とにかく、綴ってみる
もう、もう書きたいことが山、山、山程!
場(結界)、目の前の一挙動、一投足、一所作(一言)に気を遣うことがすべてなのだけど、それだけでは足りない作りをしてしまうから…
いや本当は、もっともっと引いて、なくして、無くして…がベストだけども、中々そこまでには"簡単に"ならない。
結界は結界だけども、結界の存在がもうあってないようなものだから生きづらい。
綴る、書く、と言ってもタップタップで書かない、そういったことが大問題、と先月は魔の流れに取り憑かれ、一日中タップに明け暮れては口に何かを拵えては…運ぶしかできないような生活をしていて思った。ある時、ふと我に返り、主に飯と酒を飲んだか飲まなかったかの記録をスマホ内蔵カメラの画像を下に、手帳の朝・昼・晩のちいさなコマに書き記していたら、どこへ行き、何をみ、誰に会い、何を思ったのか等…とても3、4cm四方の枠に書き入れられなかったけれど、無心でぎゅうぎゅうに文字にして納め記録していたら、それだけで心が少しなだらかになった。後で自分で振り返ることはないかも知れないし、手帳は落とし失くしてしまうこともあったし、よくありがちなのは鞄の中で遊んで、何故だか油や水分でインクが滲んだり、消えて文字は読めなくなる。それでも、それだからこそ、できるだけこれから紙に字や呪文、イメージ図、記号、メモ書き、描きを、"何のためでなく"してゆきたい、と直感。
どうせなら少しでも分かる、伝わるように書けたらと思うから、書けなくなってしまうけども書かないとすぐにふわわ〜と逃げてゆく思い、気持ち
ここに来て、根拠はまだうまく書けないし、うまいよう書く日だなんて、簡単には来ないだろうし、それでいい、と迄を一思いに通過し、やっと書く気持ちになったから書いてみる、綴ってみる。
この一年近く、一遍上人の踊り念仏に興味を持つ、というか取り憑かれ、逆を行く、逆行をよく考えていた。程なくして、からだ、肉体がまず逆を行き出した。
戦争のことを考えないことはない。思うことはある。ありすぎる。むごいことが起きていることを知る、簡単には自力で知り得ないことまで、自分の営みを超越して知らしめられる、いとも簡単に
簡単じゃないことが、さも簡単に執り行われるかのように現実となる。その加速の渦中に当たり前のように在ることになる。綻び、壊れ、やがてうまくゆかない事柄は切り捨てられはする。それはそうだ…だが、疲れる。
だから逆を行く、行く……とにかく逆を行く。ちょっとした抵抗。牛歩というのを随分前にみた。逆を行くのは少しロマンがある。逆行、反時計、左回りについても、もうちょっとくわしく書いてみたい。
月末頃には、きっと踊りとストリップを通し、人間のむきだしだったり、むきだされない欲望、垣間見れるもの、見出されないこと…目の前の際どい、僅差な何かが、ぐるぐるぐわぐわし、少しは書き、綴れるような気がする。
15分+αの生身のショー、今月は生音のコラボレーション、シャンソンコンサート、獅子舞…といつもよりさらに宇宙の面影が増し増ししそう…
ちょっとしたこと、大きなこと、それぞれに宿る豊かな情報が温泉のある土地ではじけると思うとわくわく!
突き動かされ、一昨日が1500m、昨日は1000mとのんびり泳いでみた。案外、続けざまに泳げた。今は泳ぐ機をみつけては、たくさん泳いでみたい、と思った。
今日は、久しぶりにお会いするすてきな方に踊りの振付、お助けの駆け込みレッスンをしてもらえることに…!どきどき。