抱く方…はあんまりいなさそう(笑)

そう、本当になーんにもなくなってしまって、よからぬ何かも近付いてはこないでしょうと楽観してますし、跳ね返せるようになってきたのは大きいです。これまでの浅い歴史やあまり知りはしない世の中の事柄を踏まえ、想定される心配事も、もしかしたら踊り子としての矜持みたいなものも、背負うものも、あったのかな…少しは守るべき領域といったらいいのか、いくつかはあったであろう守り守られる関係性というようなものもなくなった。それも自分で認めたら、minoriとして佇んで大丈夫なのだ、と思いました。思えました。そういう中であらわれる表現、ステージは望まれるか、できるのか、喜んでもらえるか、そのような場を編み出したり、辿り着いたり、迷い込んだり、運を切り拓いてゆけるか…ご縁が切れたり、つながりゆくかどうか等は、今までの修行にすべてかかっていますし、これからの心がけ、捨る心が左右してくると思っています。今年はここまで、毎日が分かりやすい位に崖っぷち、綱渡りな日々でした。怪我が治ってゆくほどに、踊り、オドリ…には、正直なところ自信が失われ、今が本当に正念場ではありますが…


ここまで、あぶなっかしいわたしの個を、尊重し、見守り、励まして下さる方がいる場、10月11日から20日のアタミ銀座劇場さんに出演予定です。



まだまだ序の口なのですが、捨てまくっていたら気づくことも、ずっとなかったかも知れない目標みたいなことも、つい最近キャッチできたり…




グッバイ、有馬美里
ありがとう


色々、既に思うことは尽きませんが、そういうのも捨ててゆきたい


私はminori




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